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久しぶりの学校だけど、連日早起きしていたおかげで気だるさはなかった。けれど、スマホにきていた一件のメールのおかげで、憂鬱な気持ちになってしまう。
差出人は、もちろん明希で内容は 必ず返事をしろ とのことだった。
一晩経つと人は不思議で、どうしてあんな態度をとってしまったのだろうっと冷静になれてしまう。
それでも昨日のことを思い出すと、自然と目の奥が熱くなってしまう。
誰も悪くない。
明希も、俺も、男も、女も、そう思いたい。
「あら、おはよう。今日は学校なのね」
部屋を出るといつものように、仕事に出掛けようとしている母さんがいた。
「はよ、うん、出校日だから……」
「そう、昨日眠れなかったの? 隈、出来てるわよ」
俺の目を少しこすってきた。
「やめろよ」
手を払いのけると、クスッと笑ってきた。
たぶん、この人は俺の様子がおかしいのに気がついていて、しかもそれが明希が関係していることもなんとなく察している。
「嫌われないようにね。鍵、お願いね。行ってきます」
あえて何も聞かない優しさに、少し感謝する。
下の洗面所の鏡で顔を見てみた。
「隈なんて、どこにあるんだよ」
あるのは目の周りの充血と少し腫れぼったい顔だった。
明希のいない学校なんて久しぶりだった。
去年はクラスが違ったから、明希のいない教室っていうのはそこまで違和感はないけど、いないのは記憶にないぐらいだ。
そういえば、クラスが違ってもアイツはよく遊びに来てくれてたよな。
今思うと、明希なりの優しさだったのかもしれない。
人見知りの俺が寂しくならないか心配だったんだろう…
「一人なんてめずらしいな」
「なんだ、太田か。はよ……」
「はよ、なんだって、無愛想なやつだな」
「ほっとけ」
たった二週間見ていない間に、肌は少し日に焼けていて男前になっていた。
学校に来る間に買ってきたのか、コンビニのパンを開けて食べ始めた。
「食うなら、自分の席で食えよ……」
「良いだろ、食べるくらい」
これだから運動のできる奴は嫌いだ。どこかガサツでそして怒れない。
俺は、わざとらしく息を吐いた。
「んで、今日は田畑は休みなわけ?」
「あ、あぁ……」
そうか、明希が女になると苗字呼びになるのか、なんか変な感じだな。
太田は、間抜けな俺の返事を聞いて口に含んでいたパンを飲み込んだ。
「……喧嘩でもしたのか?」
これがただの友達同士なら、きっとコイツの顔は神妙な顔つきだったと思うけど、今のコイツはただのゴシップ好きの女子の顔つきだった。
明希が来ない理由も分かるかもしれない。なんかイラつく。
「ただの体調不良だよ」
「ふーん、あの田畑がな……なぁ、聞きたかったんだけどさ、晴ちゃんは田畑のことどう思ってるわけ?」
だからちゃん付けするな。
しかも趣味の悪い質問に眉間のしわがさらに深くなってしまう。
「どういう答えを出せば満足なんだよ」
「なんだよ、気になってただけだよ。いつも一緒にいるからさ、友達としては気になるだろ? もし好きなら応援してやろうかなって」
俺の答えなんて聞かずに、もうすぐ朝のSTが始まるからと自分の席に戻ってしまった。
やっと一人になれて安堵する。
応援ね、男同士の時はしないくせに、好きかどうかなんかも聞いてもこないくせに。
俺は男でも女でも明希が好きだけで、俺だけが何も変わっていなかった。
STはまたクラスのお調子者のおかげで、賑やかだった。
課題を提出して、学校は半日で終わる。未だに明希には連絡できていない。
スマホの画面を睨みつけていた。
「おい、学校で携帯触るな」
気づいたら教室に生徒は俺だけしかいなくて、声をかけてきたのは森先生だった。
一応、教員という立場から出た言葉なんだろうけど、表情を見て取り上げるつもりはないことは分かってすぐにポケットにしまいこんだ。
「まだ帰らないのか? そろそろ帰らないと暑さが辛いぞ」
時間はもうすぐ14時になろうとした、クーラーのない教室は室内なのに蒸し暑くて、先生の首元には汗が流れていた。
「もうすぐ帰りますよ」
「なんだ、悩める青少年ってやつか?」
「そんなのじゃないですよ」
「……田畑となんかあったのか?」
母さんといい、大人は何も言っていないのに察してしまう。
こういうことが分かるのが大人ってことなんだろうか。
それなら大人なんてなりたくない。何も知らなければ幸せなんだから。
「明希は関係ないですよ」
俺が愛想笑いで返すと、先生は俺の近くの席に座った。
「たまには先生らしいことしてやるよ。話してみな」
「先生らしくないの自覚あったんですね」
「まぁな、おかげで主任の先生にはよく怒られる……っておい」
先生のノリツッコミに笑ってしまうと、笑い事じゃないぞっと怒られてしまった。
「すみません、でもホント、なんにもないですよ」
なんにもないっと言いつつ席を立てないでいる俺だった。
本当に聞かれたくなければ押し切って逃げてしまえば良いんだなのにそれが出来なかった。
きっとこの今の気持ちを、誰かに晴らして欲しくてたまらない。
「……お前等、進路の話とかしてるか?」
「え、進路、ですか?」
あまりにも真面目な質問に言葉が詰まってしまう。
明希と進路の話なんて、たしか三年生になったばかりに進路調査を配られた時ぐらいしかしてないような……
「なぁ、晴は就職と進学どっちなんだ?」
「俺? 進学だけど、なんだよまだ提出してないのかよ。期限明日だぞ」
「忘れてたんだよ、学校とかもう決めてんの?」
「候補はあるけど、お前まさか適当に俺と同じとこ書こうとしてるんじゃないだろうな? そういうのはダメだぞ」
「分かってるって聞いただけだよ」
「じゃあ何て書くんだ?」
「そこは秘密に決まってるだろ? 晴の方こそ俺と一緒にするんじゃないのかー?」
結局明希の進路は知らないまま今に至る。
気にならないといえば嘘になる。けれど、聞いてしまったら同じ学校、同じ進路に行きたくなってしまうかもしれなくて、怖くて聞けずにいた。
「お前と田畑って仲良いけど、距離があるよな」
「え?」
先生は、俺の顔を真っ直ぐ見つめてきた。
「男と女の仲っていうより男同士の友達というか……それもちょっと違うか、あぁ……別れたカップルみたいだな」
別れたカップルって、この人突然何言ってるんだ?
先生は妙に納得していてこれだこれだと頷いていた。
「えっと、明希と俺は何もないですよ?」
「分かってるって、例えばだよ。例えば……けどお前等見てると、ときどきくすぐったくなるんだよ」
「くすぐったく、ですか?」
「そっ、佐々木も大人になれば分かるさ。お前は我慢しすぎなんだよ。たまには自分勝手になってみれば良いんじゃないか?」
そう言って、いつかの時みたいに肩を叩かれて先生の相談教室は終わってしまった。
気付いたら時間は14時を過ぎていて、外から聞こえる蝉の声はさらに強くなっていた。
自分勝手に……
色々悩んで、悲しむよりは今を楽しめってことだろうか?
少しだけ心のモヤモヤが晴れた気もして、やっと明希へのメールを作成することが出来た。