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「ふうっ……」
授業中なのに全く集中出来なかった。まあ、当然だろう。第三王子が私が焼いたクッキーを食べたのだから。
しかも美味しかったと……
もちろんお口に合ったようで良かったと安堵はしていない。むしろ不安になってしまったのだ。
いったい何が目的なのだろうと。
まあ、理由をいくら考えても婚約者の本当の気持ちさえわからない私には第三王子の意図が読めるわけなかったが。
全くもって。
「はあっ……」
溜め息を吐いた直後、気持ちが沈んでいくのがわかった。
そして今日はもうこれ以上無理だと。
だから先生に許可を頂きすぐに荷物を纏め教室を出たのだ。
残念なことに教室を出た直後、今一番会いたくない私のことを金蔓と思っていた人に会ってしまったが。
「フィーネ」
私は大きく息を吐くとすぐに表情を作った。
「ごきげんようアルバン様。授業はどうされたのですか?」
「フィーネが心配だったから授業をさぼってきたんだ。でも元気そうだね」
「……そう見えますか? 私は調子が悪いのでこれから帰ろうと思ってたのですが」
するとアルバン様が慌てて横に並んでくる。
「だ、だったら家まで送るよ」
そして私の荷物を持とうとしたのだ。
正直いえばいつものアルバン様だった。まあ、生徒会室での会話を聞いた後なのでその優しさは薄っぺらく感じだが。
しかも絶対に紙よりも薄い。
でも、がっかりはすることはなかったのだ。既にアルバン様への思いは冷え切っていたし愛情もなくなっていたから。
だからといって婚約解消しませんかとは言えないけれど……
私は内心溜め息を吐きながら荷物を引き寄せる。
「お手を煩わせるわけにはいきません。御者もおりますので私一人で大丈夫です」
「何を言ってるんだい? 僕達は婚約者同士じゃないか。だったら支え合わなきゃね」
アルバン様はそう仰ると私の気持ちに気づくことなく今度は背中に手を添えてきたのである。
もちろん内心嫌な気分になったが黙って一緒に歩く。もう会話するのも嫌だったから。
まあ、しばらくして強く断ればと心底後悔することになるが。
何せ気持ち悪いと不快に感じたからだ。アルバン様に触れられるのが。
心底……
するとアルバン様が私の気持ちに気づいたのか怪訝な表情を向けてきたのである。
まあ、すぐに派手な格好をした女子生徒が目の前に現れると顔を青くした挙句、私の背中に当てた手を引っ込めお芝居で見た浮気した男性が言う台詞と同じ内容を仰ったが。
「こ、これは彼女が気分が悪くなったから家まで送っていくんだよ。何もやましいことはしてない」
すると女子生徒はやっと気づいたとばかりに大袈裟な表情を私に向けてきたのだ。
「あら、こんなところに人がいたのね。あっ、もしかしてこの地味なのがあなたの婚約者?」
「あ、ああ……」
アルバン様は歯切れ悪く頷く。正直、違うと否定して欲しかった。
そうすればそれを理由に婚約解消に持っていけたから。
いいえ、婚約破棄ね。
私は横目で冷え切った視線をアルバン様に送った後、目の前の女子生徒にカーテシーをした。
「ご挨拶が遅れました。私はフィーネ・ホイットと申します。婚約者のアルバン様とずいぶんと仲がよろしいですが、お二人はどの様なご関係なのでしょうか?」
更には笑顔を向けると女子生徒は眉間に皺を寄せ私を睨んできたのだ。
もちろん私は涼しげな表情を向けたが。貴族令嬢としての嗜みは一通りできているから。目の前の不躾な女子生徒と私は違うと態度で示したのだ。
まあ、本人には通じてないみたいだけれど。
呆れながらそう思っているとアルバン様が慌てて私達の間に入り捲し立てるように仰ってきたのだ。
「リ、リーシュはダーマル男爵家令嬢で僕の幼馴染なんだ。ぼ、僕達、小さい時から仲が良くてね。だから、変な勘繰りはやめて欲しいな」
そして誰にでもわかるほど焦った表情を浮かべたのだ。おかげで眉間に皺がよりそうになってしまった。なんとか笑顔を作り首を傾げることに成功したが。
「アルバン様、変な勘繰りだなんて。私はただ、どの様なご関係なのかと聞いただけですよ」
するとアルバン様は明らかに安堵した様子で胸を撫で下ろしたのだ。すぐに笑顔を作り上ずった声で仰ってきたが。
「そ、そうだったのか。ごめん」
もちろん再び気づかないふりをしながら首を横に振る。これから帰る方に視線を向けて口を開いたが。
「で、どうするのですか?」
「えっと……」
アルバン様は私とダーマル男爵令嬢を交互に見て言いよどむ。その様子を見て内心溜め息を吐いているとダーマル男爵令嬢がアルバン様の肩ごしからニヤついた顔を出してきたのだ。
「誠実なアルバンに謝らせるなんてあなた酷い女ね」
「誠実……」
つい吹き出してしまいそうになり口元に手を当てる。
すると、その行動が気にいらなかったのかダーマル男爵令嬢がアルバン様を押しのけ睨んできたのだ。
「そうやって体調が悪いふりをして、アルバンの気を引こうとして最低ね!」
「私は別に気を引こうとはしていません。それに私とアルバン様は婚約者です。それなのに、なぜ、貴女様に私達の仲をとやかく言われなければならないのですか?」
「なっ⁉︎ わ、私とアルバンは……」
ダーマル男爵令嬢は顔を真っ赤にさせ何かを言おうとする。残念ながらアルバン様が慌てて割って入りダーマル男爵令嬢の口を押さえてしまったが。
「はははっ、リーシュ、僕達そろそろ行かなきゃ」
「うう……アルバン!」
「リーシュ、彼女を送り届けたら戻ってくるから」
するとダーマル男爵令嬢はアルバン様の手を払いのけその場を離れていってしまった。
「リーシュ……」
アルバン様はそんな彼女の背中を心配そうに目で追う。
私は内心呆れてしまったが笑顔を作りながら口を開いた。
「心配なら、行ってあげたらどうですか?」
「えっ、な、何を言ってるんだい」
「私は馬車に乗って家に帰り横になれば良いだけです。ですがあの方は後、半日は学院にいるのですよ」
するとアルバン様は明らかに嬉しそうな表情になった。
「い、良いのかい?」
「……お決めになるのはアルバン様ですから」
冷めた口調でそう答えるとアルバン様は私に申し訳なさそうに仰ってきた。
「すまない。すぐに家に帰って休む君より、一日中、学院にいる幼馴染のリーシュの方が心配だ」
「わかりました」
私は頭を下げるとさっさとその場を後にする。すぐにアルバン様に呼び止められてしまったが。
「フィーネ、ちょっと待ってくれ」
「……なんでしょう」
「そ、その、父が融資をして欲しいと……」
「……なぜ、私に仰るのです?」
アルバン様は驚いた顔をしたが作り笑いを浮かべる。
「だって、いつも僕が言ったら喜んで話してくれてたじゃないか」
私はアルバン様の言葉を聞き頭が痛くなってしまった。確かに私がアルバン様のためにと今まではお父様に融資を喜んでお願いしていたのだ。
でも、なぜあんな事があって今頼めるのだろうと理解に苦しんだが。
しかし、すぐ理解しお金目的のアルバン様ではなく、人を見る目がなかった自分自身に腹が立ってしまったのだ。なんとか怒りを押さえて口を開いたが。
「……一応、父には話しておきますが正式に融資の手続きがされる事は忘れないで下さい」
「もちろん、僕達が結婚すれば問題ないさ! だって愛し合う僕達に婚約解消なんてありえないだろう。それじゃあ、頼むよ!」
アルバン様は早口でそう仰るとダーマル男爵令嬢を慌てて追いかけて行った。
私はアルバン様の背中を冷え切った目で見つめる。
「愛してるのは私じゃないでしょうに……」
そして一人で馬車へと歩いていくのだった。




