第一章 思わぬ同居(1)
どれほど考えたところで詮無きことと。分かってはいても、どうしても考えてしまう。
もし、あの日、彼と同じバスに乗らなかったら?否、同じバスに乗ったとしても、せめてあの時、席を入れ替わらなかったら、と。
そして、いつも、冷ややかな現実に打ちのめされる。ひとたび起きたことは、覆せない。幾千幾百の「もし」をどれほど心の中に数えても。
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さて、どうしたものか。ガドヴィック村で夫ゲゼルと不動産屋を営むゲマンは、密かに思考を巡らせていた。目の前には、お客が二人。前々からマルベリー2番の土地を欲しがっていたアヴァンティ・カーサという若い女性と、今一人、ほぼ同時に買いたいと言って来た若い男性と。男性の方は、パウゼ・フェナートといい、宇宙局に勤務しているらしい。
別に、土地はマルベリー2番地だけではないから、どちらかが別の土地にすれば、話は早い。が、二人ともどうあってもあの土地がいいのだ、と言い張って、譲らない。
マルベリー2番地は、かれこれ、7年以上も空き地のままだった。小高い丘の上にあり、歩いて登れば、20分ほどもかかる。周りを森に囲まれ、絶えず手入れが必要だが、その割に、土地の面積が広い。古い家がついており、一応の手入れは行って来たが、それでも、住むとなるとそれなりの修繕が必要になるだろう。
アヴァンティ---アヴィの方は、ゲマンも良く知っている。自前の農園を夢見る彼女は、ここ数年、繁忙期になると村の農園を手伝っている。農園の仕事がない時は、倉庫業の手伝いをして資金稼ぎをしているらしい。
ゲマンは、そんなアヴィを好感を持って眺めて来ていた。本人には言わなかったが、マルベリー2番の土地を預けて良いと思っていた---ほんの数分前、アヴィと同時にパウゼ・フェナートがあの土地を購入したい、と言って来るまでは。
別に欲に駆られたわけではない。ただ、この村の不動産取引を一手に引き受けるゲマンには、この村の土地を村にとっても「良い」相手に売る責があった。そして、もちろん、買い手にとっても「良い」取引である必要がある。
パウゼ・フェナート、28歳。一応、彼にも会ったことがある。以前に一度やって来て、マルベリー2番の土地についてあれこれ聞いて行った。アヴィに売るつもりだったので、あまり色よい雰囲気は出さなかったのだが、まさか、アヴィと全く同じタイミングで購入を申し出て来るとは。
アヴィとパウゼと。
二人は、何故か、いかに自分にとってあの土地が必要かについて言い合っている。
「簡単だ。私は、絶対にあの土地が必要だ。こちらの人には、他の良さそうな土地を見繕えばいい」
「ちょっと待って。あの土地は、もうずっと前から狙っていて、そのために、お金だって貯めて来た。あなたこそ、他の土地にすればいいでしょう」
「他の候補は、全てチェックしてある。あの土地の代わりになるような場所はない。君は、どうせまだ他を確認してもいないのだろう」
「他の土地なんて、あり得ない。あの土地で農園を開くつもりでもうずっと前から準備して来たの。絶対あそこでなきゃ、駄目なんだから」
「農園なら、別にもっと他の場所でもいいだろう。何なら、この村でなくても」
「あなたこそ、よその村で探したら?」
アヴィとパウゼは、なかなかに対照的な性格をしている。アヴィは、馬力があるが、あまり細かく考える方ではない。パウゼは、細々と考え、計画を立てて行動に移すタイプだろう。気立てが良く、村の人たちにも受け入れられているアヴィに対し、パウゼは、人当たりがあまり良くない---というより、悪い。
言い合う二人を見ているうちに、ふと突飛な考えが思い浮かんだ。馬鹿馬鹿しい---ゲマンは、そのまま捨て去ろうとして、けれども、思い直した。いや、案外、これは、悪くないのではないだろうか?土地にとっても、村にとっても、アヴィにとっても、そして恐らくは、パウゼにとっても。もし二人が受け入れれば、の話だが。
ゲマンは、じっとパウゼに目を向けた。アヴィのことは、良く知っているので、問題ない。後は、このパウゼが、信頼に足る人物かどうか、である。
「何か?」
視線に気づいたパウゼが、困惑と不快感がない交ぜになった目を向けてくる。
悪くない。
ゲマンは、思った。
愛想はないし、頑固そうである。それでも、浮ついたところがないのが、気に入った。恐らく、彼は、「見た通り」の人間だろう。何かを取り繕ったり、てらう、ということをしない。外連味もない。嘘を言うのが苦手な人間だ---ゲマンは、そう踏んだ。
「うん、悪くないね」
ゲマンは、ぽん、と手を叩いた。パウゼとアヴィは、ゲマンの意図を図りかねているらしく、物問いた気な芽を向けて来た。
「あんたは、あの土地が欲しい。アヴィも同じ土地が欲しい。そして二人とも、資金的な余裕は、実は、それほどない。違うかい?」
「ええ、それは、まあ・・・」
アヴィは、顔を赤らめた。パウゼも憮然としているが、否定はしない。恐らく図星なのだろう。ゲマンは、話を続けた。
「そして、話を聞く限りでは、あんたたちが一人であの土地を占めたところで、少々広すぎるようだ」
「別にいくら広くても困りはしない」
完全に不機嫌な様子でパウゼが言う。アヴィも負けじと言った。
「そ・・・そうです。別に広すぎる、というほどでもないし」
どうあってもあの土地が欲しい二人が、すぐに「そうですね」と言うはずもないことは、ゲマンも承知している。
ゲマンは、密かに深く息を吸った。ここで説得できなければ、このアイディアを実現することは、不可能になる。
「土地ってのは、広けりゃ広いなりに、きちんと面倒を見なきゃならない。なんでも広ければいいってものじゃないんだよ。それに、忘れているようだけど、広ければ広いほど、税金もかかる。それだけ稼がなきゃ、維持できない。分不相応に広い土地を持ったって、後が厳しくなるだけさね」
「だが・・・」
「でも・・・」
パウゼとアヴィが同時に反論しようとする。ゲマンは、それを手で制して言った。
「一つアイディアがあるんだけどね。あんたたち、二人であの土地を仕入れてはどうだい?」
「は?」
「え?」
またも同時に二人が声を上げる。
「二人ともあの土地が欲しい。そして、一人で使うには、広すぎる。なら、二人共同であの土地を買えばいい。そう・・・今流行<<はやり>>のアレにしたらいいよ。シェアハウス」
「シェアハウスといって・・・これと?」
「シェアハウスって・・・この人と?」
二人は、またもや、ほぼ同時に似たようなことを口にした。
「そうだよ。他に誰がいるんだい?今ある建物を少しいじって、各々の専用スペースを作れば、問題なく住める。悪い話じゃないと思うけどねえ。二人とも半額であの土地を仕入れられたら、これからの計画に余った資金を回せるだろう」
この話に、先に反応したのは、アヴィだった。それはそうだろう。これから農園を開くに当たり、相当な資金力が必要になる。少しでも節約できるところは、節約したいはずである。
一方、パウゼは、乗り気ではないのが見て取れた。安定した職にある彼の場合、ここで折半するメリットは、あまりない。彼が余程金のかかる企てを考えているなら、話は別だが。
ゲマンの見たところ、パウゼがあの土地にこだわるのは、程に人里離れた状態にあるからだろう。それでいて、勤務先までは、1時間内で行ける。
けれども、だからこそ、ゲマンは、あの土地をパウゼに渡したくなかった。パウゼの様子を見るに、一つ間違えば、腐乱変死体が発生しかねない。その点、アヴィが近くにいれば、あのアヴィのことである、さりげなく様子を見守るくらいのことは、するだろう。
アヴィが口を開いた。
「わっ・・・わたしは、それでもいいけどっ」
パウゼが驚きに目を見開く。
「ちょっと待て、いくらなんでも・・・」
幸いというのか、パウゼは、まだ明確な拒絶を表明していない。ゲマンは、素早くたたみかけた。
「じゃ、決まりだね。二人共同であの土地を購入する。それが嫌なら、話はなかったことに。あの土地は売れないよ。将来的に詰むと分かっていて売りつけるほど、うちは阿漕な商売はしていないからね」
パウゼは、未だ困惑している。
「まあ、一度やってみてご覧よ。どうしても無理があるようなら、また相談してくれていい。あの土地は、十分に広いから、共同で使うとしても、問題はないはずだよ」
ゲマンに言われ、パウゼは、折れた。
「分かった、共同にすればいいんだろう。言っておくが、私は、他人とつるむ趣味はない。みだりに私に声をかけたり構おうとしたりしないでくれたまえ」
「分かってる。そっちこそ、ちょっかいかけてこないでよね」
アヴィの言葉に、パウゼは、ふん、と鼻を鳴らした。
「安心しろ。女なぞに興味はない」
「それは良かった。ああそうだ、もう分かっていると思うけど、農園を開くから。動物も飼う」
「好きにしろ。ただし、絶対に手伝わないからな」
「結構よ。下手に触られる方が困る」
「重畳だ。それから、猫がいる。文句はないだろうな」
猫。アヴィは、目を輝かせた。
「猫ですって!猫を飼っているの?どんな猫?」
勢い込んで尋ねるアヴィにパウゼは、ひどく誇らしげに答えた。
「世界でいちばん美しく、賢い猫だ。名前はフェリシティ」
この話は、「パウゼとアヴァンティ」のタイトルで掲載しかけていたものを大幅修正したものです。