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冥府の剣  作者: 梅院 暁
第1幕
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プロローグ

 男は、暗く狭い個室の中にいた。

 人一人通り抜けることも出来ない小さな穴に格子が嵌められた窓から差し込む月明かりが、唯一の光だ。

 部屋の中にあるのは、寝心地の悪いマットと、簡易なトイレのみ。そこからの異臭が鼻を突く。

 コンクリート剥き出しの壁の向こうから、叫び声が休むことなく響く。

 男はただ黙って膝を抱え、蹲っていた。

 廊下から足音がする。

 そろそろ看守による見回りの時間だっただろうか。

 足音はどんどん大きくなり、突如止まる。

 男は顔を上げた。

 目線の先に、制服を着た男二人が立っていた。

 一人は壮年で、見下すように視線を向けている。

 もう一人は比較的若い男だった。ひょっとしたら、自分と歳が近いのかもしれない。

 その男の目からは、何故か侮蔑ではなく、むしろ興味だろうか――なんとも形容し難い視線を鉄格子越しに向けている。

真智(まち)(あきら)

 壮年の方が、自分の名を呼んだ。

 特に反応をするわけでもなく、ただ睨み返すと、その男は顔を(しか)めながら、

「貴様の刑執行は、明日午前十時と決まった」

 と、宣告する。

 真智は、それを聞いても動じなかった。ただ、「やっとか」と心の隅で思った程度だ。

 そんな態度が不服だったか、男は眉間に(しわ)を寄せ、(きびす)を返す。

 明も話は以上か、と再び顔を(うつむ)けようとした。

「しかし、分からんねぇ」

 先程まで壮年の後ろに立っていただけの男が、いつの間にか鉄格子に手を掛けながら話しかけてきた。

「この男の罪状って……殺人、でしたっけ?」

「それがどうした。人の命を奪ったのだ。重罪には違いない」

「えぇ、そりゃあ分かってますがね……それでも、人一人殺しただけで死刑は重すぎやしませんかい?」

「貴様、それは問題発言だぞ!」

 壮年の方が声を荒げた。

「場合によっては、人命を軽んじていると見なすぞ!」

「明日には俺達の手で死ぬ奴の目の前でそれを言いますか?」

 男に悪びれた様子はなかった。

「俺が言いたいのはですねぇ、酌量の余地ぐらいはなかったのか、ってことですよ」

「そんなことは我々が考えることではない。裁判の結果だ」

「裁判、ね。

 そういえば――」

 すると、その男は人の悪そうな笑みを浮かべ、

「あんな裁判もあるんですねぇ……検事が被告に対してひたすら極刑求めて、本来被告を擁護するはずの弁護士が明らかに勘違いされかねない際どい発言で逆に追い込まれ……挙句には裁判員全員の判決が求刑ですか」

 真智は目を見開いた。

 何故そのことを知っているのか、という無言の問いに男は気付いたらしく、

「あぁ、俺その裁判のとき傍聴席にいたもんでね。

 それにしても、第一審で極刑も珍しいよなぁ……さらに驚きなのが――」

「止めろ」

 真智は男の言葉を遮った。

「すでに刑の執行は決まったんだ。今更何を言おうとどうにもならない。

 それに……俺のせいで人が一人死んだことは事実だ」

 久々に、独白にも似た長い言葉を吐き、再び口を閉ざす。

 男は、じっと見ていたが、

「お前、馬鹿か?」

「何?」

 男は先程とは一転、冷めた目で真智を見ている。

「お前、ひょっとしてあれか? 死んでも自分の誇りは守られます。だから、何を言われようが、何ともありません、ってか?

 ふざけんじゃねぇ」

 突然変わった男の雰囲気に、不覚にも明は飲み込まれていた。

「死人に口なし……死んだ奴は何も言うこともねぇ、そして何も出来ねぇ。

 死んだところで、守られるものなんざ何もねぇんだよ!」

「おい、いい加減にしろ!」

 ついに、壮年の方が怒鳴った。

 男は肩を竦めながら、

「こいつは失敬。これから死ぬ奴に説教なんか意味ないか」

 そう言い残し、男は目の前から去っていく。

 ――何なのだ、あの男は。

 真智は呆気に取られていたが、すぐにかぶりを振った。

 瞼が重い。

 どうやら、先程の言い争いで疲れてしまったようだ。

 睡魔が襲い来る中、真智の頭では止めどなく考えが浮かんでは消える。

 ――死んだところで何も出来ない?

 ――なら、この状況で何が出来るというのか?

 真智の体が前後に揺れ始める。

 ――出来るのは明朝の刑執行を待つだけだ。

 ――他に出来ることは……

 諦観を決め込んでいたはずの真智の脳裏に、一つ自虐的なアイデアが生まれた。

 ――脱獄か? 馬鹿な……そんなこと、出来るはずが……

 そこで、真智の思考は止まった。



 ――翌日、午前九時五十分――

 ついに、死刑囚、真智明の刑執行が近づいていた。

 ボサボサの髪に、顔中に無精髭が伸び放題の男の目の前には、輪の(くく)られた縄が天井から垂れている。

 日本の死刑制度において、処刑法は電気椅子でもガスでもない。

 絞首だ。

 男の首が、執行官の手によって輪をくぐらさせられる。

 確認が終わり、ブザーが鳴った。

 これは執行人にとってはただの合図。

 男にとっては、死の宣告。

 執行官が男の背を押した。

 男の足から、床を踏む感覚が消える。

 代わりに、縄が男の首に食い込んだ。

 死を受け入れようとしていたはずの男は、その瞬間、すでに手錠が外されていた両手を首に伸ばし、抗おうとする。

 だが、それも僅かな間だった。

 やがて、男の両手が、地面に向け、だらりと垂れる。


 ――午前十時、刑は執行され、一人の男がこの世から消えた。

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