3話
「クソッタレ。まるでカマを掘られた気分だ」
「そこまで汚い言葉を使うつもりはないけどわたしも同感よ。全員殺す」
夜が明けると、避難場所の廃墟の町ケノービーのランドマーク、ジャバビルディングの屋上からもバドワイザー基地をゾンビがうろうろするのが見えた。ミランダは舌打ちをして双眼鏡をサイドカーに放り投げ、基地を失ったベックマンの顔色を窺った。
「俺も同意見だ。あの場所は腐ったゾンビ共にはもったいねぇ。取り返すだけの価値がある。だろ? ベックマン」
ベックマンの表情は晴れなかった。父の代から受け継いだ十年来の同志と設備を失った男に笑えと言うのは無理があったが、せめて怒りくらいは持つべきだろうと兄妹は思っていた。しかし抜け殻のように生気を失ったベックマンは言葉を投げかけても返事すらしなかった。
「……ベックマン。今すぐとは言わない。元気を出せ。俺が学生だった頃、学校にはお前たちみたいなオタクがたくさんいたよ。なんでそんな恰好で学校に来て恥ずかしくないんだってくらいダサい、まるでママが買ってきた服だけを着てるようなダサい恰好でビンの底みてぇなメガネをかけていつも同じようなイケてねぇ仲間同士で寄り添ってフットボールクラブやチアリーダーにビクビクしてるようなヤツら。でも俺はお前らみたいなオタクをバカにしたことはないぜ。何故なら俺は、世界を新しくするのはいつだってお前たちみたいなオタクだって信じてたからだ。お前らは確かに学校では弱者だったかもしれない。だが、アメフトクラブやチアリーダーなんかよりもずっと賢くて情熱的だってことはお前らが一番よくわかってるだろう?」
「キングストンのことは残念だったわ。でもトーレス達はまだあの基地のどこかでゾンビに怯えながら捨て犬のように震えているかもしれない」
ミランダはサブウェイのホームから覗いた線路のように暗い顔をしているベックマンに、廃墟の町のイチバンマーケットからかっぱらってきたライフルの柄を、離したら空に吸い込まれていく風船のヒモのように大切に握らせた。
「使い方はわかるわよね? バイクのキーは渡しておくから、いざとなったらそれで逃げてちょうだい。でも絶対に返してね。あれは伯父さんの形見だから」
チャールズは廃墟の町からかっぱらってきた銃器、薬物、食品、おもちゃ、家電といった普段の生活で身の回りにあるゾンビ殺しに使える日用品をどんどん車に積み込んでいく。もちろん、ミランダが久ぶりにチャールズの車に乗るのだから、彼女が座るスペースはあけて。
「ベックマン。もしトーレス達が無事に帰ってきた時にもそんな顔してたら、トゥインキーがあってももう一緒にディナーは食べてあげないから」
〇
あなたの通っていた学校にもきっといただろう。だから想像してほしい。いつもヨレヨレのジャケットを着ていて、猫背で歩いてボソボソ喋る。イケてる生徒たちからは無視され、背中にKick meと書かれた紙を貼られて、ケツを蹴り上げられる。そんなイケてない数学の教師。あなたが想像するそのイケてない教師の全身の肉が腐り、悪くなったレバーのような色の血を滴らせながら、生前にもまして猫背でウーウー言いながら歩いている姿を。ショーン・ペリーはまるでスミソニアンの“イケてない教師博物館”の標本が動き出したようなお手本通りのイケてない教師だった。パーティ好きのバッドガイな学生、バズ・ラングストンに腕を噛まれてゾンビになってからはケツを蹴られる機会は二十代の頃の彼と比較した現在の彼の髪の毛のように減り、やっと生徒たちと同じ意志を持って行動できるようになった。
「おっと一時停止線を見逃したかな?」
ショーン・ペリー(享年47歳、ゾンビ年齢7歳)。チャールズ・ノーマンの運転するインパラのバンバーは幾度となく蹴られた彼のケツに強烈なキックをお見舞いして腰の骨ごと粉砕し、髪の毛の残っていない頭は車輪と地面に挟まれて果物のように潰れた。
「愛車が腐ったゾンビたちの血で汚れることも厭わず、骨や衣服が車輪に巻き込まれたら一大事だってことも忘れてベックマンとの友情のためにゾンビを轢き殺す兄さんってなんて勇敢で素敵なの! そんな兄さんはきっと今夜のペプシコーラは我慢して、洗車の代金と同じ額をきっとベックマンに投資するのね!」
「ンだ?」
体育教師だったリンキン・ロックウェル(享年34歳、ゾンビ年齢7歳)は一部の女子生徒から「あの筋肉がステキだわ!」と好評だったが、ゾンビになってからは飛び出してきた車に気付くことも出来ず今日、カリフォルニアで交通事故により命を失った二人目の人物になった。
「気にしないで。独り言よ」
ミランダは助手席の窓を開け、ヒドラの首のようなショットガンをゾンビに向けてレバーを引く。マーク・パディントン(享年28歳、ゾンビ年齢8年)は地元の名士でいつかはカリフォルニアの州知事になると言われていた弁護士だったが男色家であり、公衆トイレの隙間から隣の男に「やらないか」と金を差し出した。隣の男が囮捜査の警官だったってことも知らないで。あぁ、なんてかわいそうなマーク・パディントン! 男色趣味は頭を吹っ飛ばされるほどの重罪じゃないのに!
チャールズは車を減速させ、全ての窓を開け放って換気した。生意気な妹が目に涙を滲ませて咳をし始めたからだ。車の中には硝煙のにおいが充満している。
「硝煙を考えずにそんなもん撃っちまう妹を持てて俺は幸せだぜ!」
「うぅ、ごめんなさい兄さん」
九時の方角約五十メートルにトヨタのセルシオが止めてあるのを見つけたチャールズはインパラをバズ・ラングストン(享年18歳、ゾンビ年齢8歳)の上に駐車し、積荷のミッキー&マロリー社の冷凍チキンブリトーのパックをありったけ持ってセルシオに向かって走る。ガラスを撃って割り、冷凍チキンブリトーの袋を破ってセルシオの中に投げ入れてやった。ミッキー&マロリー社のチキンブリトーは昔っからマズくてあんなものを食べるのはゾンビくらいのものだとよく悪いジョークに使われていた。もちろん、冷凍されないまま何年も廃墟のイチバンマーケットに置きっぱなしされていた冷凍チキンブリトーはとっくに腐っていたから、本当にゾンビしか食べられないシロモノになっていた。なんでチャールズがそんなものをかっぱらっていたかって? 腐ったミッキー&マロリー社のチキンブリトーはゾンビたちの大好物だからだ。
ネイジャー・ラミレス(享年15歳、ゾンビ年齢8歳)やナオミ・ヒッグス(享年21歳、ゾンビ年齢7歳)、サミ・チューズディ(享年17歳、ゾンビ年齢7歳)も、大嫌いだったはずのミッキー&マロリー社のチキンブリトーの真の味に死後気付いたクチだった。目の前の生きた人肉パイなんかよりもずっと魅力的なミッキー&マロリー社のチキンブリトー! 彼らは回らなくなった首をグギグギと鳴らしながら、セルシオの中のミッキー&マロリー社のチキンブリトーに飛びついた。
「ボーナスステージだ」
まるで車を派手に素早くぶっ壊せばボーナススコアがもらえるみたいに、兄妹はこれでもかってくらいに乗用車に銃弾をぶち込んでハチの巣にしてやった。トドメは農薬から作ったお手製爆弾。
「チャ、チャールズ、ミランダ……」
ゾンビの群れの中から蚊の鳴くような弱弱しい声が二人を呼んだ。
「マジかよ。ソーサー、トーレス……。ベックマンにこのことを話さなきゃいけないのが辛いな。ヘビーだ」
白衣を着た二人のゾンビが白衣を着た男の内臓を行儀悪く食い散らかしている。リン・ゼンはまだ生きていた。握られているショットガンが彼の最後まで抵抗していたことを証明している。だがチャールズとミランダの助けがほんの少し遅く、生きながらにヒトゲッティミートソースとして友人のブレックファストになった彼はゾンビとしての再起も不可能な程に激しく損傷していた。元ウェイン・ソーサー(享年28歳、ゾンビ年齢0歳)は同じポルノでヌいた仲のリン・ゼンの腸を引きちぎるために首を大きく横に振った。断末魔をあげ、目を開けたまま死んだリン・ゼン(享年27歳)のドス黒くなり始めた血が兄妹にも降りかかった。
「クソ! 汚ねぇ!」
「最低よ! お前たちに今日を生きる資格はない!」
ゾンビの血が大嫌いな潔癖症のミランダはジャパニーズサムライソードアンブレラで血の雨を防ぎ、マガジンが空になるまで元エンジニアたちに向けて火を吹かせた。
「キレすぎんな。落ち着けよ」
「こんなに落ち着いてるじゃない」
弾切れなってしまったのでミランダはジャパニーズサムライソードアンブレラを畳み、まるで本物のサムライソードのように振り回してゾンビたちの首の骨を折ってやりながらスペアの弾やゾンビ殺しに使えるありふれた日常品が積んであるインパラに戻る。
「落ち着けよミランダ。ほら、お前の好きなラジコンだぜ?」
「そのプレゼントは最高ね。九年前の誕生日に父さんがジャモカアーモンドファッジを作ってくれた時以来」
レグカンパニーが発売したヘリコプターのラジコンヘリは高性能ラジコンとして子供からオタクに至るまで、ラジコン好きの人々がクリスマスに最もねだるものの一つだった。なんといってもその馬力! 一キログラムの爆薬を載せて飛ぶなんて朝飯前だった。
「サイテーの間違いじゃないのか?」
「父さんのジャモカアーモンドファッジの味はサイテーだったけど、父さんがわたしの好物がジャモカアーモンドファッジだったって覚えててくれたことと、不器用な父さんがそれを作ってくれたってことがサイコーだったのよ」
チャールズが銃で周囲のゾンビ共を掃討して牽制してくれているので、ミランダは夢にまで見たラジコンヘリにペットにするようにキスをしてから、まだ多くのゾンビが蠢いている基地のすぐ横まで飛行させて降下し、起爆装置をクリックした。多くのゾンビたちはその爆発に巻き込まれてハンバーグになる運命が決定された。
「Awesome!」
「ありがとう。でもお見事兄さんもかなりAwesomeよ」
チャールズの前方ではゾンビたちが放射状の赤黒い芝生になっていた。基地の外にいたゾンビはあらかた殺してしまったようだ。
「なんでーもそろーう、イチバーンマーケット」
外にいたゾンビを殺してしまって時間が余ってしまったので、ミランダはトランクに積んであるスペアの弾と銃を取り出し、装填しなおしてショルダーバックに入れた。多分、基地の中のゾンビを掃討する時にラジコン爆弾は使えないし、弾が切れた時に車まで取りに戻ると日が暮れてしまうから。
「そのCMソングを作ったのは日本人のコメディアンらしい」
チャールズもそれに倣う。愛車に積まれた多くのゾンビ殺しグッズは廃墟の町のイチバンマーケットからかっぱらってきたものだが、チャールズはイチバンマーケットの品ぞろえの良さに感服するばかりだった。そういえばヴァレーオブザウインドのイチバンマーケットはかつてのイチバンマーケットの良さを台無しにするヒドい価格設定だったなぁとか金色の麦畑を歩む青い服の女性とかを思い出した。
「それ本当? 日本人はまるでティンカーベルね。まるで呪いみたいにいつまでも頭に残るもの。もちろん、いい意味でよ」
「日本人の知り合いが言っていた」
「それって今川先生?」
「あぁ」
「その話の信頼度数が六五%まで下がったわ。あ、兄さんこれ銃剣じゃない? 使えるかしら」
「オモチャじゃねぇことは確かだが、それは返り血を浴びやすいし片手じゃ使えないぞ」
「あぁ、でも本当になーんでもそろーう、イチバーンマーケット」
ラジコン爆弾や銃の難から逃れた幸運な元アナ・ソール(享年38歳、ゾンビ年齢7歳)の頭を切り落としたシャドルー社の高枝切り鋏もイチバンマーケットの「お庭のお手入れ」コーナーに行けばなんと七九ドルで手に入る。手の届かない枝のカットやゾンビ殺しにも使えてこのお値段!
「待ってくれ二人とも!」
それぞれイチバンマーケットで仕入れた得物でバドワイザー基地内部のゾンビをクッキングしようと既に足を向けていた二人を、聞いたことのある声が呼び止めた。
「思ってたより早かったな。やっぱりガッツあるじゃねぇかベックマン」
プライド以外の全てを失ったリーダーの帰還だった。ベックマンはバイクのキーをミランダに返し、赤い鉢巻きをランボーのように巻いてアサルトライフルのストラップを肩にかけた。
「基地の中のことなら僕の方が詳しい」
飲酒可能になる年齢は州法ごとに違うっていうか、そもそも日本と『カリフォルニアゾンビキラーズ』の舞台の国でも違うってことをすっかり忘れていたからカリフォルニアの州法を読んだらカリフォルニアではお酒は21歳からでした。まぁ、しょうがないってことで、20歳からってことにしておいてください。