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18年間生きてきて、あれ以上の痛みを俺はまだ知らない。
明希への想いは、最初から無かったわけじゃなかった。
一緒にいたいと思うのは友達だから、告白されてるのを聞いてモヤモヤするのは羨ましかったから。そういう風にして、この想いから目を逸らしていた。
あの時までは、ただの親友だからだと思い込んでいた。あの時までは……
あれは、俺の誕生日がすぎてもうすぐ夏になろうとしていた時期だった。
明希に無理矢理誘われて始めたバスケ部は、夏の大会に向けて部員全員が必死に練習していた。
ピィーッ
先生の吹いたホイッスル音が聞こえてきた、この音が鳴るときは先生が何かいう合図なので、やっていたシュート練習を途中で止める。
全員の動きが止まるのを見て先生は喋り始めた。
「今から30分の休憩、その後3on3やるからな」
「はい!」
生徒全員の返事が体育館中に響く。
きちんとコレが出来るのは、一年生の頃から植え付けられた協調性という教育のおかげだ。
「あー、汗やべー……」
休憩に入った途端に明希は力が抜けたようにその場に座り込んでしまった。
「まだ5月だっていうのにこの気温だと、今年の夏は厳しそうだな」
「うえー、今年の夏で俺は溶ける、絶対溶ける!」
「何言ってるんだか、ほら、茶飲まないのか?」
俺は止まらない汗も拭いたくて、荷物が置いてある下駄箱まで行きたかった。
体育館の中では飲食厳禁のため、水分補給もそこでするしかなかった。
「歩けない、引っ張ってください……」
座り込んだまま手を差し出してきた明希をしぶしぶ引っ張っると、よっこいしょと声を出しながら立ち上がったてくれた。
「ったく、休憩時間終わるぞ」
そう言うと、舞台側に備え付けられている時計に目線をやると、既に5分時間が進んでいた。
「俺、水が飲みたいから給水所に行こうと思うんだけど……晴、どうする?」
給水所は、体育館から少し距離の離れた場所にある。
疲れた体を1分でも休めたいと思っていたので、首を左右に振ると、明希はそっかっと返事をして一人で給水所の方へ行ってしまった。
体育館の外に出て自分の荷物から水筒を取り出し、お茶を一気に流し込み一息ついた。
耳に聞こえてくるのは、野球部の顧問の怒声と部員の掛け声、吹奏楽部の統一感のない楽器の音。
体育館の中を見ると、新入生達が俺達の流した汗をモップで拭いてくれている。
去年は俺達がしていたんだよな……
そういえば、明希が去年やっていた時「絶対、俺達が先輩になったら、こういうことさせないでやろうな」って言ってたっけ?
結局、先輩になった今、やらせちゃってるんだよな……
当時のことを思い出して、フッと吹き出してしまった。
「なーに、楽しそうなこと想像しちゃってるんだか? 佐々木ー」
「なんだ、相模か、ちょっと思い出し笑いだ」
明希かと思って前を見ると、部活仲間の相模だった。
「思い出し笑いする奴は、エロいらしいぞ」
「バカっ……くだらねぇこと言うなよ」
相模は2年の中で1番背が高く、バスケが上手い。もちろん次の夏の大会では先輩に混じってスタメン入りが決まっている。おまけにしっかりしていて後輩想いで、噂では次期部長らしい。本人はありえないって言ってるけど、噂は恐らく本当になるだろう。
「そういえば、田畑は? 後10分で集合だぞ」
後10分、つまり5分前には準備が出来ている状態にしないといけないので、残り休憩は5分しか出来ない。
「給水所に行ってるはずだけど……しょうがない、呼びに行ってくる」
無駄な体力を使いたくないから行くのを断ったのに、結局はこうなってしまうのか。
重い腰を上げた。
「田畑の世話はお前しか出来ないからな。た の ん だ ぞ」
「俺はあいつの保護者じゃない」
茶化されるのは恥ずかしいけれど、別に悪い気はしなかった。
その時は変な意味ではなく、明希の特別であることがとても嬉しく感じられたからだ。
給水所に近づくと明希の背中が見えた。
「ったく、いつまで水飲んでるんだよ」
そっと近づいて驚かせてやろうと、忍び足で近づいた。
けれど、驚かされたのは俺の方だった。
そこには、明希だけじゃなく女生徒もいた。
思わず、一歩後ろに下がってしまい、バレないようにしゃがみこんで二人を観察した。
明希の顔は見えないけど、女子の顔は少し俯いていて耳を真っ赤にしていた。
明らかにただの談笑ではないことが分かってしまった。
「マジかよ……」
思わず聞こえないように溜息を吐いた。
明希が告白されるのは、今に始まった話ではないけれど、告白現場を見るのは初めてだった。
いつも、学校の帰りとかにこっそり事後報告で教えてもらうばかりで、なんだか生々しかった。
お相手の女子は、確か3組の子だっけ?
6クラスもある学年の特に女子の顔なんてあまり覚えてもなくて、その子の名前さえ出てこない。
けれど、背が明希よりも小さくてちょっと胸も大きくて可愛い子という印象だった。
何て答えるんだろう?
もしかしてもう返事をしたんだろうか?悪い気もしたけど、聞き耳を立ててしまった。
__今思うと、ここで相模の元へ戻れば良かったと思う。
「ごめん、俺、好きな人がいるから」
ズキンッと心臓が締め付けられて、息が止まった。
なんだよ、これ……苦しくて、浅い呼吸を繰り返してしまう。
明希はじゃあ、俺、部活があるからっと、落ち込む女子を置いて小走りでこちらに向かってきて、しゃがんでいた俺は見つかってしまった。
「お前、なんでそこに……もしかして、聞いてたのか?」
心臓が痛くて、上手く呼吸ができなくて苦しかったけど、ソレを悟られないように苦笑しながら答えた。
「遅かったから、呼びに来たんだけど……モテる男は大変だな」
「そんなことより! どこから、どこから聞いていたんだ⁈」
俺の渾身のジョークに笑いもせず、怒った表情で聞いてきた。
ズキンッ
心臓の痛みがさらに増す。
「……今来たばかりで何も聞いてない」
こんな嘘、すぐにバレてしまうって分かっていたけど、そう答えることしか出来なかった。
明希は納得のいっていない表情をしていた。
「そっか、もう時間だろ。部活に戻ろうぜ」
そう言って先を歩く明希の背中は遠く感じた。
そして、誰にも聞こえないような声で一言呟いた。
「待って」
ズキズキっと痛む心臓は、結局家に帰っても治らなくて夕飯も食べずに布団に潜り込んだ。
とにかく、苦しかった。
どうして? どうしてこんなに苦しいのか分からなくて次第に涙が出てきた。
何が悲しい? 明希が告白されていたこと? 確かに面白くはなかった。けれど、それだけじゃない。
何かがこの痛さの原因だったんだ。
”ごめん、俺、好きな人がいるから”
明希のあの台詞を思い出して、また心臓を締め付ける。
明希に好きな人がいた。知らなかった。
俺の知らないところで、明希は誰かを想っていたんだ。
”どこから聞いていたんだ⁈”
あんなに怒った顔をして、きっと聞かれたくなかったってことだ。
あぁ、そうか、明希は俺じゃない誰かを好きになっているのか……
俺、明希が好きだったんだ。
この時に時々あった違和感も全部、納得がいった。
そして、この想いが実ることがないことも知ってしまったんだ。
中学二年の未熟な心では、この苦しさの対処なんて分からなくて俺は明希と現実を避けてしまった。
無理矢理誘われてやっていたバスケも、明希が言ってきたからやっているんだと気づいて、馬鹿馬鹿しくなってしまい、夏になる前に退部してしまった。
この気持ちを殺してしまえ。
当時の俺は、毎晩自分にそう言い聞かせていた。




