19
神様は残酷だ。明希を女にした時も思っていたけど、可愛い可憐な少女の形で最後にとんでもない選択を俺に提示してきた。
夏の終わりを知らせるヒグラシの鳴き声は、空っぽの心によく響く。
夏の終わりといっても涼しいわけではなくて、動けばすぐに汗ばむし汗の匂いのせいか虫が自然と自分の周りに寄ってきて少し気持ち悪い。ショッピングセンターを出た後、自然と足はあの神社へと向かっていた。母親に頼まれた杏仁豆腐は、冷やすとゼリー状になる。まだ液体の状態のままのせいかずっと持っておくのも面倒くさかったけど、自転車のカゴに放っておくのは気が引けて格好が悪いが持ったまま、この夏何度も睨みつけた祭壇に来ていた。
神様に言われた条件なんて思いつはずもなく、それでもただ帰るだけじゃ俺の気が済まなかった。また無駄な投資をしようとポケットから財布を取り出した。
「またお賽銭を無駄にする気?」
「っ……」
突然現れた神様に身体は大きく反応して、一歩後ろに下がってしまった。彼女は賽銭箱を椅子代わりにして俺を見上げた。
「まさか、ここに来るとはね。それで、今まで変わらないことをしてどうするつもり?」
呆れている様子、いや、これは馬鹿にしている態度だった。一歩後ろに下がった体を前進させて彼女を見つめた。
「別に、今までと同じようなことなんて……」
「じゃあ、何をするのよ」
とっさに出た強がりはバレバレで思いついたことを小声で言った。
「土下座、とか」
「無駄ね」
即答で答える神様に分かってるっと捨て台詞を生意気にも言ってしまう。
「ヒントぐらいくれてもいいだろ」
「どうして?」
もう俺には隠す必要もないのか、小生意気な少女のフリを一切しない様子は俺の背筋を凍らせる。それでも、なんの意地なのか屈したくない俺は少し顎をあげて無理に微笑んだ。
「どうしてって……明希を元に戻すために決まってるだろ」
恐れ多くも鼻で笑ってやったら、まるで鏡のように全く同じことを彼女はしてきた。
「元に戻す必要はあるの?」
神様に虚勢なんて通じない、俺の心の奥の奥にある感情なんて分かりきっていたんだ。
このまま、明希が男だったことを忘れてしまえば丸く収まるんだ。揺らぐ気持ちに下唇を噛み締めた。何も言い返せないでいる俺を見てわざとらしく溜息をつかれた。
「必要はない人にヒントを与えたくないわね」
「必要はある!」
「……神の前で嘘をつくなんて大したものね」
「これは俺の我儘だろ……そんなの許されるわけない、だろ」
「神様が良いって言っているのにそれ以上に誰の許しが必要なわけ?」
「明希は元に戻りたいんだ!これ以上俺の我儘のせいで辛い思いはしたくないんだよ」
「そうかしら?」
「なっ……」
「だって彼、楽しんでいたじゃない。女としての生活を……それに、貴方だって楽しかったでしょ?だから、キスをしようとしたんでしょ?」
「……やめろ」
「本当はこのまま記憶がなくなればいいって思ってるくせに」
「やめろ!」
「そうすれば、貴方は幸せになれるのよ。もう辛い思いをしなくてすむのよ。」
「やめろ!!やめろ!黙れ!」
口を塞ごうとするが、当然触れることなんて出来なくて俺の手は彼女を通過して、その場で膝をついてしまった。情けない姿を見下ろしながら彼女は溜息を吐き出した。
「ホント、人間って不思議ね……これ以上、馬鹿なことに付き合っていられないわよ。早く帰りなさい」
「頼む、どうすればいいんだよ……教えてくれ! 教えて、ください」
見上げた彼女の顔は凛としていて冷たい感情のない表情をしていた。
「ママにでも聞いてみたら?」
そう言って消えてしまった。すっかりと暗くなった神社は不気味で先程の彼女の表情のように冷たく感じる。なぁっとか弱々しく呼んでみるけれど現れてくれるはずもなく途方にくれる。
帰ろう、よろりと立ち上がり自転車に向かう。杏仁豆腐が重くてビニールが掌に強く食い込んで痛かった。
「遅かったじゃない、どうしたの?」
家に帰ると母さんが夕食の準備をしていた。大皿に用意された唐揚げの山を見つめる。いつもなら好物の出来立ての物があったら口の中は唾液が溜まり、つまみ食いしようとするのにそんな気分にはなれなかった。
母さんには別にっと愛想のない返事をして、買ってきたものを手渡した。
「ありがとう……」
心配そうな目をしている母さんと目が合ってしまう。何も悟られてほしくなくて逃げるように自分の部屋へと向かった。階段を上る途中でもうすぐご飯だからねっと声をかけてくれたけど返事をすることはなかった。
部屋のドアを開けて、持っていた財布を自転車の鍵と携帯を無造作にベットへ放り投げた。無性に身軽になりたくて出来れば微かに痛む心臓もどこかに放り投げてしまいたい。鍵を投げるとチリんっと耳障りな音がしてその音が聞こえないように布団へ潜った。
そういえば、あの憎たらしい神が言ってたなアサガオの花言葉を調べてみろって……
潜った布団から顔をだして、適当に放った携帯を探す。インターネット機能で ” アサガオ 花言葉”と検索して適当なページを開いてみた。
アサガオの花言葉は 愛情、固い絆そして はかない恋
これがなんだというんだ。明希が俺に向けてのメッセージだとでもいうのかよ。鼻で笑って携帯の画面を消した。
「はかない恋、ね」
馬鹿馬鹿しい、本当に馬鹿馬鹿しい……
下からご飯が出来たと母さんが呼んでいた。
箸が重たい。
か弱いアピールとかそんなのではなくて、こんな棒切れを持つ体力も気力もなかった。腹は減っていないけれど心配かけたくない一心で無理やり脂っこい唐揚げを流し込む。
母さんは何か言いたそうな表情をしていて一生懸命話題を選んでいた。
「随分と焼けたわね……」
言ってきた言葉と表情が合っていなかった。本心はそんなことを聞きたくないことなんてバレバレだ。
「まぁ、結構出掛けていたからな」
「……明希ちゃんと?」
ホント、親ってどうしてこうなんだろうか。放っておけばいいのに……
「あぁ……」
「……どこ行ってたの?」
「どこって別に大した場所は行ってねぇよ。川とか、水族館とか、映画とか……祭りとか」
明希の顔がちらついてその度に胸がズキズキと痛む。
「祭りって虎橋神社の?」
「そうだけど」
「お願いしたの?」
「夏休み最初にな。明希が夏休みが楽しく過ごせるようにお願いしようって……」
「仲良くなれますようにじゃなくて?」
「なんでそんなこと願うんだよ」
「あら、知らないの? あそこは願いが叶う神社なのよ」
「らしいな、明希から聞いたよ」
ホント、よくできた神様だよ。小生意気な彼女の顔を思い出す。
「あらやっぱり女の子ね。ならお願いの仕方も知ってたの?
「仕方?」
動かしていた箸を止めた。母さんの方を見ると唐揚げを頬張っていて俺の目線に気づいて慌てて流し込んでいた。
「知らないの? それじゃあ叶わないわよ。あそこはね縁結びの神様がいるらしんだけど想い合っている二人が同じことを願うと叶うらしいのよ。昔、お父さんと初めてのデートで行ったときにねお母さんそのこと知らなかったんだけど、お父さんと結婚出来ますようにってお願いしたの。ただの神社に何言ってんだろって思ったんだけどね……結婚式の日お父さんにそのことを話したら、実はって教えてくれたの。凄いでしょ?」
正直、親の馴れ初め話なんてどうでも良かった。それよりも今とんでもないこと言わなかったか?口を震わせながらなんとか言葉を振り絞った。
「なぁ、今のもう一回言ってくれねぇか?」
「え? だから、お父さんとお母さんはー……」
「そうじゃなくて、願いが叶う方法だよ!」
「な、何、焦ってるのよ」
「良いから! 教えてくれよ!」
「……だから、想い合っている二人が同じ願いをすると叶うのよ」
必死な俺の姿に驚いたのか、そう言いながら目線を逸された。
「それって、好き合ってないとダメなのか?」
「さ、さぁ……けど、同じ願いが出来るのなんてそういう仲じゃないと無理じゃないの?」
箸を持っていた手は力が抜けてしまい、茶碗に当たりながら床に落ちてしまった。母さんにソレを注意されるけど俺の思考は拾うことよりも、母さんが今言ってきたことを脳内で繰り返すことで頭がいっぱいだった。
母さんの言っているのことが本当だとすれば、あの日俺が明希が女になれと願ったからこうなってしまったと思い込んでいたけど明希も同じ願いをしていたから……なったっていうのかよ?
「そんなの……」
信じられなくて首を左右に振ってしまう。
だって、そんなのおかしいだろ。なんで明希が、自分が女になりたいなんて……
先程、調べたばかりのアサガオの花言葉を思い出す。愛情 固い絆 はかない恋 わざわざ俺のために選んだとすれば……明希は、もしかして俺のことが好きだった。のか?
わけがわからなくて、顔を覆い髪の毛を掻いてしまう。
「晴?」
母さんの顔があの憎たらしい神様の顔に見えてしまう。
” ママにでも聞いてみたら? ”あの冷たい言葉を思い出して思わず舌打ちをしてしまう。くそ、こういうことかよ!
「……俺、明希のところに行ってくる」
「はぁっ?! アンタ、何時だと思ってるの?」
時間を確認すると、もうすぐ20時になろうとしていた。神様の言う通りなら明希が元に戻るまで残り4時間。完食していない夕飯を残して席を立って携帯を取りに行こうとした。
「ちょっと! 待ちなさい!」
「ごめん、今は時間がねぇから!」
急ぎ足で階段を上がってベットに放り投げた携帯と自転車の鍵を探し出してポケットにしまう。行く準備は出来ている。けれど足が重くて動かない。このまま明希のところに行って元に戻れと言って今までの生活に戻るとする。そう、何もかもが元通りんいなるんだ。大好きな明希とは一緒になれない未来が待っている。さっきの俺の考えが正しいとしたら、このまま明希が女のままでいればもしかしたら永遠に一緒にいられるかもしれない。
明希だってその方が幸せなんじゃないのか? けど、ならあの日アイツは泣いていたんだよ。泣くってことは嫌だったんだろ? つまり女としては嫌だったってことだろ?
こんな時に何を迷っているんだ。正しい俺とズルい俺が胸の中で喧嘩をする。俺は、何がしたい、どうしたい、何が正解で何が不正解なんだ。明希の泣き顔を思い出して苦しくなりその場にうずくまってしまう。
「明希、あ……き……」
正解がどこかにないかと、辺りを見回してしまい目が回る感覚になってしまう。
その時ガサッと音が聞こえてきた。エアコンの風に当たったせいか部屋の隅に置いてあったビニール袋だった。ソレは夏休みが始まる日に明希から預かっていた上履きだった。
そういえば返していなかったなっと、気になって手を伸ばし、引き寄せ中身を取り出す。明希の私物は女物になっているはずだ制服もそうだった。けれど上履きはあの女の明希にしては大きく感じた。たしか、俺とあまり変わらない足の大きさのはずだ。つまりコレは男の明希のままでここにいてくれた。
まだ存在しているんだ。男の明希が……
俺はそれを大事に抱きしめた、抱きしめて思い出すのは男の明希と女の明希の二つの姿。どちらも大好きで愛しい。
どちらも離れがたくて、大切な俺の好きな人。
そして俺はある決断をして、上履きをビニール袋にしまった。
俺の願いは___




