私のシュバリエ
「結衣ー、呼んでるよー!」
クラスメイトに呼ばれて振り返れば、教室の扉の側には、見慣れた顔があった。
胸が、ズキンと痛む。
「……修司」
無理矢理笑顔を作れば、彼は何てことなく笑い返してくる。
まるで……
まるで、私をフッたなんてことが、無かったかのように。
『私のシュバリエ』
「どしたの?」
強張った作り笑いをして近づけば、修司は馴々れしく私の肩を抱くようにして廊下へと促す。
「なぁ、明日ヒマだろ?」
「何でヒマな前提なのよ……」
「俺さ、急に明日予定空いちゃったんだよね。服買いに行きたいから、付いてきて」
「何で私が……カノジョに頼みなよ」
「そのカノジョが予定合わなくなったから、結衣に頼んでんだろ?」
……サイアク。
いくら私が、幼なじみだからって……いくら、私が修司を好きだったからって。
普通、フッた女を穴埋めデートに誘うか?!
てかどんだけ人の好意にツケ込むんだよ。
「あのさ、修司……そういうのって……」
「いいじゃん。どうせお前今、好きなヤツもいねーんだろ?」
「……」
「俺もお前のこと、2番目に好きだし。じゃ、明日な。またメールする!」
言うだけ言って、さっさと立ち去って行く修司。
「……」
何も言い返せない私は、悔しくて、情けなくて……
泣きたい気分になりながら、重い足取りで教室へと戻る。
「ねぇ、修司って彼女出来たんでしょ?」
「あー……結衣は幼なじみらしいよ」
「幼なじみだからって肩抱く? 怪しー」
廊下側の列に座っていたクラスメートの女子が、小声で囁き合っているのが聞こえる。
(いい迷惑だよ、ほんと……)
一番厄介なのは、修司は外面が良いこと。
本当は結構な性悪なのに、その実態を知っている人は数少ない。
さらに、そこそこのルックスであることもあって、私は妬みの対象にされやすかった。
――あくまで私は、フラれた人間なのに。
「アイツ、何だって?」
席に着くなり、親友の美緒が眉をひそめて聞いてきた。
「んー……まぁ、いつもと同じ感じ……」
「結衣! ちゃんと言いなさい!」
容赦なく叱り飛ばしてくる美緒は、修司が嫌いだ。
ストレートロングの黒髪が綺麗な美人なのに、恋愛は男勝りなぐらいサバサバしていて、いつも私を心配してくれる。
「聞いたら絶対、美緒怒るでしょ」
「既に怒ってるから同じだよ」
美緒は目を吊り上げて、肩にかかった髪を払った。
「まじタチ悪いし! 結衣が甘やかすから、あぁなるんだよ」
「うん、そうだよね……」
私がうなだれると、本鈴が鳴った。
教室内はざわめき、皆それぞれ席につく。
「ちゃんと、後で説明ね」
美緒もそう言うと、前を向いた。
「はぁ……」
ため息をついて化学の教科書を出し、ノートを開いていると、先生が入ってくる。
「今日は、隣とペアでワークだ。前回の実験のレポート作成を――」
最後まで聞かず、教室内は一斉に沸き立ち、机を動かす騒々しい音が鳴り響いた。
「やべ、ノート忘れた!」
「ねぇ、どこまで進んでる?」
「ここテスト範囲らしいよ」
「隣とペア」……つまりは、男女ペアのワーク。
必然的に教室内のボルテージは上がり、色んな会話が飛び交った。
「よろしく、結衣」
私の隣は、ラッキーなことにこの人。
「うん、颯太に教えて欲しいところあったんだぁ」
「何でも教えてあげるよ、任せて」
生徒会副会長であり、フェンシング部の部長でもある、女子のヒーロー的男子。
色素が薄く、流れるような柔らかい髪と、人気俳優顔負けの端正な顔立ちが、どこを歩いていても目立つ。
彼とはこの学校に入ってから知り合い、幸運にも2年間同じクラスだ。
去年一緒に文化祭の実行委員をやったことがキッカケで、呼び捨てで呼び合える仲にまでなった。
「えっ……何これ、もうレポート完成してるじゃん?!」
「生徒会までの空き時間にやっちゃってさ……写していいよ。ただ、テスト範囲だから見直しておいてね」
向かい合わせた机に頬杖をつきながら、ふっと微笑む颯太。
実際、今回のレポートは空き時間にぱっと出来るような単純なものでは無かったはず……。
私は改めて彼の要領の良さに感服し、ため息をついた。
「さすがだなぁ……。最近颯太は忙しそうだったから、今回は私がリードしてあげようと思ったのに」
「え?」
私は唇をとがらせつつ、自分のレポートを広げる。
「どうせ難し過ぎて、穴空きだらけだけど……笑っていいよ」
颯太はそっと私のレポート用紙を受け取ると、じっと見つめた。
本当に穴空きの欄ばかりだけど、実験イラストは全部書いたし、珍しく最後まで諦めずに頑張ったレポート。
今日の授業中に仕上げると先生に言われていたけれど、颯太のために一度仕上げたつもりだった。
「結衣は、化学苦手なのに……頑張ったね」
颯太は、いつも以上に優しい笑顔で呟いた。
「ありがとう。その気持ちが、すごく嬉しいよ」
「ううん、あんまり役に立てなかったし……」
その笑顔があまりにも優しくて、思わず顔が赤くなってしまう。
普段、他の男子には絶対……絶っっっ対に使わないけど……「とろけそうな」なんていう表現を使いたくなる笑顔だ。
「一緒に、答え合わせしようか?」
「うん!」
それから私たちは、主に私のレポートの穴埋めを中心に、答え合わせをした。
いくら私の回答が不出来だったとはいえ、やっぱり手付かずだった周りの皆よりは断然早く終わる。
20分以上時間を余らせて、私たちのワークは終了した。
「やった! 多分一番だよ」
「結衣が頑張ったおかげだね」
小声で颯太に言えば、彼もまた嬉しそうに、小声で答えてくれた。
「あのさ、結衣……」
「ん? なぁに」
早く終わったからといって先生に新たな課題を出されないよう、勉強をしている風なカモフラージュを施していると、不意に颯太が切り出す。
「ちょっと聞いてもいいかな」
「うん。どうしたの?」
「さっき、見たんだけど……」
少し表情を曇らせて、颯太は私を見つめる。
「修司とは、別に何でもないんだよね?」
「え……」
思いがけず、颯太の口から飛び出した、修司の名前。
修司も、今はクラスが違うものの、去年は私たちと同じクラスだった。
さっき見たっていうのは、肩を抱かれたあの瞬間のことだろうか。
「見てたんだ……」
「いや、あれは目立つよ。……結衣は、困ってたように見えたけど?」
「うん……」
何となく気まずくて、視線を泳がせたものの、颯太は見逃してはくれなかった。
「結衣って、何でも溜め込んで相談しないタイプだろ?」
「……」
「良くないな……。俺にも、相談出来ない?」
「そういうわけじゃ……」
思わず顔を上げれば、真摯な瞳が私をとらえる。
息をのむようなその視線に、私は思わず白状してしまう。
「何か……明日、彼女とデートの予定が合わなかったらしくて……」
「うん」
「代わりに、私に買い物ついて来いって」
「え?」
颯太の表情が、不意に陰る。
「それって、結衣が修司のこと好きなの知ってて言われたの?」
「いや、もう今は好きじゃないんだけど……って何で知ってんの?!」
驚いて聞き返せば、逆に彼も驚いたように尋ねてくる。
「今は好きじゃないって……それ本当?」
「だって、随分前に完全にフラれてるし」
「……そうなんだ」
一瞬、颯太の綺麗な顔から表情が消える。
「それで? さっきは断ってたの?」
「断りたかったんだけど、聞いてもらえなかった」
「どうして?」
「私は、どうせ好きなヤツいないだろって……それから……」
言いながら、再び胸がズキズキと痛んできた。
……情けない。
「それから?」
「……私が、2番目に好きだからって。ほんと、理由になってないよね」
「……」
ため息をついて目を逸らせば、颯太はしばらく考え込んだように黙ってしまった。
颯太と一緒にいる時間くらいは、楽しく癒されていたい。
相談してしまったことを少し後悔しながら、私は苦笑いした。
「ごめん、気にしないで。こんなのいつものこと――」
「結衣」
いつも、私の言葉を一言一句聞き逃さない颯太が、遮るように名前を呼んでくる。
驚いて一瞬黙ると、彼はゆっくりと口を開いた。
「明日、俺と会ってくれない?」
「……え?」
一瞬、周りの喧騒が遠くなった気がした。
私の意識から無数のクラスメートの声が外れ、颯太の声だけにスポットが当たる。
「修司に気が無いなら、明日は俺に時間をくれないかな。……結衣さえ良ければ、だけど」
頭の中が真っ白になって、きょとんとしたまま颯太を見つめ返す。
仲は良いものの、私の中で颯太は、みんなのアイドル的存在だった。
そんな彼と、学校以外の場所で……二人で、会う?!
それって……
(何か……意味深に考えちゃうんですけど!)
信じられない気持ちで黙っていると、颯太は珍しく少し焦ったような顔をして尋ねてくる。
「ごめん、やっぱり嫌か」
「ちがっ……いや、何かびっくりしちゃって!」
「びっくり?」
「だって……まさか、颯太が私に、そんな」
動転して、自分でも何を言ってるのか訳がわからない。
颯太は一瞬きょとんとした後、ぱっと輝くような笑顔を見せた。
「もしかして、喜んでくれてるの?」
「え……」
ダイレクトな質問に、思わず頬がかっと熱くなる。
「だとしたら、俺も嬉しい」
「へ……」
「良かったら、今日一緒に帰らない? 明日のこと、相談しようよ」
う……う……
うそ……?!
待って。これは幻聴か何かかもしれない。
あまりに、自分にとって都合の良すぎる言葉が次々と……
「結衣?」
「えっ、なに?!」
「放課後、今日は会長に書類渡してくるだけだから……教室で、待ってて」
「う、うん」
一瞬、見つめ合ったまま時間が止まる。
鼓動の音が体の外に漏れてしまうんじゃないかと思うくらい、胸がドクンドクンと波打った。
上手く呼吸もできずに颯太を見つめ返せば、照れたような、優しい微笑みが返ってくる。
(失神しそう……)
頭がぼうっとなった瞬間――
「あれっ。結衣んとこもう終わってんじゃーん! 見して見して!」
前で賑やかにワークをしていた美緒が、こちらに体を向けてきた。
「いーなー、結衣は颯太くんと一緒で! こっちのバカとだと進まなくってさぁ……」
「あァ?! テメまじ調子乗ってんなよ?!」
「うっさいバーカ!」
急な出来事にびっくりして颯太を見れば、彼は既にスイッチが切り替わっていて、いつもの穏やかな微笑みを浮かべていた。
「どこが出来てないの?」
「おー颯太! このウルセー女取り代えて欲しいんだけど!」
「はぁ?! 颯太くんに変なこと吹き込まないでよ!」
「あはは、喧嘩しないで。一緒にやろうか?」
颯太の提案に賛同し、私も一緒にやろうと持ち掛ける。
これ以上二人っきりだと、心臓がもたないもの……。
私たちは勝手に4つ机を突き合わせ、レポートに意識を注ぐ。
でも私の頭は、今や修司のことすら薄れ、放課後颯太と二人っきりになることでいっぱいだった。
そしてぼんやりしているうちに授業は終わっていて、最後のHRもあっという間に過ぎ、とうとう私の緊張はピークに達する。
「じゃ、また明日な! 解散」
恒例の担任のゆるい終了の合図と共に、教室内はざわめきに包まれた。
クラスメートたちは椅子を擦って立ち上がり、部活や委員会、もしくはそれぞれの帰路に発つ。
「……」
ぎこちなく隣をちらりと見上げれば、颯太はすぐに視線に気付いて、にこりと笑った。
「そんなに待たせないようにするよ」
「あっ、大丈夫! 仕事だもん……ゆっくりやってきて」
「ありがとう」
無駄の無い動きで荷物をまとめると、颯太は分厚い書類の束を抱える。
「それとさ……」
「うん?」
「明日のこと、修司にメールしておいて。用事があるって」
悪戯っぽく笑いながらも、どこか真面目さも含んでいる表情。
「たまには、はっきりと突っぱねてやんなよ」
「……うん、メールしておく」
「あぁ。じゃあ、また後で」
……何てことのないやりとりにも、すっかりドキドキしてしまう。
まるで、付き合いたてのカップルみたいだ。
教室を出ていく颯太を見送ると、私は早速メールを打ち始めた。
「じゃね、結衣!」
「うん。また明日ね、美緒」
クラスメートたちも次々と教室から出て行く。
私は一人座席に腰掛けたまま、携帯と向き合っていた。
……修司に、断りのメールをするのは怖い。
昔っから、私は修司にあんまり逆らってこなかった。
言いなりになることが、愛情表現の一つだと思っていたけれど……修司は、必ずしもそうは考えていなかった。
だって結局私たちの間に刻まれたのは、「都合の良い関係」に過ぎなくて。
私が愛ゆえだと信じていたキスも、それ以上のことも……彼にとっては、手軽に試せる位置にいる女だったから、というだけのことだった。
修司はいつも彼女を作り、その子を大切にし、抱きしめるのに……私の事も、気まぐれにそうする。
気心の知れた、幼馴染みだから。
(もう、終わりにしたい……)
本当に、終わりにしたかった。
このままじゃ、いつまでたっても修司の2番目でずるずるいってしまいそうで、ずっと怖かった。
颯太からの誘いは、そんな闇のスパイラルに差し込んだ、一筋の希望のように思えたのだ。
『さっきのことだけど。明日は、人と会う約束があるの。
だから、買い物は自分で行ってね。
もう、私のことは誘わないで』
送信……っと。
微かに震える指で、一生懸命考えて作成したメールを送信する。
初めて、自分からはっきりと断ってやった。
「男の傷は男で癒す」とか友達が言ってたけど、あながち嘘じゃないのかも……?
癒えるとまではいかなくても、颯太からの後押しで、私はこうしてアクションを起こせたのだ。
自分の行動にドキドキしながらも、何だか肩の荷が……というか、むしろ手枷足枷が外れたような、解放感があった。
(颯太……生徒会室だよね? 迎えに行こうっかな)
いつの間にか誰もいなくなっていた教室を見渡し、私も荷物をまとめる。
――もしも、颯太みたいな人と、恋が出来たら……あんなにカッコ良くて、何より優しい人に、大切にしてもらえたら。
夢のようなイメージが頭の中を占領し、幸福感で満たしていく。
『だとしたら、俺も嬉しい』
あれって……そういう意味だって、思っても良いのだろうか。
期待しても、いいのかな……?
数年に渡って悲しい恋をしていた私にとっては、あまりに魅力的で、未知数な恋愛だった。
だから……
だから、迫ってきていた危険にも、全然気が付かなくて――
「オイ、何のつもりだよ」
「……修司……」
乱暴な音を立てて開いた教室の扉を、再び同じように力任せに閉める修司。
目が据わっていて、私の体は反射的に委縮してしまった。
こういうシチュエーションは、初めてじゃない。
誰も知らないだろうけど、私は……私は、嫌というほど知っている。
「人と会うって、誰?」
「……」
「男……じゃ、ないよな? まさか」
じりじりと歩み寄ってくる修司に、思わず後ずさる。
「そんなの……私の、勝手でしょう……?」
毅然と言いたいのに、自分でもわかるくらい、怯えているか細い声。
「あぁ? ……結衣が俺に断りもせず、勝手に……ねぇ」
「や……っ」
後ずさった先のロッカーに、背中を強く打ちつけられる。
大袈裟なまでの音と共に、じんわりと鈍い痛みが広がった。
「お前が好きなのは、俺だろ?」
「……っ」
「はぁ? 何浮っついてんだよ!」
「やめて!」
抵抗を試みるものの、怒りに任せた修司の力に敵う訳がない。
両手首を痛いくらいに掴まれ、背後のロッカーに押し付けられる。
「お前がナマイキ言うとさ……俺、超ストレス溜まるんだよね」
恐怖で顔を歪めれば、強引に押し付けられる唇。
思い遣りの欠片もない、ただ独占欲にまみれた、辛く苦しいキス。
「んん……っ」
いくら誰もいないとはいえ、ここは教室だ。
今までにも、ちょっとでも抵抗すると、こうして怒りをぶつけられることがあった。
でも、それは大抵修司の部屋とか、ひと気の無い場所だったのに……誰かに見付かるかも、ということすら忘れるほど苛立っているのだろう。
握られた手首はギリギリと痛み、呼吸が苦しい。
全力でもがき、足で修司の体を押しやろうとすると、再び体をロッカーへ打ちつけられた。
「きゃっ」
「お前は、俺の言う事聞いてりゃいんだよ!」
「やめてよ……もう、やだっ!」
「俺がいなきゃ、何も出来ないクセに!」
「――っ」
ぶたれる……!
長年の勘から、咄嗟に目をつぶった。
女としては許容範囲外の衝撃がくるだろうと、本能的な諦めが体を冷やす。
息をのんで、手を握りしめた。
……けれど、その衝撃はなかなかやってこない。
「……?」
違和感を感じ、目を開けば。
目の前の修司は、私を見ていなかった。
見ていたのは、彼の振り上げた右腕の先で……
「……颯太……!」
思わず、安堵の涙が視界を曇らせた。
修司の右腕は、颯太のしなやかな腕によって、がっしりと抑え込まれている。
「……まったく。溜め込み過ぎだよ、結衣は」
いつものような柔らかなトーンで私にそういうものの、その顔は、見たことも無いくらい厳しい。
「颯太……?」
「久しぶりだね、修司」
一瞬困惑した表情を浮かべた修司に、鋭く言葉を返す颯太。
去年は同じクラスだったものの、修司と颯太は一度もつるむことなく、むしろお互いに関わりを避けていたような間柄だった。
「あぁ……なるほど。お前だったのかよ」
修司は私の腕を開放すると、不意に不敵な笑みをこぼす。
「まだ結衣を追っかけてたのか……。男でそういうのって、どうかと思うぜ?」
「悪いけど、その言葉そっくりそのままお前に返すよ」
修司からの挑発も、さらりと受け流す颯太。
物腰も言葉遣いも綺麗な故に、颯太の口から「お前」とか聞くと、すごくキツイ響きに聞こえる。
「というか、しつこいんだよ。悪いけど結衣は明日、俺と過ごしたいって言ってくれてる」
「……」
颯太の言葉を聞き、無言のまま私に凄味を利かせてくる修司に、息が止まりそうになる。
「そういうのが、ウザイんだって……。女の子脅して、よくそれで『俺モテます』みたいな顔してるよね。マジで、目障りだよ」
颯太はまったく怯むことなくそう言い放ちながら、私と修司の間に割り込んだ。
背中に私を隠すように、修司に対峙する。
「言われなくても、俺だってお前が最高に目障りだっつの。何にもわかってねーな……結局、結衣は俺の元に戻ってくんだよ」
「はっ。聞いて呆れるね」
「んだと?」
「それは単純に、お前の暴力に気付いて、守ってあげる人がいなかったからだ」
颯太は凛とした口調で、はっきりと告げる。
「もう、お前の元には絶対返さない」
その言葉に、思わず胸がドクンと反応した。
「颯太……!」
「ずっと、結衣は修司の事が好きだと思ってたから、邪魔しなかっただけだ。そこに気持ちが無いとわかったら、もう遠慮する理由も無いだろ」
今の颯太は、普段からは想像もつかないくらいに厳しい、敵意に満ちた顔をしている。
最初は食ってかかっていた修司も、若干引き始めていた。
「忘れてるみたいだけど、俺って、一応生徒会の副会長なんだよね」
颯太はふっと笑って、腕を組む。
「お前が結衣に暴力ふるってたって……どの先生に言うのが、一番効果的かな」
「……っ」
歯を食いしばる修司のこめかみに、うっすらと青い筋が浮き上がる。
これほどに追い詰められ、劣勢になる修司を見るのは初めてだった。
「結衣、ちゃんともう一回言ってあげな。俺がここで、見守っててあげるから」
一瞬振り返った颯太の瞳は、瞬間的に優しいものへと変化した。
気が動転していた私も、その瞳を見て、どうにか自分を取り戻す。
「修司……」
絞り出すように名前を呼べば、ギロリと睨まれる。
幼少期とは変わり果てた、哀れな幼なじみの瞳。
「私、もう……修司のこと、好きじゃない」
一瞬、ぐらりと揺らめく瞳。
でも、もう流されない。
流されたって、誰の得にもならないから……。
「だから……もう、私には関わらないで」
「……!」
「……だってさ。これは忠告だよ。次に結衣を脅すようなことがあったら……」
颯太は不意に修司の胸ぐらを掴み、今までに聞いた中で一番低いトーンで言い放った。
「……その時は、絶対に許さないから」
パシッとその手を放すと、颯太は私の手を引き、落ちていた私のバッグを拾って、足早に教室を出る。
私は小走りで何とか追いつき、泣きそうになるのを必死に堪えていた。
握りしめてくれている手が、とても温かい……。
颯太は器用に、ひと気の無いルートで早々と移動し、空っぽの教材室の前までくると、そっと私を中へ入れた。
「颯太……」
言い終わらないうちに、ぎゅっと抱き寄せられる。
いつもの笑顔と同じ……手の温かさと同じ、安心感を生んでくれる胸の中。
目を閉じると、大粒の涙が頬を伝っていった。
「助けに行くのが遅かったね……。怖い思いをさせて、ごめん」
「ううん、嬉しかったよ……?」
抱き合ったままの体に、颯太の心地良い声が伝わり、響いてくる。
他人と一緒にいて、こんなに安心するのは、多分生まれて初めてだ。
「俺……去年から、ずっと結衣のことが好きだった」
そっと体を離し、私の涙を指先で拭いながら、颯太は呟く。
「さっきも言った通り、今までは結衣の恋愛を邪魔したくなかったんだ」
「うん……」
「でも、今は違うよ」
「うん……」
「俺と……付き合ってくれないかな? 最初は、お試しでも構わないから」
顔を上げれば、すぐ側に、この上なく優しい瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。
一体どこに、これを拒む理由があるというのだろう?
「何か……夢みたい……」
「……俺も」
そっと……滑らかな花びらが触れ合うように、優しく押し付けられた唇。
言葉で説明出来ない愛しさが、頭で何かを導き出すより前に、衝動となって私の中から溢れ出す。
自然と絡み合った指を互いに握り合い、反対の空いた手は体の距離を縮めようと引き寄せ合う。
頭の中が痺れたように麻痺し、颯太の香りだけを求めて目を閉じた。
「好きだよ……結衣」
……今まで、どうして気付かなかったんだろう。
颯太ほど、私の微かな変化に気付いてくれる人なんていなかった。
今になって思い返せば、辛い時はなぜか、いつも側で笑ってくれていた気がする。
いつも……いつも側で、見守っていてくれたのに。
私が、いつまでも過去に縛られていたから……
「颯太……私と、付き合って」
小さな決意表明が、大きなターニングポイントになる。
その瞬間、私の人生に颯爽と現れたシュバリエは、世界で一番輝かしい微笑みを見せてくれた。
「……もちろん、喜んで」
fin.
隣の席の王子様、をテーマに書いてみた作品でした。
未熟な点も多々あったとは思いますが、少しでもお楽しみ頂けたのなら幸いです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました!