第三章 小説における、その他の重要な技法
前章では、ファンタジーをひとつの技法とし、それをどう小説で用いるか、その結果どういった効果が生まれるのかについて述べた。だが小説とは、その全てがファンタジーのみでできているわけではない。この章では、補足的なものではあるが、ファンタジーの力を補完する他の重要な五つの技法について述べる。ただし、ここで述べる技法とは、小説のなかで使っても使わなくてもよいような一種のレトリックとは違う。物語にファンタジーの力を注ぎ、芸術とするための方法であることを念頭に置かなくてはいけない。
○象徴の技法
象徴という言葉はよく難解なものとして捉えられる。事実、象徴派と呼ばれる詩人は、一見難解な詩を書く。絵画においても、象徴派の絵画はただ見るだけでは理解できない。だがこれらは、全て作品の受け手側の問題であり、実際のところ象徴という技法は難解なものではない。
象徴とは、物事を抽象的にするための技法ではなく、より正確に物事を描くための技法である。例えば、りんごを知らない人間に、より正確にりんごというものを伝えるとする。象徴とは、既存の概念を組み合わせて新たな意味を創りだす作業でもある。そしてそのためには、少なくとも三つ以上の概念が必要となる。りんごの場合、果物、という概念だけではりんごを特定することはできない。だがこれに、赤という概念を合わせると、赤い果物、となり、少しりんごに近付く。さらに皮という概念も入れると、赤い皮の果物、といった具合に、さらにりんごに近付く。
例としてはりんごという簡単な題材を選んだが、小説において用いる場合は、選ぶ概念がもっと複雑になったり、日常生活以上の知識を必要としたりするようになる。そのため、象徴の技法が使われると、そこで使われた概念を知らない読み手からすると、この作品は難解だ、という感想になる。
幻想の世界は五感で捉えることができない。そのため、幻想世界を表現する際にも、象徴の技法は役に立つ。比喩の技法ではまだはっきりと伝えることができないものでも、象徴の技法を正しく使用すれば、より正確に描写することができるだろう。だが注意しなければならないのは、先ほどのリンゴの例のように、わずか十数文字で幻想の世界の様々な真理を描くことができると考えてはならないということである。作品全体を通して象徴のための概念を散りばめ、ひとつの総体として幻想世界を象徴させなければならない。
この技法を用いるためには、まず何よりも概念をより多く知ることが重要である。シンボル辞典等が一冊手元にあるだけでも大きな力となるだろう。そしてより多くの神話を知ることで、人類が持つ普遍的なイメージを捉えることができる。組み合わせの技術であるが、全く関係性のないふたつ以上の事象から共通点を見出す等の思考訓練を日頃から続けることで、力を付けることができる。
○印象の技法
印象とは感覚とも言える。つまりこの技法は、対象そのものではなく、対象から感じたものを描くことである。言い換えれば、感覚の動きの描写となるだろう。この技法は全くの主観であり、物事を正確に伝えるための技法ではないことを念頭に置かなければならない。だがこの技法を巧く使うものは、より人物の内的描写を深めることができる。その時その人物が抱いた感情を直接的に書くよりも、より正確に人物の感情を伝えることができるだろう。
例えば、悲しいという感情を描くとする。書き手は、この感情の深さや微妙な移り変わりを示したいと考えるだろう。その時、大きな悲しみと書いても、読み手にはどれだけそれが大きなものかが伝わらない。だが悲しいという感情を抱いた人物が、その感情を抱く前と後に捉えた世界の感覚の相違を描けば、感情の定量化が可能となる。
印象の技法は、五感のみに留まるものではない。幻想の世界を感じるために必要な五感以外の感覚についても、比喩や象徴の技法を用いれば描写することができるだろう。
この技法の訓練のためには、まず何よりも自らの感覚を敏感にしなければならない。そして物事に対してのわずかな気持ちの変化も見逃さないように観察しなければならない。例えば窓から一本の木を眺めるとして、朝と夜では、木に対する印象が異なるだろう。また、光の量によっても木は印象を変える。まずは自然の変化による対象の印象変化に注意すればよい。次には木によって喚起される感情の変化をどんなに小さなものでも見逃さずに捉え、見つめることである。
○写実の技法
純粋に描写力と呼ばれるものがあるとすれば、それが写実の技法となるだろう。印象とは逆に、この技法は完全な客観性から生まれる。木から感じる印象ではなく、木そのものを正確に捉えて描くのである。現実の世界でそうであるように、物語のなかにも距離というものがある。例えば、ある木から隣の木までの距離が一メートルであるとする。この距離間を正確に描くことができなければ、物語の世界は急速に瓦解し、つぎはぎだらけのいびつなものになるだろう。風景描写のための技法と言ってもいい。仮に風景描写のない、もしくはおろそかな作品であれば、読み手はそこに入り込むことができないだろう。
この技法の訓練のためには、スケッチブックを用意するべきである。目の前に広がる風景を、そのスケッチブックに言葉で描いていく。全体を捉えたければ、木は単純に木と表記すればいい。ただし、木という文字で、その木の大きさを表現しなければならない。この訓練の初心者は、すぐに自分がものの名前をあまり知らないという事実に気が付く。できればその都度、ものの名前を調べていくべきである。これを続ければ、比較的短い時間で写実のための力が身に付くだろう。
○現実の技法
現実の技法については、より観念的である。何をどうする、というものではなく、ファンタジーと同じように、これも作者の気持ちに由来するところが大きい。ここまで述べてきた技法のほとんどは、ともすると空想的に捉えられかねない。そのため、小説全体に現実的な重しを加えるための技法が必要となってくる。だが誤解してはいけないのは、現実の技法は、唯物論的な書き方をしろという意味合いではないということだ。全ての芸術にとって、唯物論は敵である。現実とは唯物論的な世界観ではない。日常生活そのものを想像することが、この技法の理解の手助けとなるだろう。
例えば、どんな異世界を描いたとしても、そこに生命がいる以上、生活というものが必ず存在する。その生活抜きでは物語そのものが始まらない。登場人物の一人一人に好き嫌いがあり、家族があり、仕事がある。家もあれば友人もいる。どんな世界であれ、物語が生まれる世界には人の集まり(コミュニティ)が存在する。それらの相互作用が物語の背景に流れていなければ、作品はつくり話にすらならない。現実とは、生命そのものが形を伴って世界のなかで躍動するための土台である。であるから、ファンタジーも含め、六つの技法のなかでは、ファンタジーの技法と最も補完的であり、その他の技法により描かれる部分でもある。
この技法の訓練は、幻想の世界を信じる者が、どれだけ自分の日常生活を活性化できるかにかかっている。どんなに優れた幻想を抱く者であっても、自らの日常生活が破綻していては物語を真の意味で創ることはできない。しかし同時に、幻想の世界と目の前の五感の世界とを調和する力も必要となる。ここで要求されるのは、思考の力である。現実の技法とは、幻想が空想にならないためのものであるが、そのためには公正な思考が要るのである。例えば、ある事象Aについての思考が、ふといつの間にか全く別の事象Bの思考に跳んでしまうような、脈絡のない思考力では、真に現実の技法を使うところまでは至れない。このための訓練はある意味どの技法の訓練よりも忍耐を要求される。まずは、外界からの刺激ができる限り少ない場所で、あるひとつの事象について最低五分間は連続して思考する訓練を行うと良い。この時選ぶ事象は、日常生活に即したものにする。例えば、目の前に鉛筆を置き、それについて形の由来や発祥、製造工程、世界分布などを思考する。注意しなければならないのは、形の由来について思考を始めた場合、脈絡なく思考が発祥に移ってはいけないということだ。この鍛練を続けることにより、物語の現実味は大きく変わってくるだろう。
○ゴシックの技法
ゴシックの意味合いは深い。ゴシック様式の建築に造詣が深い者であれば、ゴシックという概念を物語に適応させることの意味合いへの理解も早いだろう。ゴシックと言えば、古びた館や古城、幽霊、怪奇現象、廃墟、宿命等のキーワードを連想する者も少なくないだろう。確かに、これらはゴシック概念のひとつの表現と言える。しかし、物語に古城や幽霊を登場させただけでは、ゴシックの技法とは決して言えない。ゴシックとは、相反するもの同士の調和と、そこから生まれる永遠性にこそ真髄がある。ゴシックの技法は、幻想に永遠性を与えるという点で、最も重要な技法とも言える。
例えば、古びた館は、光と闇の調和を表現している点でゴシックである。廃墟は再生(動植物の成長)と崩壊の調和という点でゴシックである。宿命がゴシックとなるためには、そこに従順と抵抗がなければならない。また、ファンタジーにおいては登場人物が十代後半であることも多々あるだろう。この選択はゴシックの観点からすると正しい。そこには子供性と大人性の調和が生まれる可能性があるからである。
ゴシックの概念をより良く表現するためには、印象と写実の力が必要不可欠となる。物語において、ゴシックはただの概念として登場するだけでは意味を成さない。物語のなかで生き生きと描写されていて初めて、読み手は物語のなかに永遠性へと繋がる幻想の力を感じることができる。
この技法の訓練のためにはまず、相反するものが全く同じものであるという概念を理解できるようにならなければならない。この意味で、ゴシックの技術の真なる習得は困難と言える。例えば、一瞬と永遠が同じものであるということ、光と闇、生と死、愛と憎しみ、運命と不確定、ありとあらゆる対立事項の同一性を理解できなければならない。それさえできれば、印象と写実の技術により、書き手は自由にゴシック概念を物語に組み込むことができるだろう。