第125話
一人の女が、喫茶店の扉を潜った。セミロングで揃えた黒髪に、細くて飾り気のない白フレームの眼鏡を掛けている。着ているスーツと合わせて、誰もがオフィスレディと考える風貌だった。
ウェイトレスの「いらっしゃいませ」の言葉を聞き流しながら、待ち合わせしている相手のいる奥のテーブルへ向かった。
「久しぶりね、マドカ」
座っていた金髪の女性――CIAエージェントの昴星羅がコーヒーカップをソーサーに戻す。
結城まどかは向かいに座った。注文を取りに来たウェイトレスには「アメリカン、ホットで」と答える。
少しして、注文した飲み物が運ばれてきた。テーブルにカップが置かれ、店員が遠ざかるまで、まどかは一言も話さなかった。
「ちょっと無愛想になった?」
星羅の質問に、
「貴女は、遠慮というものを忘れた」
と、まどかは返す。
「冷たいわね。私と貴女の仲なのに」
「親しき仲にも礼儀あり――日本の言葉よ」
互いに睨み合う。
「礼儀――ね。懐のものも?」
星羅が目を細め、まどかの胸元――より正確に言えば、ショルダーホルスターに納めた拳銃がある場所を見つめる。
「これは淑女の嗜み、よ」
星羅の問いに、今度はおどけて答えた。
たまらなくなり、星羅が噴き出す。さすがに店内で大笑いをするような真似はしなかったが。
「本題、入りましょうか」
星羅の方から打ち出す。
「えぇ」
まどかも頷き、話し始める。
「武装テロ組織、ユーラシア人民解放軍ーー日本内の拠点で、貴女のくれた情報にあった女学者の身柄を確保したわ」
「……日本?」
星羅が驚く。そうだろう。彼女の情報では、中東のとある国の兵器研究所にいるはずだったのだ。
「それも、ユーラシアと?」
「確保した拠点には、培養設備が運び込まれていたわ。ただ、肝心のウィルスが見つからない」
「――彼女は学者であって錬金術師ではないわ。無から生み出せはしない」
星羅が考え込みながら、言葉を紡ぐ。
「考えているところ申し訳ないけど、まだ続きがあるの」
星羅が促す。
「拠点を制圧中、第三勢力が襲撃してきたわ。持っていたタグから、PMC――それも、CIAのお得意様の方々と判明している」
そう言い、まどかは封筒を差し出した。
星羅が受け取って、中身を確認する。中には、PMCの人員――正確には妨害をしてきたPMCのリストと顔写真が何枚か入れてあった。
「見覚え、聞き覚えのある人間はいた?」
そう言いつつ、まどかは上着の前ボタンを外す。これで、いざというときに懐の拳銃に手が伸ばせる。
彼女の事は疑いたくはない。だが、もしかしたら、ということもありえるのだ。
まどかが星羅の反応を窺っていると、彼女はテーブルに投げ出すように資料を置き、天井を仰ぐ。
「……この二人」
星羅が二枚の顔写真を指した。これは、昨夜セーフハウスに襲撃してきたPMCの内捕虜にした男達だ。
「一人は路次和大。もう一人は門多群平……こいつらが、日本に来ていたとはね」
それぞれの男達の名前を答える。
「あるエージェントが、積極的に仕事を斡旋しているPMCがある。彼らは基本六人組で行動しているわ。共通点は、北欧の特殊部隊に所属していた過去がある日系人。そして、主に派遣されているのは、中東の激戦区――特に、対米の武装勢力が実権を握っているような場所よ」
「その内の二人?」
「えぇ。表向き、米軍へ協力してくれる重要人物の警護という名目で派遣されているけど、実体は――」
「敵対武装勢力との戦闘、ね。本来企業に過ぎないPMCが自ら戦闘行為を行うのは違法なはずだけど――」
「それでも、平然とやっている奴がいるのよ。嘆かわしい」
星羅が嘆息する。
「この二人含めた六人組――イグデュラセルが恐ろしいのは、たった六人で、米軍介入前の武装勢力の大半を排除するような実力者ってことよ。やっていることは、米軍突入前の露払いね」
イグデュラセルというのは、そのPMC達の社名か戦闘コード名か――どちらにしろ、思った以上にやばい連中のようだ。
「……無理を言ってしまうけど、イグデュラセルの残り四人の情報はもらえるかしら?」
まどかが尋ねる。
「すぐに用意するわ」
即答だった。
「自分で頼んでおいて何だけど、それ機密情報よね?」
念のため、確認をする。
「えぇ。だけど、これの雇い主が関わっているとなれば、話は別よ」
星羅が断言した。
その時だった。
突如、窓ガラスに弾痕が入り、二人の近くで読書していた男の頭が吹き飛ぶ。弾けた鮮血が、天井を真っ赤に染めた。
血飛沫を浴びた店員が悲鳴を上げる。
まどかと星羅の反応は迅速だった。咄嗟に机をひっくり返し、即席の遮蔽物にする。
「伏せて!」
まどかが騒然となっている店内で叫ぶ。
狙撃だ。それも、確実に自分達も狙っていることが分かる。
何故なら、先程撃たれた男は、星羅と同様CIAのエージェントだ。二人が話している間の周囲の警戒をしていた。
二発目、三発目の弾丸が飛んできて、立っていた他の客や店員を撃った。
パニックに陥った客達が一斉に入り口に殺到する。
だが、先に外から扉が開けられ、短機関銃を持った男達が入ってきた。フルオートで撃ち、次々と無関係な人間を殺していく。
――無差別テロに見せかけるつもりか!
人が多い場所なら、目撃者を気にして逆に襲って来ないものだが、そんなセオリーは通用しないらしい。
いっそのこと、周りの人間ごと殺害して、捜査時に対象を絞らせないつもりのようだ。
まどかは、懐から愛用のSIG GSRを抜いた。特許の切れたコルトM1911通称ガバメントを、スイスのSIG社が独自改良して製造したモデル。SIG社製拳銃特有の、角張った外観のスライドが特徴だ。弾倉内には、.45ACP弾が八発。
すでに、初弾は薬室へ装填済みだった。安全装置を解除し、撃鉄を親指で起こす。
カウンターの向こうの店長を蜂の巣にしていた敵目掛け、二発発砲。首とこめかみに命中する。
さらにこちらに気付いた敵に照準を切り替え、二発。胸に着弾するも、相手は少しよろけただけだ。防弾ベストを着込んでいる。
別の敵が、隠れているテーブルへ向けて乱射してきた。
まどかと星羅はテーブルを盾にしつつ姿勢を低くする。材質が銃弾に耐えられるようなものではなく、瞬く間に穴だらけになった。伏せてなかったら、貫通してきた弾に撃たれていただろう。
今度は星羅が発砲した。テーブルが盾の役割をしないと分かった以上、こちらもテーブルごと撃ち抜くことにする。
星羅の持つSIG P250から.40S&W弾が放たれた。テーブルを貫いた10mm口径の弾丸が、男達の足下で跳ねる。何発かが、足を撃ち抜き、男達を転倒させた。
「今!」
星羅の合図を耳で受けながら、まどかは右手と頭をテーブルから出し、GSRを連射。男達の頭を狙い、確実に仕止める。
店内に突入してきた四人の敵が片付いた。
まどかは薬室内の一発だけになったGSRの弾倉を交換する。
「マドカ、腕落ちたんじゃないの?」
星羅が指摘する。
「現場を離れて三年も経つのよ」
まどかは苛立ちを隠そうとしたが、返事に滲み出てしまった。
三年前の任務で負傷して以降、司令官の秘書という裏方に回されていた。訓練こそ時間を見つけてはするようにしていたが、腕が鈍ったことは否定できない。
「とりあえず、次が来る前に逃げましょう」
少なくとも、狙撃手は残っているはずだ。
「同感ね」
二人は狙撃されないように匍匐移動し、店の裏口から外に出た。