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2011.12.27 福島

 常磐自動車道を広野インターチェンジで下り、国道六号線を北上すると、すれ違う車の種類がすっかり変わったのに畑は気付いた。

 十トントラックやユニック車。マイクロバスにダンプ。乗用車の姿はめっきり数を減らす。普通の暮らしが存在しないエリアが近づいてきたことを改めて認識する。

 Jヴィレッジ前の交差点に差し掛かると、前方には『警戒地域立ち入り禁止』の電飾表示版と機動隊のバスが数台。

誘導棒を振り回しながら駆けてきた警察官に助手席の男が警察手帳を示しながら言った。

 

「県警本部の小林だ、大阪府警の捜査一課長を指名手配犯の捜査でJヴィレッジにお連れするところだ、事前連絡は入れてある筈だが?」


 応対した若い機動隊員は硬い敬礼で応じつつ。「ハ!承っております」福島県警のマークXはそのまま右折しJヴィレッジへ向かう。

 本来はサッカーのトレーニング施設として建設され、あの震災まではサッカーのみならず様々なスポーツ振興の拠点として活用されて来たが、今では福島第一原発での事故処理の拠点となり、作業員の待機所や作業前の準備施設、東京電力の二次、三次会社の現場事務所などが置かれている。

 茶色の外装材で覆われた重厚な施設で、公共のスポーツ関連施設と言うよりはどこかの製薬会社の研究所か国際会議場と言った、ある種重苦しい印象の建物だ。

 車から下り、小林警部補に案内されまず向かったのは『田村和夫』を名乗る木村貞男を雇用していた東電の三次協力会社『いわき鉄鋼建設工業』の現場事務所。このJヴィレッジのメインビルに現場事務所を構えており、本来は東電関連の建設工事を請け負う会社だが、此処では水素爆発で吹っ飛んだ原子炉建屋のカバーを建造する作業に従事していた。


 この会社に木村が雇用されていることが解ったのは今年の五月、連休明けのこと。

 警視庁が有印公文書偽造の容疑で摘発した運転免許書偽造グループの顧客リストの中に、木村と思しき人物の顔写真があったと大阪府警の継続捜査係に連絡が有った。

 早速、問題の写真を送信してもらい、科捜研で手配当初の木村の顔写真と照合した結果、ほぼ間違いなく木村の物であると断定。直ぐ様全国に『田村和夫』名義の運転免許書が使用された形跡の有無の照会が掛けられ、この十二月にようやく、福島県の建設会社が臨時に雇用した男が、身分証明書として『田村和夫』名義の運転免許を提出した事が解り大阪府警から捜査員が急行したが、またもや『逃亡者のカン』が木村に働き、寸前のところで逃亡を許してしまった。

 先行した継続捜査班によって、木村のヤサや勤め先のガサは既に行われ、雇用先からの事情聴取も終わっていはいたが、その報告を聞いた畑は、是非とも木村がつい一週間ほど前まで居たその現場を目の当たりにしたい思いに駆られ、体の空いたこの日に日帰りの強硬スケジュールでこの地にやってきた。


 エスカレーターに乗り事務所のある二階へ、廊下を行くと青、ベージュ、うぐいす色、灰色、アイボリーなど、様々な色の作業着を身に付けた人々にすれ違う。

 東電を頭に二次、三次、下請け孫請け曾孫請け、無数の会社が入り込み、膨大な数の作業員があの放射線飛び交う福島第一原発でいつ終わるとしれない作業に従事している。その数、およそ三千七百人。その道のプロにより巧妙に偽造された身分証明書を用いれば、嘘の身元で潜り込んでしまっても解りはしない。

 今回、福島県警がこの原発の現場にターゲットを絞って捜査をしてくれなければ永遠に『田村和夫』の名は埋もれていた事だろう。


 『いわき鉄鋼建設工業』の事務所では、こげ茶色の作業服を着た事務員らがパソコンを前に無心の表情で業務をこなしている。

 所長と言われ引き合わされた男は三十半ばの建築屋というよりは研究者風の貧相な若者で、セルフレームの下の目に出来た濃厚な隈がさらに精気を感じさせない役目を果たしている。


「無遅刻無欠勤、少々線量の高い現場でも率先していくやる気のあるおじさんでしたけど、まぁ、逃亡犯でしたら、逆にあの従順さは無理もないことですよね」


 と、そんな事を言いながら出してきたのは作業員名簿。毎度のごとく血液型と生年月日以外はみんなデタラメ。

『田村和夫』の偽名が、小さな文字で書かれた名簿の表題部横に添付された例の免許証のカラーコピーを目にして改めて思う。これ、ほんまに五十男の顔か?

 木村の所在がつかめた当初、作業員が二十キロ圏内に立ち入るために必要な身分証明書である『管理区域立入許可証』作成の為に撮られた木村の顔写真が回ってきた時、その余りにも年老いた風貌に継続捜査係員一同は当然ながら、畑も心底驚いた。

 目尻の皺は更に深く、髪の毛はすっかり失せるか白くなり、目袋は重たげに垂れ下がり、無数のシミが頬や額に浮かんでいる。

 何よりも疲れきったような伏せられがちの目が、余計に老いた印象を強くする。

 逃亡し続けることも、ある意味懲役なのだ。逃げ続けることの倦怠と、捕まることへの恐怖が、容赦なく人の体から気力や体力を奪ってゆく。

 ましてや昨年4月27日に殺人の控訴時効は廃止された。つまり、木村は永遠の牢獄に収監されたも同然になったのだ。その終わりのない絶望が、木村の五十にして七十歳もかくやと言うような年老いた容貌を形成したのだろう。

 しかし、体調の変化だけは逃亡生活だけに原因を求めるのは早計に過ぎるかもしれない。


「で、木村の体調が悪い言うんはいつ解ったんですか?」書類から目を離し、目の前の所長に問う。


「この十月の事です。一号機の建屋カバー建設の現場で、資材運びをやってもらってる最中に動悸がするって言ってその場でしゃがみこんだそうです。で、直ぐ様作業を中断して、サービス建屋の診療所へ、この現場で体調不良を起こしたと言えば、まっ先に被曝を疑わなきゃいけませんからね、結局、過度の被曝は認められず、そのままいわき市内の病院に行かせました。作業中の怪我なら東電本社に報告せねばならないんですが、まぁ、ケガじゃ無いし・・・・・・」


 と、最初は普通の調子で喋っていたのだが、最後の方はなんとなくハギレが悪い。たぶん、喋っている相手が警察官、それも捜査一課長という事を思い出したのだろう。そしてとうとう「ここからは専門的な話に成りますんで、詳しいことは彼が通ってたいわき市の病院で聞いてください」

 雇用に至る詳細は継続捜査班が彼から聴取しているし、他に聞くこともないと考えJヴィレッジを辞することにした。

 そもそも、あまり長居しても気分の良いところではない。


 メインビルから出て再び車に乗る。走り出すなり一台のバスと一時並走した。

 行き先表示版には『JV=F1』とあり、乗降口には『現場からの資材、工具の持ち出しは厳禁』との張り紙。車窓に並ぶのは、白や青のタイベックス製防護服に身を固めた無数の作業員。恐らく遅番の作業に従事する人々だろう。

 ふと、畑は以前見た映画の一場面を思い出す。そう、あれはトム・ハンクスの『プライベート・ライアン』

 ノルマンディーの海岸に接岸せんとする上陸用舟艇に詰め込まれた兵士の、恐怖、不安、諦観、無関心、放心、そんな様々な自己防御の為の能面の表情を張り付かせた姿に、どことなく似ていた。

 確かに銃弾や砲弾の破片が音速ですっ飛んでくる戦場と、目に見えない放射線が光速ですっ飛んでくる現場、心を厳重に鎧わねば向かえる様な場所では無い。

 バスはJヴィレッジ前のスロープでマークXを追い越し、しばらく先行したあと交差点を右折し北上、検問で一時停車し通過の許可を待つ。

 その先は『警戒地域』福島第一原発の周辺半径二十キロに広がるノーマンズ・ランド(無人地帯)。

 道の向こうに消えてゆくバスを畑は、暫くリアガラス越しに眺めた。



 次に向かったのはいわき市内にある木村が通っていた病院。ここで彼は勤め先である『いわき鉄鋼建設工業』の健康保険証を使い通院していた。

 会社側は身元の確認を運転免許書一枚で済ましていたので偽名でも社会保険であれば保険証を取得でき、木村もちゃっかりそのトリックを利用していた。逃亡者には独特のカンが育つのなら、これまた独特の知恵も身に着くのだ。はたまた、制度の側にも不備があるのかもしれない。

 彼を担当していた循環器科の医師は畑と同年代の恰幅の壮年の男で、自分も循環器方面を気にしたほうがいいような立派な腹をベルトに食い込ませつつ、たらこの様な指で一枚のカルテを畑の前に差し出した「典型的な拡張型心筋症ですね」

「拡張型心筋症・・・・・・ですか?」そうオウム返しに聞きなおす畑に彼は更に言う。 


「ここに来た時は既に相当進行した状態でしてね、まぁ、もう少し、あと一年早ければ移植やバチスタ手術を行える状況だったんですが、血管がそんなハードな手術に耐えられる状態では無くなってまして・・・・・・」


 医師はそこで言葉を濁し口を噤む。畑は、あえてあっさりと彼に訪ねた「ぶっちゃけ、どれくらい持ちます?」

 あまりも明け透けな物言いに少々驚いたのか、息を飲み、メガネを治し、唇を舐めて少し湿らせたあととつとつと答えた。


「安静にしていれば、二年。ただし、これから取り調べや裁判や、ストレスの強い事が続くんなら、それも難しいかもしれません。おまけに心室細動が出れば突然死の可能性もあります。早く身柄を確保して入院させる必要がありますよ」


 事前に報告は受けて知っては居たが、直接我が耳で聞くとなにやら体中から力が抜けてゆく感覚に襲われる。

 持って二年、取り調べやら裁判やらには、耐えられん、やと?

 時効という逃げ場が無くなったら、今度は余命という人生その物の時効が迫っているというのか。

「その事は、本人には伝えて有るそうですね」と畑、深くうなづいたあと医師は「今後の安静を促す必要もありますから」

 十七年にも及ぶ膨大な時間と労力と費用を掛けた捜査が、場合によっては今すぐにでも水泡に帰すると思うと、無力感で頭の一つも抱えたくなるが、しかし、この事を大阪の府警本部で聞き、改めて診断した医師本人から知らされるに当たって、畑は一つの確信と覚悟を腹の中に据えることが出来た。

 

 診察室を出る前、畑は思い出したように医師に訪ねた「先生、この辺に串カツ屋ってありますか?」

 突然の毛色の違う質問に彼は一瞬戸惑ったが、陰鬱な会話の後に降って湧いた砕けた質問にホッとした様子で答えた。


「いわき駅の前に、大阪から来た料理人さんがやってる店がありますよ、目の前で揚げてくれて、アツアツの奴を食べさせてくれるんです。ソースも二度漬け禁止って奴で・・・・・・」


 そう言ったあと、分厚い両手で膝を叩き「田村さんも常連だって言ってましたよ。あそこは本場の味がするから、少々値段が高くても行くんだって」

 やはり、ここでも他の逃亡先と同じく、あの習慣を続けていたのか。もし、ここで妻の命日を迎える事になったなら、その店でも陰膳をあげるつもりだったのだろう。

 その確証を得て、腹の中の確信と覚悟はさらに強固な物になる。

 消えた時効、迫る死、この逃げようのない現実を前に木村はどこへ向かうのか?まともな葬儀も、十五年の時効さえ過ぎれば挙げられると思っていた十七回忌も上げられなかった。その末にまもなく訪れる妻の命日。

 畑の中にはその答えが有った。

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