117話「野営での一幕」
ある日の夜だ。
この世界に転生召喚された時はまだ肌寒い空気が残る頃だったのに、今では真夏のピークを超えるくらいの時間が経っていた。
元の世界と同じ四季があるならばだが、おおよそ半年は経った計算になる。
半年、6カ月。
元の世界なら本を何百冊と読める膨大な時間だったが、この世界に来てからもうそんなに経つのかとしみじみ感じる。
同じ時間の流れでもこちらの世界の方が遅く感じるのは、元の世界に比べて一日一日が濃い毎日だという証拠なのだろう。
ともかく、俺と柳瀬さんが異世界に転生召喚されて6カ月。
魔王討伐を目指してエドとエーゼとパーティーを組んで数か月。
この世界の大きさは分からないが、歩きで数か月はインフラが整っていないなら妥当な時間なのではないだろうか?
某ラノベでは、ほぼ世界一周するのに3年程かかっていたし。
このトリミア王国が世界的に大国だというのなら、南側から北側まで数か月かかっても何の不思議でもない。
鉄道や自動車もなし、ましては自転車などある訳もなく、移動は基本的に徒歩で移動したと言えば十分過ぎる成果だろう。
安全な日本ではなく、道の整備どころかそこら中にモンスターや魔物が闊歩する異世界で安全に町の外を旅出来る人間なんて限られている。
比較的安全な場所なら街道があって乗合馬車なんかが通っているかもしれないが、それも国中何処までも行ける位張り巡らせられている訳じゃない。
それに当然ながらお金がかなりかかる。
冒険者なら護衛として乗り込む事も出来なくないが、幾ら実力が高かろうが俺達はあくまでも連携よりも此処の力が強いパーティーだ。
護衛任務専門のパーティーには色々と一歩劣る。
まぁ、偶に偶然乗合馬車とかち合って、向こうも護衛を欲しがっていた時は護衛ついでに乗らさせて貰っているが、そんな都合のいい乗合馬車なんてそう簡単に見つかるわけがない。
魔王軍に押されているにしては随分と余裕のある世界だとは俺も思う。
ともあれ前線が少しずつ押され始めているのは確かな事らしい。
町に着く度に冒険者ギルドで情報収集と物資の補給をしているが、北へ北へ向かうにつれて活気は減って言っているようにも思える。
人類のピンチと言うやつは確実に迫ってきているのだろう。
これまではモンスターが闊歩する世界だからこそ元の世界よりは命の危機が間近な雰囲気はあったものの、人々の空気感はそこまで切羽詰まったものではなかった。
だけど、最近立ち寄る町は全て空気が悪いと俺でも感じる程に緊迫していた。
戦時中の日本もこんな感じだったのだろうか?と頭の隅で思ってしまうほどだ。
話が大きく逸れてしまった。
ある日の夜だ。
この世界に転生召喚されておおよそ半年が経ち、知らぬ前に王都を超えて北方の地へと入った頃の話だ。
何時ものように日落ちる前に野営の準備し手慣れた様に分担作業で夕食を作って食べる。
そんな後ののんびりとした雑談タイム。
見張り役が早い方が寝る前のほんの少しの時間。
いつも通り本を読んで時間を潰していると、耳に入ってくるのは声。
会話の雰囲気的に今後の活動についてだったので耳を傾ける事にしていたが
「最近魔物の出現頻度が多くなったね。今ってどの辺りなのか分かる?」
「えぇ、地図を確認すると明日にでも到着出来る距離に居ますわ」
柳瀬さんがふと思い出したかのように最近の魔物の出現頻度について言いだし現在地を尋ねると、エーゼが何処かの街で手に入れたらしい地図を片手に答えた。
北へ北へ移動する度に魔物の出現頻度が増している。
魔物はモンスターと違って魔王軍と共にこの世界に現れていることから、元々は魔界の生き物で魔王が従えずに送ってきている先兵なのだ、と言うのが現在の通説だったず。
「魔物が多くなってきているのは、魔王軍との戦線に近づている証拠ですわ。ツカサさん、貴方の索敵スキルと私が把握している現在地との齟齬はございませんか?」
エーゼも俺と同じ考えだったらしい。
地図を差し出しつつ訪ねて来るエーゼから俺は地図を受け取って、マップ機能と見比べてみる。
目印になる村や町が此処だから……このあたりか?
河の形状とその他の地形からここで間違いないだろう。
「この地図が間違ってなければ此処が現在地になるな」
「…良かった。私が予想していた位置と同じですわ。ありがとうございます」
確認を終えたエーゼは地図を懐にしまうと、何時もの魔法チートへの賛美を述べて来る。
もう何十回目になるのだろうか?数えるの馬鹿らしいほど似たようなやり取りをしたぞ。
「それだけ正しい地図を魔法で調べ上げる事が出来るのなら、魔王討伐後の勤務先には困りませんわね。王宮勤めで国内外の地図を作成する部署でも、冒険者として収納スキルをも使えば容量無制限で正確な現在地を把握可能な荷物持ちとして大活躍間違い無しですわよ。いっそ、魔王討伐の功績で王宮魔法師団の特別枠として雇ってもらえば安泰ですわね」」
「やだよ。魔王討伐してる時点で十分なお金は貰えるはずだし、無くなっても適当な依頼でもこなせば十分生活出来るはず」
地位や名声には微塵も……は過剰だけど、そんなに気にしない。
あってもめんどくさいしがらみが多そうだし、俺が欲しいのは読書できる時間と空間だけだ。
冒険者でお金を稼ぐのは趣味みたいなものと、目下それ以外に稼ぎようが無いからだった。
異世界に転生したのだから、冒険者として成り上がって小金持ちになりたいって言う欲求はオタクなら誰もが一度は願った妄想だろう。
しかし、魔王討伐まで行くと頑張り過ぎた気がしてならない。
正統派の勇者様みたいに、俺は潔白で正義感なんてありゃしない。
あるのは読書してダラダラ過ごしていたいと言う、普通の人よりほんの少しズレた欲求とそれに基づいた報酬を期待した行動力だけだ。
魔王討伐は俺には身の丈に合わない偉業で、召喚転生チートで力だけはあるもので、俺に巻き込まれた柳瀬さんを元の世界に帰すと言う理由だけで歩いている。
本で読んだり妄想するだけなら幾らでもやりたい事は思いつくが、それを実際に俺が苦労してやり遂げなければならないとなると話は別だ……。
ほどほどに魔法と異世界を堪能出来れば俺は満足できる。
何の後ろ盾の無い名声も、勇者パーティーの威光を鬱陶しく感じる貴族が簡単に奪い取る事も可能だと、俺はラノベ知識から知っているんだ。
だから魔王討伐の表向き代表はエドとエーゼに任せて、俺は裏方に努めるんだ。
リーダーはエドを置いて、サブをエーゼ。
柳瀬さんは魔王討伐後は元の世界に戻るから、後はしれッと勇者パーティーに加わっている仲間の立ち位置を確保すればオッケー。
最低限の報酬を受け取った後は国を出て別の国の地方でダラダラと暮らしていれば、国のお偉いさんも気に留めないだろう。
約半年この世界で過ごした結果、俺の魔法の腕があれば冒険者として食っていけなくなる事はないだろう。
だったらどうに出御なるはずだ……そう思っている俺の思考をぶった切る人が。むろん、最近は鳴りを潜めていたはずだった柳瀬さんの御小言だ。
「ダメだよ。一気に全部使っちゃわないにしても、ほとんどを貯金に回して継続的なお給金を貰える仕事をしなきゃ。冒険者を続けるなら今まで通り継続的に続けるべきだよ」
「貯金したって意味ないだろ。街に住むなら税金が必要だろうけど、それ以外なら毎日の食費だけ確保してたら後は魔法や一時的なもので凌げる」
「貯金は大事だよ……。ほら、将来の事を見越してとか、もしもの時に取って置くとか」
「最低限は常に持っているつもりだし、元の世界と違って各段にお金を稼ぐのが簡単なこの世界でわざわざ貯金に回す意味が見当たらない」
「それは今現在の話でしょう? 何時大怪我して動かなくなるか分からないし、急に魔法が使えなくなる可能性だって否定できないよ」
「だったらその時はその時で考えればいい。と言うか、魔王討伐後まで柳瀬さんに関与される筋合いは無いと思うんだけど」
「た、確かに無いけど……無いけど。無いけどッ! 人が心配してるのにその言い草は無いんじゃないかな?」
柳瀬さん、今日はかなり喰いついて来る。
正直って反論するのもめんどくさいからこれ以上突っかかって来ないで貰いたいのだが、適当に突っぱねると変に拗ねる可能性だってある。
しかし、俺も此処まで来たら「はいそうですか」と柳瀬さんの言葉に頷けないでいた。
俺の意見を誰かの都合で変えられるのは気分が悪い。
変えたくない信念……って言う程大層なものじゃないけど、感情論的に嫌なのである。
睨み合いは続く。
柳瀬さんは俺の顔をしっかりと直視して来て少しだけ照れ臭い気持ちになるが、俺だって負けじと目線を逸らさずいた。
言葉は無い。
それが返って柳瀬さんを意識してしまう事に繋がった。
程よく白く焼け、この世界に来てから現代技術の化粧品によるケアが出来ていないにも拘わらず荒れていない肌は瑞々しく潤っている気がする。
真っ直ぐで力強い瞳は俺だけを見ていて、彼女の瞳の中の俺が俺を睨み返していた。
あぁ、確かに柳瀬さんは可愛い。容姿だってラノベのメインヒロイン格にも劣らないし、性格も偶に鬱陶しい所はあれど概ね心地良い。
可笑しいな。二次元至上主義で現実なんて……と考えていた俺でさえ、そう考えざる得ない人だ。
……エーゼも同じくらい美形だと認識して、エーゼは美しいと思ってもあくまでも三次元に対する価値観のままなのにだ。
二次元の方が圧倒的に優れたと今でも考えている。
それでも、三次元と認識していながら柳瀬さんだけは二次元と同等の感情を抱いている?
なぜだろう。
心臓の音がうるさい。
本当は分かっている。
何度も何度も目にしてきた。
なぜ、だろう?
目を逸らせない。
経験しなくてもこれは分かっている。
冷静な部分は冷酷にその感情をくだ
「ごめん。……もう寝る」
させない。
一言、柳瀬さんに謝罪した俺は持っていた本を閉じてアイテムボックスにしまうとテントの方に歩いて行った。
「……ッ! うん、私の方こそ」
そんな柳瀬さんの言葉を背中に受けながらテントに入った。
魔法で灯りを作れば光源を確保して読書を続ける事は可能だが、今はそんな気分じゃない。
たとえ読書をして気分転換に徹しようと考えようとも、途中で色々と考えてしまって読書の邪魔になってしまう。
何度も繰り返し読んでいる本ならながら読みでも問題ないが、今読んでいるのは初めて目にする本だ。
地方の伝承や伝説をまとめた昔話集に近い奴。
異世界らしく奇怪な内容や冒険譚が多いが、今はそれも俺の気分を和らげてくれないだろう。
少し早いが今日はもう床に就くことにする。
俺の見張り番はエドと同じく後半だ。
どうせ後2、3時間もしない時間で寝なきゃならないならもう寝るに限る。
それに、毛布に包まったからと言って直ぐに寝れるような気分でも無さそうだから余計に早い方がいいだろう。
「ツカサ、また喧嘩したのかい?」
事の成り行きを見ていたエドがテント内に入って来て、開口一番ほんの少しの呆れを含みながらそう言った。
講和の使者だろうか?
まぁ、パーティーのリーダー的には仲間がギスギスしているのは見過ごせない事案だ。
「喧嘩……になるのか? 俺としては柳瀬さんが俺のパーソナルスペースに入り込み過ぎてるだけな気がするけど。ま、敵が出たらちゃんと連携はするから」
アレが喧嘩なのか分からない。
言い合いと言えば言い合いなのだろうけど、果たして喧嘩と呼べるほどの内容だったのだろうか?
……エドがそう言うなら俺と柳瀬さんは喧嘩したって事なんだろうな。
納得した俺はエドが心配している事について言う。
俺だって喧嘩しているからと言って命を懸けたやり取りの最中にサポートしないって意地悪はしない。
そもそも喧嘩している気がそこまで無いのだから普段となんら変わりも無いまでもある。
そう思ってエドに伝えたのだが、エドから帰ってきた言葉は予想外のものだった。
「そうじゃないんだけど……。オレが言いたいのは……いや、これ以上は止そう」
なんだよ。言いかけたなら最後まで言って欲しいぞ。
気になる。気になる…が、ここで追求したらエドから見た先ほどの柳瀬さんとのやり取りを知ってしまうかもしれない。
それは、何となく違う気がする。
あれは異世界転生当初から続いている、俺と柳瀬さんの性格の不一致が招いた衝突なのだ。
それ以上も以下も無い。無いったらない。
「そう。じゃあおやすみ」
「うん、おやすみ。また夜中に」
ガバッと毛布を頭まで被るとエドも隣の布団に転がったのを感じた。
それから近くして寝息を立て始めた。
寝付けの良い事で何より。少し羨ましい。
はぁー。一体柳瀬さんもエドも何が言いたいんだ。
もっと分かりやすく気持ちを伝えて欲しい。
……いや、エドはともかく柳瀬さんは純粋に俺の心配をしているだけなのだろう。
むしろ俺の方が分かりやすく気持ちを伝えずに、ただただひたすらに無視している。
ダメだ。そうやって考えるから意識するんだ。
エドの言った通り、この調子なら何時か戦闘中にやらかしても言い訳出来ない。
……ほぼ無意識でも発動する防御障壁でも考えて意識を散らそう。
そう、とある最強のキャラの様に出来ればエドの懸念も無くなるな。
オートで迎撃してくれたら、少なくとも俺が負傷する事は無くなる。
俺が負傷していないのなら他の三人が負傷しても俺が回復魔法で治すことが可能だ。
無詠唱で使うことは出来ないが、詠唱は本を読んで覚えたからな。
大怪我でも魔力量に物を言わせて治すことが可能……かもしれない。
今まで大怪我と言った怪我をして来た事がないならなぁ。
まぁ多分、エドが言いたい事はそんなことじゃないのは分かっていない。
認めたくない俺は遅くやって来た眠気に身をゆだねることにした。




