第106話
東京都と神奈川県の県境付近――民家や商店は疎らで、他にあるのは何年も前に稼働を停止した工場と、敷地から離れた位置でまだ鉄骨による骨組みまでしか出来ていない建設中のマンション。
綾目留奈は、廃工場から少し離れた位置にある小高い丘に、愛車のアウディを停めた。望遠鏡を手に、丘を登る。廃工場からは、丘が陰となって車は見えない。
望遠鏡を覗くと、ちょうど追いかけていたトレーラーが廃工場の敷地内に入っていった。入り口や敷地内には、ホームレスの振りをした見張りが多数いるのが確認出来た。
一度ルナは丘を下り、車に戻った。そこへ、一台のバイクが近付く。
「ルナ」
「クッス」
互いの愛称を呼び合う。
クッス――杏橋楠はアウディの隣にバイクを停めた。
「どうだった?」
「目標が入った。見張りも多数いるから、そこまでしか確認出来てないけど」
首尾を確認し合う。
「ここからは上の判断待ち、ってところかしら」
「そういうことね」
ルナは通信機を入れ、報告を行う。
上の判断は、かなり迅速に行われていた。すでに動ける隊員を収集し始めており、編成が終わり次第送るとのことだった。
了承し、自分達の武器を確認した。アウディのトランクを開くと、そこにはタクティカルベストや各種銃器が最低限揃えてある。
到着までの間、相手の動きを見張ることが今の任務だ。
召集を受けた明智真は、装備を調え次第、ワゴン車に乗せられて現場への移動を行っていた。
「何が起きたんですか?」
ここまで慌ただしいとなると、かなり重大な案件であると思われた。
「前々から我々がマークしていた企業が動きを見せた」
移動中、太刀掛仁が説明してくれる。
現在、海外に派遣されて不在となっている勝連や英賀に代わり、太刀掛が暫定的に指揮権を握っていた。
「企業、ですか?」
「そうだ。お前も警官として霧生組と戦っていたんだから分かるだろう? ヤクザなんかと秘密裏に取り引きしている舎弟企業のようなものだ」
「なるほど」
明智は頷く。
暴力団と裏で取引があり、金銭などを納めることで支援する企業がいるのは、警察官だった明智にとっては常識だ。
「ただ、今回のはもっと質が悪い。支援相手がテロリストだ」
「ナインテラーですか?」
明智は尋ねる。この組織に入ってから戦っている相手は、基本ナインテラーか、それを支援する犯罪組織だ。
「いや、別件――とも言い切れんか」
少し、太刀掛の発言に歯切れの悪さを感じた。
「奴らは、自らを『ユーラシア人民解放軍』とフザケた名前を名乗っている。聞いたことは?」
明智は首を横に振った。
「やはり日本での知名度はその程度か」
太刀掛は溜息を吐き、説明を続けた。
「ナインテラーはヨーロッパ系の元軍人や傭兵などが集まった連中だが、こっちは主にアジア系の連中が集まった過激思想のテロリストだ。
すでにロシア、中国、韓国、イスラエル、インドにタイなどでは奴らのテロ行為で被害が出ている」
「日本では?」
「出ている、が……何とか大きくならないように食い止めていられる、といったところだ」
含みを持った言い方をする。
「MDSIの活動のおかげ、でですか?」
「鋭いな」
太刀掛がニヤリと笑う。相変わらず好好爺と見せかけてニヒルな笑みを浮かべる人だ、と明智は思った。
「去年までに立て籠もりを三件、銃乱射事件を二件起こした。いずれも我々も対処したが、被害は出してしまった」
今度は苦々しい顔を浮かべる。
「何度も後手に回るのも癪だからと、捕まえた構成員を尋問して、国内に出来つつあった拠点を何件か潰した。おかげで、霧生組方面への対応が疎かになってしまったがな」
――そういえば、八洲組の情報を警察に流してくれたの、MDSIだったな。
明智は納得する。今にして思えば、そのユーラシア人民解放軍とやらの対応に追われていたから警察に情報を寄越したのだと分かる。
「で、今回マークしていた企業に話を戻すと、そいつらはユーラシア人民解放軍に関与している疑いがあった」
「しかし、確保、制圧には踏み込まなかった」
「あぁ。ある程度拠点は潰したから、一度泳がして再度動きがあるのを待ったんだ」
「そして、今回動いた」
明智が言葉を紡ぐ。
「その通りだ。しかも、最も厄介な相手と手を組んで、な」
「と、言いますと?」
太刀掛は再度溜息を吐く。
「今回、そいつらは海外の企業から表向きは購入し、国内に運んできたものがある。取り引きした企業は――」
太刀掛は一度言葉を切る。
「ナインテラーを支援している疑いのある奴らだ」
「……ユーラシア人民解放軍とナインテラーが手を組んだ、ということですか?」
明智が問う。
「そう考えるのが自然だろう。奴らにとって、最終的に共通の敵となるのは、アメリカだ。なんせ、世界一、二を争う軍事力と経済力で牛耳っているわけだからな」
「巻き込まれる方はたまったものじゃありませんね」
今度は、明智が溜息を吐く番だった。
「そうだ。無論我々は日本国内でのテロ行為は断固として認めない。ナインテラーだろうがユーラシア解放なんちゃらだろうが関係ない。叩き潰す」
――ついに人民解放軍と連呼するのが面倒になったな、この人。
明智としても、太刀掛の意見、牽いてはMDSIの理念には賛成だった。平和を望んで暮らす人を傷つけるテロ行為など、たとえ自分が対テロ部隊だろうと警察官だろうと――どちらの立場だったとしても、絶対に許さない。
「ところで、この人員だけで攻めるんですか?」
明智は別の問いを入れた。
今、車に乗っているのは、明智と太刀掛、そして運転をしている望月香の三人だ。何せ、主要なメンバーの大半が海外の任務に出ていった。聞いた話ではルナと楠がすでに現地で見張りに着いているそうだが、拠点一つ落とすのに人数が少なくないだろうか、と明智は思う。
「一応、各支部に動ける人間を何人か寄越してもらえるように伝えている。だが、厳しい戦いには変わりないだろうな」
太刀掛が渋い顔をして答える。
明智は「そうですか」と天井を仰いで息を吐く。
長い夜は、まだ始まったばかりだ。