1話
まるで落ちていくように橙色の光が空に吸い込まれていった。掌で庇を作り、目を細めながらそれを見ていたミランダとチャールズは、直後に迫ってきた壁のような砂と爆音に顔をしかめた。
「なんだ、ロシアか、北朝鮮か!?」
「その国がまだゾンビ連邦やゾンビ民主主義ゾンビ共和国になっていないといいけど。あぁ、もう! ジンジャーエールが台無しよ」
ミランダのグラスにスノーボールのようにゆっくりと砂が沈んでいく。
「ハッハッハァ、いっけねぇ言うのを忘れてたぜ。今日はバドワイザー基地の連中が打ち上げだって言ってたなぁ」
ドライブインにカフェを出している筋骨のたくましい老マスターはさっきの現象のことを予め知っていたようで、髪の毛から砂を払い落すミランダとチャールズの姿を見て愉快げに笑っていた。
「核か?」
「ロケットさ。このご時世に世界最大のフロンティア、宇宙に行こうっていう頭でっかちで陽気なロマンチストのナード共さ」
「宇宙って火星とかの宇宙?」
ミランダは宇宙についてあまり知らなかった。ナショナルジオグラフィックにはいつか人類は地球を捨てて火星に移り住むだろう、と時代錯誤なSF記事が載っていたがミランダはナショナルジオグラフィックのユーモアのセンスはあまり好きではなかったから、火星なんてものは映画の中にしかないものだと思っていた。
「逆に訊きたいね、他にどんな宇宙があるってんだ?」
「すげぇな、そいつら。石油の確保だってロクに出来ないのに。その基地ってのはここから近いのか?」
「十キロってとこだな。砂の色が白くなっているところがあるだろう? ヘンゼルとグレーテルみたいにそれを辿っていけばいい。ヤツらはここでタバコを買って、吸いながら基地へ帰るからな。灰の道が出来たんだ」
「金持ちなのか、そいつらは」
「ああ。どうやって稼いでるのか知らないが、不思議と金を持ってるヤツらだ。行くのかい? じゃあこれを持っていくといい。ジンジャーエールのお詫びだ」
店主はさっきの爆風で皺が寄り、砂のこびりついたテーブルクロスを一枚ずつ兄妹に渡した。
「何に使うの?」
「この道を行けばどうなるものかってな。行けばわかるさ」
EP2 Rocket Boys in the October Sky
チャールズ愛用のインパラとミランダ愛用のハーレーが吸い殻の道を辿ると、あちこちにショットガンを収納したケースが自動販売機のように設置されており、元はゾンビだったものがあちこちに転がっていた。どうやらゾンビの多い土地柄らしい。住民たちは道中でゾンビに襲われてもすぐにケースから公衆ショットガンを取り出してゾンビを泥にしているらしい。もちろん、ゾンビにはショットガンを扱えないし、ケースを開けることすら出来ないだろうから、このアイディアは兄妹にとっては目からウロコの閃きだった。
日が沈み始め、視界が悪くなってきた頃に、ワシントンのオベリスクのような煙突が見え始め、もくもくと煙を空に向かって吐き出していた。その麓の元には役立たずの軍隊の基地だった場所が灯りでイルミネーションのように見えた。分厚い正門が見えてくると二人は減速し、門番に挨拶をするために二人はそれぞれの相棒から降りて砂を踏みながら門に向かった。チャールズが一歩踏み出した途端。空を裂くような銃声が轟き、驚いて後退したチャールズの足元に小さな窪みが出来た。
「なるほどね」
ミランダが咄嗟にチャールズのインパラの影に隠れるとチャールズは「お前のハーレーに隠れろよ!」と怒鳴った。ミランダはそれを無視してさっきの陽気な店主からもらったテーブルクロスをジャパニーズサムライソードアンブレラに括って即興で白旗を作り、念を入れて銃の安全装置を外してからインパラの陰からこっそりと基地に向かって振り、害意はないこと、ゾンビではないことをアピールした。チャールズもそれに倣った。すると軋んだ音を立てて門がゆっくりと開き、白衣を着た男が二人を出迎えた。
「大層なおもてなしに感謝するよ」
とチャールズが皮肉を言うと白衣の男は
「この辺はゾンビが多いからね。ついでに野盗も」
とにこやかに笑い、右手を差し出した。
「ベックマンだ。このバドワイザー基地でロケットを作っている」
「チャールズ・ノーマン。旅をしてる。ここでジンジャーエール台無しマシンを作ってるって聞いたから興味が湧いて来た。できれば寝床を貸してほしい」
「ああ、構わないさ。部屋ならいくらでもある。ようこそ、バドワイザー基地へ」
チャールズは握手に応じ、「泊めてくれるそうだ、ミランダ!」とまだインパラの陰に隠れている妹を呼んだ。ミランダはベレッタの安全装置を掛け直し、ジャパニーズサムライソードアンブレラに括られたテーブルクロスの結び目をほどき、ソックスについた砂を払って兄の横に並んだ。
「お、女の子!?」
「ミランダ・ノーマンよ。彼の妹。会えて嬉しいわ」
と握手を求める。ベックマンがあまりにも目を見張るのでミランダはニワトリの産卵のように彼の目玉がぽろっと落ちないか心配しなければならなかった。震える手でミランダと握手を交わし、無精ヒゲの生える顎をアリゲーターのように大きく開き、基地に向かってワールドシリーズで地元のチームが優勝した時のような、基地中に響き渡る馬鹿でかい声で叫んだ。
「女の子が来たぞー!! 丁重におもてなししないととぶっ殺すぞ野郎共ー!!!」
基地の機械音が一斉にストップし、人の声で騒がしくなる。
「女の子だって?」
「言っていいジョークと悪いジョークがあるぜ?」
「染色体XXがこの基地に来たってのか?」
部屋や持ち場を飛び出して、いかにもナード(ガリ勉)っぽい、身だしなみの悪い白衣の男たちの声が集まってくる。彼らはミランダを見ると聖母像にするように跪き、神への感謝の言葉を述べ始めた。不意に信仰の対象になってしまったミランダは状況がわからずアイコンタクトでチャールズに意見を求めたが、チャールズよりも早くベックマンが彼女の悩みに応えた。
「ここは男しかいないからね。そんな男だらけのこの地にキュートな天使を送ってくださるなんてあまりにも嬉しすぎる奇跡を与えてくれた神にまず感謝をしないとバチが当たると思っているんだ。ようこそミランダ。ホーマー大学バドワイザー基地の人口の一〇〇%を占めるチェリーボーイたちはみんな君を歓迎するよ」
〇
例えば、彼女は大統領の娘じゃない。彼女の母はハリウッドを代表するセックスシンボルじゃないし、彼女の兄は共産主義のテロリストをたった一人で相手取った海兵隊の英雄でもない。彼女自身も全世界で一〇〇〇万枚のセールスを記録したロックバンドのボーカルじゃないし独特のイノベーションで幼い頃に会社を立ち上げた若き経営者じゃない。どこにでもいる十七歳だ。七歳の時にゾンビ現象が起きたからあまり高等と言える教育は受けていない、父と、歳の離れた腹違いの兄に育てられた十七歳の少女。少しテンションが低くてたまに意地が悪かったが、自分でも知らないうちに成し遂げた功績で人々に称賛されたり有名になっていたりはしない、どこにでもいる十七歳のはずだった。
「あぁ神様! ちっぽけで可哀そうなミランダに地球で最後の揚げトゥインキーを授けてくださって感謝いたします。アーメン!」
バドワイザー基地の冷凍庫に眠っていた地球最後かもしれない揚げトゥインキーはゾンビが蔓延る前からモテない男達だったモテない男たちが、ヒドい者は九年ぶりに見る女の子のご機嫌をとるために差し出された。偶然にも彼女の好物はトゥインキーだったので大いに喜び、モテない男たちは貴重なマトモな味のデザートと引き換えに見た女の子の笑顔に満足していた。
「一応二十歳になるまでお酒は飲まないことにしてるの」
ベックマンから差し出されたバドワイザーの赤い缶を断るミランダはまるでハリー・ポッター(ハーマイオニー?)の立場だった。彼女の周りには彼女に握手を求め、一目でもその姿を見よう、少しでもご機嫌を取ろうとナード男たちが輪を描いていた。テーブルには基地中のご馳走というご馳走が並べられ、こんな豪華な食事は一昨年の感謝祭以来だった。
「酒は飲まないとおっしゃられているぞ! アルコールが含まれていない風邪薬みたいに優しいドリンクを用意して差し上げろ!」
男しか住んでいない、つまり女であるミランダが流れ星のように希少なこの土地では、ミランダは何を言っても鶴の一声になるお姫様の扱いだった。バドワイザー基地の男たちは元々みんな”無縁”だったようで、自分たちの姿が見えて声を聞ける女の子の存在は新鮮でありがたいものだったのだ。
「とっておきのペプシコーラですよ、Babydoll。グラスは哺乳瓶のように消毒を施してあります」
「ありがとう」
ついさっき急いでおめかししたことが一目でわかるイタリア系の男がペプシコーラとグラスをトレイに載せ、一流のウェイターのようにひざまずいてミランダに差し出した。
「それより、今夜僕の部屋で一杯どうですか? ペプシコーラなら飲み切れないほどございます。一緒に楽しい夜を過ごさないかい?」
「そりゃぁいいな。もしかしてお前の部屋にはインベーダーゲームやバックギャモンもあるんじゃないか? そりゃ退屈しない夜を過ごせそうだ。俺もお邪魔しちゃおっかなぁ」
チャールズが犬を追い払うように手を振るとイタリア系の男はすごすごと退散してしまった。
「ロケットを飛ばそうとしてるのはマジか? あぁ、悪いね」
チャールズがタバコを一本咥えるとベックマンはディスカバリーを模したライターでそれに火を点けた。
「大マジだ。僕らはみんな冗談みたいな顔してるだろ? でもマジだ」
「飛べるのか?」
「ペプシコーラを隠していた彼はシルヴェスター・トーレス。優秀なエンジニアだ。で、あっちの東洋人はリン・ゼン。気象観測において彼の右に出る者はいない。カンザス訛りのキツい彼は金属の加工が得意なゼブ・キングストン。ウェイン・ソーサーは航空力学が専門分野だ」
ベックマンが紹介すると彼らはそれぞれ返事をした。年齢はバラバラだが皆一様にダサくて痩せぎすでバドワイザーを片手に握っていた。紳士とは言いがたかったがそうであることが彼らのシンパシーであるようにも感じられ、ミランダにはフラミンゴの群れにも見えた。
「なるほど。だが人材は足りてもまだいろいろ足りないものがあるだろ? 例えば、資金。それから施設。燃料なんてのも難しいんじゃないか?」
「一九六一年にケネディは、我々は月に行くことにしたと言った。そしてその八年後に人類は本当に月に行った。そしてZ1年、急にゾンビが現れて国も金も施設も身分も、すべてが一度なくなった。その時にベックマン・シニアは言った。我々は月に行く、とね。それからもう九年も経っている。ベックマン・シニアは廃墟になった空軍基地を見つけ、決意を新たにバドワイザー基地と名付けた。仲間を集め、資金を集めた。ゾンビが多い土地で苦労したが銃を担いでクズ鉄集めから始めた。二年かかってやっと形になったロケットはたったの高度三十メートルで爆発してしまった。でも翌年にはカメラを搭載して上空から自分たちの写真を撮ることに成功した。四年目にベックマン・シニアは重金属毒で志半ばに命を落としたが優秀なベックマン・ジュニアが遺志を継いだ。そんな九年目に旅人の兄妹がやってきてジュニアにこう尋ねた。本当に飛べるのか? 偉大なベックマン・シニアの息子ならこう答えるね。Yes! と」
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