2012.1.10 大阪
畑が掴んでいた木村の腕に込められていた力がスゥと抜け、怯えと驚きに揺れ動いていたその目も諦めの色が現れ、床に向かって伏せられた。
「なんで、なんでここに来るって、解ったんですか?」呻くような問いが木村の口から溢れる。
「解ってたわけやない、ただのカンや。そやからここにおる警官はわしら二人だけや」と、答えたあと、内田巡査部長に「すまんが、新世界交番に走って応援呼んで来てくれるか?」と命じる。
慌てて駆け出した彼の背中を見たあと、今度は畑が訪ねる「今、心臓、具合どないや?」対して「大丈夫です」との小さな返事。
「留置期間中、ちゃんと医者に診せたるさかいに養生せい。これから長い長い取り調べや、それから裁判もある。途中で逝かれたら適わんからな」
との畑の言葉には、小さなうなづきだけで答える。
暫くして、内田が駆け戻ってきた。彼の後ろに続いて来た三人の制服警官は一様に顔を上気させている。慌てて走ってきたのと、冷えた外気のせいばかりではないだろう。
「さぁ、いつまでもここに居ったら迷惑や、迎えが来るまで交番で待ってよや」そう、畑が木村を促すと、ゆっくりと立ち上がり制服警官に囲まれ店を出てゆく。
畑は、唖然と一部始終を見ていた店主や店員、客らに頭を下げると「皆さん、お騒がせしました」
店長は何度も首を横に振り「構わんですよ刑事さん、後片付けしときますんで、はよ交番へ行ってください」
言葉に甘え、三人分の代金を支払い内田を伴いもう一度頭を垂れてから店を出た。
交番では三人の警官に囲まれた木村が、手錠腰縄姿でパイプ椅子に座りうなだれていた。
巡査部長の階級章を付けた中年の制服警官が畑に「府警本部の継続捜査係に臨場を要請しました。間もなく到着予定との事です」
「そうか、ご苦労さん」と礼を言い、木村の前に置かれたパイプ椅子に腰掛ける。
「木村よ、嫁はんの遺骨、どこにある?」畑の問いに「霞町駅前のひばり荘いうドヤです。部屋番号は三○七」若い警官が「現状確保に行ってきます」と飛び出してゆく。
「十七年間も逃げ回って、しんどかったやろ、お前が潜伏した行く先々に行ってどんな暮らししてたか見てきたし、そもそもその面みたら解るがな、どない見ても七十過ぎの爺さんの面やぞ、それ」
次の問には答えはない。だが、構わず畑は言葉を続けた。
「そやけどな、お前に身内を殺されたもんの十七年も地獄やったことも忘れんな、それに、お前を必ず捕まえてくれって、俺に泣いて頼んだお前のおかんの事もな」
うつむき、黙ってきた木村がここで顔を上げた。目袋の上に涙を貯め、手錠をかけられた両手をしっかり胸の前で組んで震わせながら、小さな声でつぶやく様に喋り始める。
「一日でも、忘れたこと、有りません。無いから、逃げたんです。苦しそうな顔のまんま死んだ雅弓の顔やら、俺に刺された時の岩本の目やら、店に火ぃ着けた時に聞こえた女の子らの悲鳴やら、テレビ出て、俺に呼びかけてた畑さんの言葉やら、おかんの話やら、そんなんから逃げとうて・・・・・・でも、あきませんでした。一昨年、時効が無くなって、もう、逃げられへん思いました。そんで、いわきの病院で死ぬかもしれんて医者から言われて、どうせ死ぬんやったら、大阪戻って、綺麗さっぱりケリ付けたれ思うて」
交番のドアの外で、幾つかの赤色灯が輝くのが見えた。府警本部の継続捜査係が到着したのだろう。
それを横目で確認すると、畑は立ち上がり木村を見下ろし言った。
「結局、自分がいつ死ぬか解らんようになってから気ぃ付いたんか?お前はホンマのボケや。ま、これで少しは楽になれるやろ、楽になって、自分のしでかした事と、今度は真正面から向き合え」
ドアが開き、カシミヤのロングコートの裾を翻し、数人の刑事を引き連れやって来たのは堂々とした体躯の継続捜査係長。今や警部となった陣内だった。
畑の元で事件の初動捜査にあたっていた頃はほっそりとしたソース顔だった彼も、いまや押し出しの効く容貌となっていた。
「十七年にして、やっとパクれましたね。ご苦労様でした」そう深々と腰を折る陣内。畑も「君も、よう頑張ってくれたな」と返す。
黒塗りのクラウンの後部座席に、陣内と畑に挟まれ木村が乗る。
走り出し。陣内の肩ごしに見えた通天閣を眺めた木村が、小さく呟いた「明日は曇りですなぁ」
同じく通天閣を見ながら畑も「ああ、一日、そうみたいやなぁ」
「課長、さっきも言ってましたね。何を見て明日の天気がわかるんですか?」助手席に居た内田が首を捻じ曲げ畑に問う。
「通天閣の頂辺、見てみ、円筒形のネオンがあるやろ?あれが全部白い時は一日晴れ、上半分が青なったら雨時々晴れ後晴れ、逆に下半分が青の時は晴れ時々雨後雨、赤は曇りの表示で上下全部赤やから明日は一日曇や」
畑がそう答える横で、木村はひたすら通天閣の明かりを見つめていた。
まるで目に焼き付け用としている様に、その姿が見えるまで飽きることなく見つめていた。
完
拙作。最後までお読み頂き誠にありがとうございます。
そして、誠に暗い救いの無い話で恐縮であります。
本作のお題である『実在する有名な建物』を頂いた際、真っ先に浮かんだ建物が、大阪を代表する建物である通天閣であり、ふと、半ば自動的に通天閣の足元にあるジャンジャン横丁で、逃亡犯と長年追いかけてきた刑事が出会うと言うシュチェーションが浮かび、作品を書き始めた次第であります。
この様に着想そのものは素早く出来たのですが、書き始めてからが大変で、事件発生時の1995年に関しては、阪神淡路大震災やオウム事件のニュース映像をYouTubeで見ながら書き、Jヴィレッジの様子は、東電が公開した内部の映像や、最近までフクイチで作業されていた方のブログなどを参考になんとかでっち上げ、登場する街の雰囲気はGoogleのストリートビューを睨みながら想像を膨らませせると言う文字通り手探り足探りの創作活動でありました。
なんとか臨場感は出せましたでしょうか?
ちなみに、本作の主人公、畑健二捜査一課長は『君が手を振る』に登場する畑氏と同一人物です。(キャラの使い回しでは無くスターシステムですよ)
これらの作品では思慮深い出来上がったオヤジですが、彼も三十代の頃はイケイケのデカやった訳です。
こう言う未解決事件に関わり、刑事として成長していったというふうに描いて見ました。
そのへんも上手く書けましたかどうか?
今作も、ご覧のとおりなんのカタルシスも無い刑事モノであります。
しかし、私は以前から、犯罪、分けても殺人事件という究極の悲劇を描く作品に、カタルシスなどは必要ないと考えています。
人の命が理不尽に奪われるという出来事は、その発生も悲劇的ならば、捜査という過程も悲劇ですし、逮捕と言うクライマックスも悲劇的、勿論、犯人に下される裁きも悲劇です。犯人捕まってバンバンザイ!あ~あ、ヨカッタネなんて決してならないはずです。
ですから、本作もすっきりしない雰囲気で終わらせましたし、これから私が警察小説を書く際には、まず胸のつかえが取れるような作品は俎上しないだろうと思います。
と、宣言しておいて、キーボートから離れたく思います。
山極 由磨