2話
ナタリアの家はお城のようなお屋敷だった。今はナタリアと、昔町長を務めていた年老いた父と、年老いた召使の三人しか住んでいないが、かつてはナタリアの兄や姉が七人もいたと言う。その全員が町の外でゾンビに食べられて命を落としたとナタリアの父が寂しげに語った。子どもたちの中でただ一人残ったナタリアは父の寵愛を受けお姫様のように育ち、今は若くして誰もが認めるヴァレーオブザウインドのリーダーとして、家業を継いだ形になっている。ミランダの予想通り、チャールズは金色の麦畑の青いお姫さまに心を奪われたようで、ディナーの最中もマトモに喋ることなく、次々に好奇心の矢を飛ばすナタリアの質問には全てミランダが答えていた。
「お二人は何故旅をしているの?」
「母を探しているんです」
「お母様?」
「十年前、ちょうどゾンビが出現し始めた時に突然姿を消して、それ以降」
「まぁ! 何か手がかりはつかめたの?」
「いえ、何も」
「どんな人なの? 名前は? お力になれるかもしれないわ」
「アビゲイル・ノーマン。金髪で目の色はブルー、身長はわたしくらい」
「アビゲイル・ノーマン。どうかしらお父様?」
ナタリアの父は力なく首を横に振る。
「ゾンビ共は、ゾンビ共はまだ蔓延っているのか?」
ナタリアの父が枯れ木のようなしわがれた声を出した。
「残念ながらゾンビ共はまだ国中のあちこちにいますよ」
「お嬢さんたちはゾンビ共に出会った時はどうしている?」
「殺しています」
ナタリアの表情が冷たい雲に覆われた。そんなヒドい、とでも今に言い出しそうだった。
「ナタリアさんの肌はよく焼けていますね。このヴァレーオブザウインドがゾンビのいない平和な町であるいい証拠です。ゾンビに襲われる危機を感じて生活しているならば少しでも肌の露出を抑えたいはず」
ミランダは少し棘を含み、ナタリアを牽制した。
「ええ、この町はゾンビがいないとても平和な町です。だから農業も盛んだし、みんなが助け合って幸せに暮らすことが出来る。銃も必要ない。意地悪な質問をするけど気を悪くしないでミランダ。もし、お母様がゾンビになっていたらあなたたちはどうするの?」
「撃ちます」
躊躇いのない回答にナタリアは怪訝そうにまつ毛を震わせた。そして慎重に「チャールズさんも?」と尋ねた。
「もちろん」
「愛するお母様を?」
「ゾンビになっていたらもうお母さんだって以上にゾンビなんですよ」
「でも、お母様の意識が少しでも残っていれば通じることもあるんじゃないかしら」
気を悪くしないでほしいっていうナタリアの言葉はミランダには通じなかった。ゾンビを殺さないというディズニーランドのお姫様の選択肢はチャールズとミランダにはなかった。殺さなければゾンビは人を襲ってゾンビを増やすし、ゾンビを殺しても罰せられることはない。ゾンビを殺すことを批判する説教じみたナタリアの質問は、ゾンビのいない安全なディズニーランドから出たことのない平和ボケしたミニーマウスの的外れなセリフだった。
「元お母さんだってわかったらもっと撃たないといけないと思いますよ。もしお母さんがゾンビになっていても、ほんの少しでもお母さんの意識が残ってたら、自分の子供たちをディナーにするくらいなら殺された方がマシって思うはず。ナタリアさんならどうします? お兄さんやお姉さんがゾンビになっていたら?」
テーブルの下でチャールズがミランダの靴をこつんと蹴り、妹を振り向かせた兄は眉をひそめて「むきになるな」と小さな声で諭した。
「ごめんなさい、ナタリア」
「厚意で泊めてもらう上にこんな素晴らしいディナーでまるで大統領のようにもてなしてもらったのに妹は旅に少し疲れて気が立っているようだ。この町の平和の秘訣は銃に重税をかけて規制することや火葬の風習があったことだけじゃない。美しいミス・ナタリアがリーダーとして深い愛を町に浸透させたこと、その賜物でしょう。だからヴァレーオブザウインドはこのユナイテッド・ステイツ・オブ・ゾンビでディズニーランドであることが出来る。いくつかの町を見てきたがここは素晴らしい」
チャールズの言葉は間違っていなかった。ナタリアに熱を上げているとはいえゾンビの蔓延る大陸を旅する自分たち兄妹がゾンビを当たり前のように殺すこと、ゾンビを知らないナタリアが潔癖と呼べるまでにゾンビ殺しに抵抗を持つことのどちらも正しいことがわかっていたし、彼は立場が同じ妹の味方をしてやるべきだと考えていた。仮にゾンビのいない世の中なら兄妹は犯罪者だろうし、ヴァレーオブザウインドに三人でもゾンビが住んでいれば平和ボケと詰られるのはナタリアの方だっただろう。もしミランダとナタリアに問題があるとするならば、お互いの立場を受容することが出来ない頑固さだったのだろう。
〇
「チャールズさん! ミランダ! 起きて! ペニーがゾンビに! 助けて!」
狼狽したナタリアの声と乱暴なノックはミランダにとって最悪の目覚ましだった。ベッドから這い出たチャールズはドアを少し開け、ゾンビと聞いたミランダは枕の下に置いていた拳銃を握った。
「どうしました?」
「隣町の従兄に会いに行っていたペニーが帰り道でゾンビに噛まれたの!」
「落ち着いてナタリア。そのペニーを襲ったゾンビは?」
「わからないわ。でもなんとか町まで逃げてきたって言ってたから……。ペニーは噛まれた腕からの出血がヒドくてとても苦しそうなの。ペニーを助けて!」
チャールズはミランダに顔を向け、「余計なことを言うなよ」と小さな声で命令した。
「噛まれたのはいつごろ? 二十四時間以内?」
「夜明け前って言っていたからまだ五時間くらい。あぁ神様、優しくて可愛いみんなのペニーを助けて!」
「お湯をとにかくたくさん沸かしてください。それからありったけの消毒薬。まだ助けられるかもしれない」
チャールズはウソをつくことが苦手な男だった。しかしそれ以上にお人好しでもあった。ゾンビに噛まれた人間は絶対に助からない。ウソは苦手でも、愛する女性に真実を隠して気休めを言うくらいの気遣いは出来た。
「ペニーは今どこに?」
「教会に」
「すぐ行きます。ナタリアは先に行って手を握って励ましてあげてください」
チャールズとミランダが駆け付けた頃、ペニーは半分以上死んでいた。手足の先は冷たくなり、ドス黒い血を吐いて目は白濁し始め、ペニーを見守る家族やナタリアを襲い始めるのは時間の問題だった。そんなことを知らない純真なヴァレーオブザウインドの住民たちは、ゾンビになりつつある少女の無事を祈り、血を拭いている。
「チャールズ、ペニーは助かるの!?」
「ミランダ、ガーゼと消毒薬を」
チャールズはぎこちない手つきで消毒薬を浸したガーゼを出血の激しい左腕に押し当て、上腕部にガーゼを巻きつけ止血する。ナタリアたちは痛みで激しく暴れるペニーから目を背けた。
「……兄さん、もう無理よ」
慣れないウソをつく兄の優しさは理解していた。その優しさに平和な町の住民たちが少し救われたことも理解していたが、これ以上は薬と時間を浪費するだけで、ぺニーが助かるかもしれないという偽りの希望を助長させてしまう分、より残酷になってしまう。
「許してペニー」
ミランダは変わり果てたペニーの顔にガーゼを被せ、銃口を向けた。
「ダメ! やめて!」
ナタリアがミランダから銃を奪おうと掴み掛るが、チャールズが間に入ってそれを制する。
「お前がやらなくていい。……すまない」
誰へのものともわかならい謝罪の直後、銃声とナタリアの悲鳴が重なり教会が地獄の底のような哀しみと苦しみに包まれた。頭を撃ち抜かれたペニーは少し痙攣して動かなくなった。牧師が祈りを唱えるのを聞き終えてからチャールズは教会を出て、表情をこわばらせてタバコを吸った。
「さすがに胸糞悪いぜ」
「兄さんは間違ってないわ」
「今はゾンビを思いっきりブッ殺してやりたい」
ほとんど吸っていないタバコを踏み消してチャールズはため息をついた。
「ナタリア! 大変だ! ゾンビの群れが北北東からやってくるぞ!」
町一番のあわてんぼうのディクソンが大慌てで教会に飛び込んだ。
「兄貴たちがペニーを襲ったゾンビを探していたら北北東から来た大群を見つけたんだ! 地面も見えないくらいの大群だ! 五十人はいる!」
「そんな、神様」
ナタリアは目を真っ赤に腫らしてその場にしゃがみ込み、十字架に張り付けられたキリスト像に祈りを捧げた。町民たちも皆が跪きめいめいに祈る。戦う意志を持つ者が現れないのはおかしなことじゃなかった。極稀に、町の外に出たものがゾンビになって死んだとしても、それは事故であり、町にゾンビが押し寄せたことはない。ゾンビが足も遅く腕力もなく、ものすごく弱いということを知らないのだから、町の人々が過度にゾンビを恐れるのも無理はない。
「北北東だと、ロスあたりから流れてきたゾンビか」
「ナタリア。正直に話すとわたしはあなたのことが好きじゃないけど、助けてあげるわ。ヒトゲッティミートソースになりたくない人はみんなイチバンマーケットの屋上に避難させて」
ナタリアのことは好きではないけど今はゾンビを思いっきりブッ殺してやりたい気持ちはミランダも兄と同じだった。ナタリアのことは好きではないけど進んで苦しめてやりたいほど嫌いではなかったし、むしろ見上げた博愛精神をどこまで貫き通せるか見てみたい自分の気持ちにも気付いていた。
「もちろん、銃弾は正規の値段でツケにしてね」
金曜日に投稿すると言ったが土曜日になったのは単にど忘れだ。