第6話
「明智真様でいらっしゃいますね?」
墓地を出たところで声を掛けられる。
真智明=明智真の目の前には、一台のリムジンが止まっていた。
そして、運転席から初老の男性が顔を出している。
明智はソフト帽を脱ぎ、頷く。
それを確認した男は、
「お迎えに上がりました。後ろにお乗りください」
と、乗車を促す。
言われた通りに、一番後ろのドアを開けると、そこにはすでに先客がいた。
まず目に着いたのは、朱華色の生地に白梅が染め上げられた着物。
まだ一月下旬で、寒い時期が続いているが、その柄は少し早い春を感じさせた。
「遠慮は無用です。お入りなさい」
「失礼します」
明智は後部座席に乗り込む。
車の構造上、自然とその女性と向き合う形で座る形で座ることになった。
――彼女が、自分の訓練を担当する人間なのだろうか。
自分よりは年上だろう。
相手は、特に身動きをしたわけではない。言葉も、一言のみ。
だが、その落ち着いた物腰から、只者でないことだけは察せられる。
落ち着いている、という印象から、先程会ったばかりの女性――渥美瞳がふと脳裏に浮かんだものの、彼女は落ち着いているというよりは、むしろ控えめと形容した方が正しいだろう。
一方、目の前の女性は落ち着いた中に艶やかさを感じさせることで、全く別の印象を与えてくる。
「申し遅れました。私は喜三枝美妃と申します」
――喜三枝?
その名には聞き覚えがあった。
だが、それほど重要ではないし、まさかという思いの方が大きかった。
だから、この場は気にしないようにしよう……と真は考えたのだが、
「さすが、警察の方ですね。私の名前から、何か思うところがあったようですね」
と、こちらの胸中を読んだかのように言う。
「……元、警察官です。それに、警察官だった真智明という男はすでにこの世に存在しない」
自分は、もはや別の人間も同義である……その事実を再認識するために放った言葉であったが、その言葉を発する自分自身に違和感を感じてしまう。
その思いを飲み下し、さらにこちらから問うことにした。
「ところで、訓練官の方はどのような方なのですか?」
現在、指定された訓練施設に向かっているはずだ。
たぶん、訓練官も施設の方で待機しているだろう……そう明智は考えていた。
すると、眼前の女性がクスリと笑い、
「どのような方、と聞かれましても……貴方のすぐ目の前にいるではありませんか」
「……は?」
一瞬、何を言われたか分からない。
何とか気を落ち着かせ、意味を理解しようとする。
そのとき、車が停止した。
「明智様、奥様、到着しました」
「ご苦労様、瀬畑さん」
車のドアが開き、美妃が先に降りる。
明智はホッとした。
タイミングよく着いたおかげで、会話に不自然な間が出来ることを免れたからだ。あのままなら、確実に返答に困っていたことだろう。
――逆に言えば、明智がいかにあの女性を見た目で判断し、侮っていたことを示しているのだが。
明智は後に続いて車を降りた。
――ここは、いつの時代の日本なのだろうか。
初見で明智が抱いた印象がこれである。
とりあえず、今の建築基準を満たしているのか、少し心配にもなった。
何故なら、目の前にある建物は、明らかに純和風の造りだった。材質は見た限り木で、時代劇でよく見る、書院造の流れを汲んだ、いわば武家屋敷のような風貌だ。
もっとも、それだけなら明智も、「製作者と住人の趣味」と思い込むことで片付けることが出来た。
――出来たのだが――
「お帰りなさいませ、奥様」
整列し、一斉に頭を下げる妙齢の女性達。
彼女達の言う「奥様」とは、美妃のことを指すのだろう。ひょっとしたら、彼女の部下か、あるいは使用人か。
――「ひょっとして」と付けたのは、再び頭を上げた女性達の服装は、とある電気街の喫茶店で「お帰りなさいませ、ご主人様」と男性客をもてなすウェイトレス達が着てる紺色のワンピースに白いエプロンではない。
彼女達は、全員色や模様に違いはあったものの、着物姿だった。ほとんどが黒髪で、カチューシャの代わりに、結うかまとめるかした状態で簪や櫛で留めている。
木材で建てられた純和風の家屋の前に並ぶ着物姿の侍女達……ここだけ時代が違うのではないかと明智が錯覚しても仕方のないことであった。
そして明智がそんな不埒(?)なことを考えているのを知ってか知らずか、美妃が次々と指示を出す。
「まずは、彼を離れ屋へ案内して。それから、今の彼の実力を知りたいから、一息吐けたら道場へ連れてきて。道着と防具の準備は? よろしい。それから――」
一通り指示が出されると、侍女の中から一人がこちらに近づく。
「明智真様でいらっしゃいますね? 話は伺ってます。
これから、訓練期間中に使用して頂く部屋へ御案内します。どうぞ、こちらへ」
訓練期間中の待遇は多少聞いていたため、案内されるまま付いていく。
最初に目に付いた大きな建物を迂回し、これまた書院造の家屋があった。その建物は、渡り廊下のようなもので別の建物に行けるようになっているが、一応玄関もあった。
引き戸が開けられ、中に入り靴を脱ぐと、侍女の差し出したスリッパを履く。
侍女を先頭に、縁側を歩いていると、手入れの届いた松の木や、池、灯籠などの並ぶ庭が見える。
「こちらになります」
やがて、立ち止まり、侍女が障子を開けた。
部屋は、外見を裏切らないものだった。
床は無論畳で、柱や天井には木目が走り、違い棚や天袋(違い棚より上の位置にある、小さい押入れのような収納スペースのこと)、床の間(現在で使う床の間とは意味が違う)には掛け軸が掛けられ、壺が置かれている。
敷居を跨ぎ、出された座布団の上に正座すると、別の侍女が湯呑を持ってきた。
茶を喫すると、さらに衣服を持ってきて、
「奥様からの言伝です。
落ち着いたら、こちらの道着に着替え、道場の方へ来てほしいとのことです。
準備が済み次第、控えている我々に声を掛けてくだされば、御案内いたします」
道場……とは、訓練施設を指すのだろうか。
明智は茶を飲み切ると、襖を開けた。
襖の先は、別室になっていて、和室であることに変わりはないが、箪笥、そして部屋に不釣り合いなPCといった家具や電子機器が置かれている。
外を見た。
先程の言葉通り、障子が開けっ放しの状態で、侍女達が縁側に待機している。
明智は道着を抱え、別室に移動し、襖を閉めた。
後書きは後から追加します。