13
断崖の絶壁から飛び込む、とまではいかないけれどそれぐらいの覚悟を持って、明希が待っている出口に急ぐ。
出口のゲート辺りには、退屈そうに待っている明希がいた。その姿は、デートの待ち合わせで待ちぼうけしている彼女のようだった。
「ごめんな、お待たせ」
「遅ぇよ、デカイ方だったのか?」
「お前、もう少し言葉使い直せよ……」
「人を待たせておいて説教するなよ、こっちは待ちくたびれてるんだよ。大体な……」
延々と続く明希の小言なんて耳に入っていなくて、このままさっきのことなんて、忘れて流れてしまえっと願っていた。
「おい、聞いてるのか?」
心ここにあらずの俺を見抜いてか、明希は強い口調で呼びかけてきた。
「聞いてる、聞いてる……だから悪かったって、もう外も暗いし帰るぞ」
そう言いながら、明希の両肩を押して出口のゲートを出るように誘導する。
明希の肩は小さくて細くて、手に当たる髪は柔らかくて、このまま抱きしめてしまいそうになる。
本当は、流してなんてほしくない。俺の気持ちに気がつけよ、バカ明希。
手の力が無意識に強くなる。
明希は誘導されるがままゲートを出て、俺の手を振り払った。
「肩、痛かったか?」
「別に、痛くはねーけど、お前さっきから何か変だぞ」
「変って、なんだよ……」
明希は何か言おうと口を開けるが、声は出さずに深く息を吐き出した。
「もいいや……腹減った、帰ろうぜ」
そうだなっと言葉を返して明希の横を歩く。
海が近くにあるせいか、息を吸い込むと潮の匂いがして風がベタついた。
数時間繋いだ手が気になって無意識に目線がいってしまう。
帰りの電車は、帰宅ラッシュのせいか混雑していて座れずにドアの近くで立っていた。
夜の帰宅ラッシュはお酒やタバコの匂いがして、吸いすぎ酔ってしまいそうだ。
「明日はどうする?」
明希の良いところは、先程まで機嫌が悪かったのに時間が経つとケロッと忘れてくれるところだ。
それに救われることもあれば、悲しくなることもある。
「一日ぐらいゆっくりするとか、そういう案は出ないのか?」
「先週一週間休めたろ、あー、海に行きたい衝動が……」
「別に夏じゃなくても、秋でも、冬でも行けばいいだろ」
「この夏が良かったんだよ……」
我儘を言う彼女が面倒くさいというのを聞いたことあるけど、好きなやつから言われる我儘ってなんでこんなに可愛いだろうか……
頭を撫でたい手は強く握って、痛みでその衝動を抑える。
「水遊びで良いなら、川にでも行くか……ほら紅葉で有名な 紅彩渓って川遊びが出来ることでも有名だろ」
「……晴にしては良い案だすな、じゃあ明日はそこで!」
俺にしてはって、失礼なやつだな。
けれど満足したのか、機嫌よく鼻歌を歌っている横顔でどうでも良くなかった。
「あっ、そうだコレやるよ」
明希はポケットから少しクシャけた小さな紙袋を差し出してきた。
中からは微かに鈴の音が聞こえる。
「何だよ?……」
変な物ではないだろうけど、不審に思いながら受け取って袋から取り出すと水色のイルカと紫色のアサガオのオブジェがついたストラップだった。
鈴はローズゴールドカラーにコーティングしてあった。
「お土産、可愛いだろ?」
「可愛いっていうか……俺に?」
「他に誰がいるんだよ」
誰って。コレどう見ても女にあげる物だろ。
たぶん、明希の想い人にあげたかったんだろうけど、女のままじゃ渡せないから俺に渡してきたんだろうな……
「鈴の色だけど、それは晴の色なんだぜ」
「俺の色?」
「春生まれのお前にぴったりだろ」
「そうか……」
きっと衝動的に買ってしまって、色々理由付けを考えたんだろうな。
いらないっと突き返してしまうこともできる。けれど、あえてそれをしなかった。
「こんな可愛いのどこにつければいいだよ?」
「自転車の鍵とかつければ? ほら、鍵って無くしやすいだろ」
「俺は無くしたことないけどな……」
苦笑しながら言われがまま、自転車の鍵にストラップをつけると、電車は地元の駅に到着した。
帰りの自転車で漕ぐ度に聞こえてくる、チリんっと鳴る鈴の音は耳障りでしかたなかった。
明希が今年の夏にこだわるのは、高校生最後だからっと言っていた。
けれど、それだけの理由にしては執着しすぎな感じがする。
まるでこの夏で世界が終わってしまうかのような、一体明希の目にはこの夏どう見えているんだろうか?
ビーチサンダルにショートパンツ姿で川に足を突っ込んでいる明希はとても楽しそうだった。
俺はUVカットができる黒いパーカーのフードを深く被りながら、日陰に座り込んで太陽光でキラキラと反射する川を見つめる。そんな俺を見かねて明希は声をかけに来た。
「暑くねぇの?」
「暑い……」
「フードぐらい外せば?」
「これ以上焼けるのは嫌だ」
「ここ、木陰なんだから大丈夫だろ」
「紫外線舐めるなよ」
今朝、鏡で顔を見たら随分と黒くなった顔を見て絶望した。
同じ時間出かけてるのに、どうしてコイツは焼けないんだ……
つい、明希を睨みつける。
「川、入らねぇの?」
「太陽の下に出たくない……」
「フーン……携帯、ここに置いておくから見ててくれよ」
「んー……」
そう言って、明希は一人で川に行ってしまった。
あれ、これどこかで見た光景だ……あぁ、そうだ。ショッピングセンターで一人で買い物に行かせた明希を思い出す。
また、同じことを繰り返すのか俺は……
自然と思い腰を上げて、川で遊ぶ明希に近づいた。
明希はやってきた俺を見て驚いていた。
「どうした?」
「少しぐらい水に触れたくてな……」
そう言うと、明希は鼻で笑って俺の右腕を引っ張った。
「お、おいっ!」
急にされたことにバランスが崩れて、倒れそうになる。
普通なら、踏ん張って転ぶまでは行かないけど、川の底のぬめりとサンダルのおかげで滑ってしまい尻餅をついてしまい、下半身は水に浸かっていた。
突然のことで、頭は真っ白になる。
明希はそんな俺を見て呑気に笑うだけだった。
笑い事じゃないぞ、着替えもないし、この後バスに乗って帰るんだぞ、分かっているのか?
そんな想いをこめて思いっきり、明希に水をぶつけた。
「へくちっ……」
お互い水を掛け合って、一時間ぐらい経った頃だろうか疲れて休憩をとると身体が冷えてしまったのか、明希は可愛らしいくしゃみをした。
「着替えもないのに、どうするんだよ……」
「かけてきた奴が言うことじゃないだろ」
「そもそも、お前が引っ張らなければこんなことにはなっていない」
「フフッ、あの時の晴の顔間抜けだったな」
今の状況、分かっているのか?
呆れながら、肌寒いのか体をさする明希に着ていたパーカーを貸してやった。
「……良いのか?」
「日陰だしな……」
「ありがとな」
男のサイズの服は女の体に合わなくて、ぶかいのか袖は萌え袖という風になっていた。
髪は少し湿っていて艶っぽい。なんか、エロいな……って、何考えてるんだよ!
最近の明希を可愛いって思うことが多くて、つい生々しく見てしまう。
思春期って、怖い……思わず恥ずかしくて手で顔を覆う。
「なぁ、晴」
「な、なんだよ……」
「俺、晴にずっと聞きてぇことがあったんだけどさ……」
「あ?」
顔を覆うのをやめて明希の方を見た。
「中学二年の時、どうして俺のこと避けてたんだ?」
明希の髪の色と一緒の瞳は、俺を捕まえていた。
あぁこれは逃げられない。そう確信して思わず唾を飲み込んだ。
濡れているパンツのことなんて気にならなくなっていた。




