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 わたしは教室に入ると一番最初に黒板を見た。

 そこには、チョークで『自習』と書かれていた。

 文字の下には矢印がまっすぐに伸びている。

 それを視線だけで辿れば、教壇に課題プリントの束が重ねて置かれてあった。

 三竹(みたけ)先生の授業はこの頃、自習ばかりな気がする。

 それがいつからなのか、ハッキリと思い出せない。

 それぐらいずっと、三竹先生自身の授業を受けていない。

 ーーーような気がする。

 「祥子(しょうこ)!どこに行っていたのー?」

 親友の明日香(あすか)が必要以上に大きな声でわたしを呼ぶ。

 この小さな教室の中、一瞬だけわたしに視線が集中した。

 恥ずかしさに耐えながら自分の席に急いだ。

 それからすぐ、前の席で笑い声をあげている明日香を軽く睨んだ。

 「明日香、やめてよ!あなたの声、デカイんだから!!恥ずかしいじゃん」

 「えー?そうかな?そんなんより祥子の早歩き、ウケた!!ロボットみたいだったよ~」

 「明日香の声は拡声器みたいだよ」

 軽いふざけ合いはいつものこと。

 だから、どこもおかしくなんかない。

 それはわかっているのに…何故だろう?

 少しだけ、ほんの少しだけれど心に何かが引っかかる。

 輪郭はぼやけているが違和感はある。

 違和感はあるのにハッキリとしない。

 名前や名称が出てこない時のモヤモヤ感に似ていて気持ちが悪い。

 その時、ふと何かが微かな音を立てながら頭の中を横切った。

 頭の中を?何それ。

 目の前を、じゃないの?

 疑問を抱いたのは一瞬だけだった。

 明日香の大きな声がそれらをすべて掻き消していったからだ。

 「ちょっと、祥子!?マジにキレているの?」

 「何で?」

 「だって、急に黙るから」

 「うん、キレているよ」

 「え?!」

 「っていうのは嘘」

 「もー!!祥子のバカ!」

 明日香とのこうしたやり取りは楽しい。

 必要以上に声が大きいのは難点だけど。

 「あ!そうだ!!新発売のお菓子が出ていたんだよ!食べる?」

 そう言って、明日香はリュックの中を探り始めた。

 自習の時間なのにー…。

 そうだ。

 思っていたことを彼女にも聞いてみようかな。

 「あのさ。なんか今日も自習って変じゃない?」

 「ほぅお?」

 口をモゴモゴさせながら答えると、わたしにも一口だいのチョコをくれた。

 「…これ、キノコ味って…」

 「新商品とは常に驚きと未知なる味を提供してくれるものなのだよ、祥子くん」

 「…貰うね。ありがとう」

 せっかく明日香から貰ったものを捨てるわけにもいかないので、口の中に放り込んだ。

 案の定、マズかった。

 「それでさ、続きいい?三竹先生さ、この頃、校舎内でも見かけないと思わない?」

 「まさか、祥子!?!三竹を好きなんじゃ!?」

 「それはないから」

 何がおかしいのか、明日香は机をバンバンと叩きながら大爆笑している。

 そのことでまた、変に注目を浴びる。

 わたしは彼女に気づかれないようにため息を吐く。

 こうしていても仕方ないか。

 プリントを取りに教壇に向かうことにした。

 「あー!!祥子!わたしのもお願ーい!!」

 大きな声に対して手だけで返事をする。

 彼女の声の大きさは遺伝だったりするのだろうか。

 家族全員があのボリュームで会話をしている場面を想像してみる。

 あまりのうるささに、誰が何を話しているのかわからなくなりそう。

 そして、そのことでまた、揉めてしまう。

 揉めたことさえもうるささが掻き消して……そのエンドレス。

 思わず吹き出して笑いそうになってしまった。

 同じようにプリントを取りにきていたクラスメイトがわたしを訝しげに見る。

 その視線に気づかないフリをして、明日香の元に急いだ。

 プリントは三枚組だった。

 

 三竹先生は現代国語を教えている。

 生徒の間ではよく授業内容から脱線することで有名だ。

 わたしはその脱線した話を聞く方が好きだったりする。

 著名な作家のちょっとした裏話は面白い。

 作品そのものより作者自身の話をメインにしたテストならば満点をとれる自信がある。

 それぐらいに熱心に聞いていた。

 席に戻ると、明日香はアプリゲームに夢中になっていた。

 「はい、プリント。スマホ、取り上げられちゃっても知らないよ?」

 規則では一応、スマホは朝、担任教師に渡すことになっている。

 ほとんどの生徒が守っていないし、わたしも最近はそうだけど。

 だからって、明日香のように自習中とはいえ、堂々とスマホをいじるなんてできない。

 「プリント、サンキュウ~!ん?これ?今は先生もいないし大丈夫っしょ!」

 「また、そんなことを言って」

 一体、どこからそんな自信が生まれてくるのだろう?

 わたしは明日香のこういう性格が時々、羨ましくなる。

 「あーっっ!!また、負けちゃったんだけど!もうっ!このステージには飽きたよ」

 「……先に課題やっていていい?」

 「祥子~!わたしの…わたしの仇をっ!!」

 まるで、時代劇に出てくる侍、いや、明日香の場合は町人だな。

 そんな芝居がかった言い方をする。

 わたしはわざと冷めた目で明日香を見た。

 「自習時間が終わったらね」

 「えーっっ!!ケチ!ケチ祥子!!じゃあ、いいよ」

 すっかり、ふて腐れてしまった明日香からプリントへと視線を移す。


 『或いは』、か。

 一枚目のプリントにデカデカと印刷された『或いは』という文字。

 その下には三竹先生の字でこう書かれていた。

 『課題:この世界にある‘或いは’は何なのかを自分なりの言葉で答えてください。ただし、本文に出てくる単語を答えにしてはいけません。』

 今までの課題と違うことに少しだけ違和感を覚えた。

 いつもなら、漢字の書き取りだけで済んでいたのに。

 「ねえねえ!これって、何て読むの?」

 早くもアプリゲームに飽きてしまったのか、明日香は文字を指差す。

 「‘あるいは’」

 「そっかそっか。ありがとう」

 うんうん、とうなずいている。

 だけど、絶対に意味までは理解していないだろうな。

 教室に飾られている時計を見ると、もう十分が過ぎてしまっている。

 明日香には悪いけれど、彼女の相手をしていたら終わるものも終わらないだろう。

 「ごめん、明日香。集中してやってもいい?」

 「あー、うん!後で写させてね!」

 笑顔で言い切るその性格を、やはりわたしは羨ましく思った。

 

 『或いは』

 【小バエがわたしの周りを飛び交うのが鬱陶しい。

 どこかに殺虫剤はなかっただろうか。

 などと探す必要性もない部屋にわたしはいる。

 長方形の細長い部屋にはドア一つない。

 一番端にいるわたしと対峙するように巨大な換気扇があるだけだ。

 そこから流れる生暖かい風が小バエをふらつかせている。

 だからなのか。

 時折、小バエはわたしにぶつかってくる。

 わたしには払う手もないので放っておく。】


 最初の段階で、この課題の壁にぶつかってしまった。

 前置きもなく、いきなり始まるし、『或いは』が何なのか考える以前の問題だと思う。

 こんな短文で何を読み取ればいいというのか。

 そもそも、これはー…。

 「詩?」

 「んー?どうしたー、祥子?」

 つい声に出していたようだ。

 周りをさりげなく確認したけど、明日香以外には聞こえていなかったようだ。

 わたしはホッとする。

 「ごめん、何でもない。気にしないで」

 彼女は無言のままだ。

 アプリゲームに集中しているのだろうか。

 無視をされているみたいで何だか不快だ。

 そしてまた、少しの違和感。

 それが何なのかを考えるよりも、今、大事なのはこの課題だ。

 わたしは詩が苦手だ。まず、何が言いたいのかわからない。

 筆者が何を見て、何を感じて作られた世界なのかがわたしには伝わってこない。

 筆者の名前が記入されていないか、プリントを隅々まで見た。

 だけど、それらしいものは書かれていなかった。


 「ねえ、明日香。この課題さ、意味がサッパリなんだけど一緒にやらない?」

 「祥子にわからないものがわたしにわかるわけないじゃん!」

 「じゃん、って…」

 「わたしはコイツを倒すのを頑張るから祥子はソレを頑張るんだ!!」

 わたしはもうため息を吐くことしかできなかった。

 しょうがないか。

 プリントの『或いは』という文字を見つめる。

 仮に答えの欄に「或いはの答えは人間を指しているのだと思います」と書いてもスッキリしないだろう。

 内容をよく理解した上での答えではないし、何より『払う手もない』という『わたし』が本当に『人間』であるという確信がない。

 三竹先生は何を生徒に求めて、こんな意味不明な課題を出したのだろう。

 こんな時、明日香なら悩まずに適当に書いても平気なんだろうな。

 この前の数学のテストだって、答えが数字の場合は全部『2』と書けば半分は当たると言っていた。

 実際に答案用紙には赤い丸がいくつもついていた。

 それでもやっぱり、自分で考えて自分で導き出した答えを書いた方が達成感はあると思うけど。


 時計の針は残り時間がもう十分しかないことを指している。

 まだ何も書いていないのに、と心ばかりが焦る。

 このままじゃ、白紙で提出することになってしまう。

 それだけは避けなきゃ。

 「祥子~、書けた?」

 「まだ」

 「もういいじゃん!!適当でさ。難しいんでしょう、ソレ。みんなだって適当にやっているって!」

 またゲームに負けたのか、少し不機嫌に話しかけてくる。

 確かに、教室はだいぶ前から騒がしい。

 みんな、こんなにも難しい課題に答えられたの?

 それとも、明日香の言う通りに適当に書いて遊びを優先したの?

 「わたしはもう少し考えてみるよ。明日香も自分で考えてみたらどうかな?」

 「祥子は真面目すぎるのっ!って、なんだー、ちゃんと答えを書いているじゃん!写しちゃってもいい?」

 「え?」

 「平気平気!バレないように書き方は少しかえるからさ!」

 「そうじゃなくて、ちょっと待って」

 わたしはプリントを持っていこうとする明日香の手からそれを奪う。


 わたしの字にはかなりのクセがある。

 前に明日香を含めた数人で、それぞれの字のマネっこをしたことがある。

 誰一人としてわたしの字をそっくりに書くことはできなかった。

 そんなわたしの字が、お世辞にもキレイだとは言えない右上がりの字が……プリントに書かれていた。

 目視した瞬間、寒気がした。


 『或いはの解答』

 【この世界に存在する『わたし』は『考える』という行為を自然に行っています。

 なので、すぐに或いはの答えを『人間』だと思いました。

 ですが、思考力を持つものが人間だけとは限りません。

 そう考えた時、わたしはこうも思いました。

 自身が人間であるという確固たる理由はどこに存在しているのでしょうか?】


 「ちょっ?!祥子!?!」

 明日香の大きな声が響いて、視線がわたしたちに集中する。

 だけど、それが何なの!

 わたしはこんなの書いていない!

 わたしの字であって違うもの。

 そこに書いてある文字を全部、消しゴムで消した。

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