円満な家庭を築くには ~夫発案による、夫婦の相互理解を深める一助とする為のお手製カードゲーム~
厚紙をハサミでじょきじょき切り揃えたであろう手作り感満載のカードが円卓の中央に積まれた。
向かい合う2人の前には伏せられたカードが3枚ずつ並ぶ。
それを1枚ずつ、親指と人差し指で摘まみ上げながら表面に返していく。
どのカードにも何やら文字の連なりが見てとれる。書かれている字はミミズが這ったように、ひょろりと、にょろりとしていた。
「まずは俺のターン」
親指と人差し指で作ったL字を自身の顎、顔の輪郭にあてがい、キメ顔で痛い台詞を吐く夫。きっとカードバトルアニメの登場人物の真似で、冗談のつもりだろうが、残念ながら全く面白くもなく、まるで笑えない。
夫の様子を見、飽きれ、溜め息を吐く妻。
そんな妻の冷めた様子をものともせず、夫はカードの山……といっても標高はかなり低いのだが、その頂上から1枚めくった。
「ふっ、いきなり出たな。いくぜ、ストックマネジメント計画!! 続けて、下水処理場修繕!」
夫は山から取った「ストックマネジメント計画」と書かれているらしいカードと、並べた3枚の内の1枚「下水処理場修繕」と書かれているらしいカードを勢いよく場に捨てた。
いずれのカードも妻にはミミズかムカデが這った跡があるようにしか見えない。ムカデを発見した時は逃亡を防ぐため、ムカデにガラス瓶をかぶせておき、やかんで湯を沸かして熱湯をかける、妻の実家での常識だ。
妻は夫に質問せねばならない。教えを乞わなければならない。何故ならば、妻はそのカードに書かれているだろう言葉の意味を知らないのだから。だが、眉間のシワ、ぴくぴくと僅かに動くひきつり気味の頬、嫌々なのが表情から見てとれる。
抵抗感をなんとか抑えつつ、妻は夫に尋ねた。
「……質問。ストックマネジメント計画、って何?」
「お、それ訊いちゃう?」
イラッとする。カチンとくる。
妻の眉間のシワが数ミリ深くなったが、果たして夫が気付いたかどうか。
「どんなものでも古くなると傷みやすく壊れやすくなったりするだろ? 今ある下水道とか下水処理の施設とかをより長く使えるように、医者がするトリアージみたいに優先順位を付けて、計画立てて、効率良く修理したり維持したりしようぜ、みたいな? それがストマネ、かな?」
「へぇ……そうなんだ。教えてくれて有り難う」
左右とも口角は上がり、目は細められているにも関わらず、妻は常より低い声で答えた。抑揚も少なめだ。
妻の笑顔が上辺だけであることに、果たして夫が気付いたかどうか。
ストックマネジメント計画……生涯連れ添っていく為には家庭内、夫婦間にも必要かもしれない、と妻は思った。どの部分に目を瞑って我慢して黙殺して許容し、どの部分を指摘して夫に改心、改善を求めるか。いかに効率よく、かつ効果的に夫との共同生活における問題点を解決し、離婚しない限りは長く永く続くであろう夫婦生活をより心穏やかに送るか。
心に刻もう。ストックマネジメント計画、略してストマネ。
海馬から大脳皮質に、脳みそに刷り込もう。ストックマネジメント計画、略してストマネ。
妻が妄想を膨らませている間、夫は更にしゃべり、豆知識を追加する。
下水道でいうところのストックとは、既に建設された下水道や処理施設で、有形の、形ある固定資産なのだとか。
夫婦間におけるストック……有形固定資産、何があるだろう? 結婚指輪とか? 新居とか?
共同生活で不満に思うこと、夫に改善してほしいことなどに形など存在しない。焼き立てほかほかシフォンケーキのようにふんわりふっくら膨らんだ妻の素晴らしき妄想は、妻の脳内でぷしゅーっと空気が抜けるようにして、儚くも萎んでいった。
「次、かほちゃんの番な」
かほちゃん、こと妻。
妻、こと、かほちゃんは思考の渦に呑まれかけた意識をよいしょと現実に戻し、夫に言われるまま、カードの山から1枚めくる。
「下水道……かんろ? 延長……」
たどたどしい言葉で、どうにかカードの文字を読み上げた妻と、身を乗り出して妻の手元を覗き込み、カードを確かめる夫。
「うん、管路延長だ。かほちゃん、おめでとう! 下水道の距離が延びたよ。ほら、下水道が延びて、公共下水道を使える人が増えたから、そこの下水道普及率向上のカード、それが出せるよ!」
妻は思う。へぇー、と。おめでたいんだ、と。
夫の知識は妻が知らない知識。凄いなぁと妻は関心もするし、夫のことを尊敬もするのだが、いかんせん夫の言動が暑苦しく鬱陶しい。
夫はとても喜ばしいことだという具合に心からの笑顔でもって妻に話し掛けるのだが、悲しいかな、夫婦間の感情の落差。滝口と滝壺もかくあらんや。
田畑が多い農業が盛んな地区、といっても担い手不足で衰退気味なのだが、そんな地区の中に夫婦の家は存在する。下水道未整備地域。下水道が通る計画すら無い。2人が新居を構える際に自治体の担当部署に確認したところ、先7年は確実に下水道は通らない、と言われた場所。仕方なく、しゃーなしで合併浄化槽を備えた家を建てた夫婦。もしも自宅が公共下水道に繋がったら、それが喜ばしく嬉しいことなのはもちろん妻にも分かるのだが。
プルルル、プルルル
夫のスマホが鳴った。
「……もしもし、……あ、はい。……はい、………………」
大変だなぁ、と妻は思う。お疲れ様、と妻は思う。
通話を終了した夫が申し訳なさそうな顔で妻に声を掛けた。
「ごめん、かほちゃん。ちょっと現場でトラブルがあったみたいで、呼び出されたから今から少し出てくるよ」
ほっとする妻。夫が急な仕事になってしまい寂しいはずなのに。
「うん、分かった。気をつけて行ってらっしゃい」
大変だなぁ、お疲れ様、と思いながら、その感情を表情にしっかり滲ませながら、妻は心からの笑顔をこっそりと心の中で浮かばせて、夫を見送る。
あ、そうだ、と夫が妻に言い残す。
優しく妻の手を取り、その手の平にそっと白紙のカードの束を乗せ、妻の頭を軽く撫でるようにぽんぽんしながら。
「これ、かほちゃんの分のカードだから。かほちゃんも自分の仕事内容で、このカードに書いといて。で、帰ったらまたゲームしような」
平素から夫は言う。相互理解が大切だと。
夫婦という婚姻関係に満足し、ただ安心するのではなく、日々お互いを知る努力をし、円満な家庭を築き保ち続けなければならないと。
妻は思う。人生七十古来稀なりの言葉よりも現在の平均寿命は長い。夫披露による豆知識から得た情報、下水道の耐用年数である50年よりもはるかに長い。
夫婦共に、いつまでも心身健やかでありたい。
長く連れ添う為には、適度な無関心、放任も精神衛生上必要だと、妻は思うのだった。