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明希の"お願い"はかなり長かった。
たった数十円の小銭でここまでお願いされる神様も大変だな。
「よし、これでばっちりだな」
明希は満足そうに賽銭箱を見つめていた。
きっとこんなことしなくたって楽しい夏休みは過ごせてしまうんだろう。夏休みとはそういうものだ。
そんなこと明希も理解している。
無意味なことをさせるのは、明希のせいなのかそれともこの季節のせいなんだろうか。
「帰るか、もう18時過ぎてるぞ」
「そうだな」
それぞれの家を目指して自転車を走らせる。
後30分もすれば辺りは夜になってしまう、自然とライトが点いていた。
もうすぐ、分かれ道になるからなのか、明希は喋りだした。
「明日10時に、俺の家集合な」
「……図書館に行くなら俺の家の方が近いだろ、お前が来いよ」
「あー、起きれる自信ねーわ」
そっちから誘ってきたくさにっと怒りたくもなるけれど、これで、じゃあ俺の家に明希が来るってことになったら、いつまでもやってこない明希を迎えに行くことになるのが想像できて、分かったっと返事をした。
分かれ道に差し掛かり、お互いに自転車のブレーキをかけた。
「じゃあ、明日な。寝坊するなよ」
「それは、こっちの台詞だ」
「あはは、じゃあな!」
逃げるように帰った明希を、見えなくなるまで見送った。暗闇のせいなのか、明希の背中はいつもより早く見えなくなってしまった。
「また明日な……」
どこかそれが物足りなくて、いないはずの明希に言葉を贈った。この行為が歯痒さを増長させてしまう。
帰るか……
気を取り直して、家に帰ろうとハンドルを向けた。
「あっ……」
カゴに目線を落として、明希の上履きを預かったままのを思い出した。
自分のカバンの下敷きになっているビニール袋を手に取った。
「……ったく、ホント世話のかかるやつ」
先程までの気持ちが少し和らいだ気がした。
こうして、高校生活最後の夏休みが始まった。
けれど、これが始まりではなくて序章だと気づくのは次の日の朝だった。
「晴、アンタ出掛けるんでしょ? そろそろ起きなさいよー」
次の日、母親の声で目が覚めた。
「……んー……」
夏休みなのにっと、不満が出てくるが昨日の明希との約束を思い出して、スマホの液晶をつけて時間を確認する。
時間は8時47分
明希の家まで自転車で10分、後30分ぐらい寝ても間に合うか、カーテン越しに差し込む陽の光を見つめて起きることを決心する。
まずは、トイレにでも行くかと部屋を出て一階に行くと母さんが仕事に行くところだった。
「下におにぎりあるから、お昼は適当に自分でなにかしなさいよ」
「ん……いってらー」
「フフッ……寝癖、酷いわよ。明希ちゃんと遊ぶならきちんとしなさいよ。じゃあ行ってきます! あっ、玄関の鍵しておいて!」
そう言って、慌ただしく家を出て行った。
言われるがまま、玄関の鍵を閉めて台所に行くと、おにぎりとインスタントの味噌汁が用意されていた。
「っと、まずはトイレトイレ……」
そういえば、母さん明希ちゃんって言ってたよな。
ふと、先程のやりとりを思い出す。
時々、本人目の前でふざけて呼ぶことはあるけど、本人いない時でああ言うのは珍しいな。……まぁ今日はそういう気分だったのかな。
トイレを済ませて、洗面所で顔を洗って鏡を見る。
「そんなに酷いか?」
いつもより気持ちはねている髪を触る。ドライヤーをかけて、寝癖を直してもう一度鏡を見つめる。
「こんなもんだろ」
食事をするか、着替えるか悩むところだけどどうせ出掛けるんだから、と着替えを先にしてしまおうと上へ上がった。
部屋に入り、スマホで時間を確認する。
9時03分
明希を起こすために電話をするか迷うけど、まだ早いかっと携帯を閉じて、パジャマにしていた体操服を脱いだ。
ピンポーン、ピンポンピンポンピンピンピン……
急に鳴り響くチャイムに驚かされて、パンツ一丁で出るわけにはいかなくて慌ててジーパンとTシャツを着た。
「そんなに鳴らさなくたって聞こえてるっつーの」
確認のため、ドアホンの画面を見ると、このくそ暑い日に黒い長袖のフード付きのパーカーを着て、しかもフードを深く被って顔を隠している人間がいた。
見るからに怪しくて、ドアを開けるのを躊躇する。
不安を抱きながら通話ボタンを押して話しかけた。
「……どちらさまですか」
「晴! 俺だ! 明希だ!」
「明希? すぐ開ける」
液晶についてる時計を確認すると9時14分。集合にはかなり早い時間だ。
明希が寝坊しないなんて珍しいというよりも、集合時間よりも早く来るなんて今まであっただろうか、体調でも悪いのか? それに、いつもと声が少し違ったような……
慌てて玄関の鍵を開けると、勢いよく明希が家に入ってきた。フードを被って身を隠している明希はいつもと様子が違っていた。
「明希?」
「晴、俺……」
そう言って、明希はフードをゆっくり外した。
「俺、女になっちゃった」
目の前には、少し背が低くて、髪が肩ぐらいまであって、骨ばっていない、どことなく明希に似ている女の子がいた。
走馬灯のように母親との会話を思い出し、そして最後に思い出したのは、昨日の神社での自分の行為
" 明希が女になって、そして俺と付き合ってくれますように "
俺の思考と息が止まった。