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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

役立たずと夫と愛人にバカにされたので手本を見せてもらう事にしました

作者: 白水那由多
掲載日:2026/07/02

 木々が生い茂った薄暗い森の一角。


 沼地にもほど近く、特有の湿っぽい空気が辺りを覆っている。


 その中にひっそりと建てられた、小さな建物から女の声が響いた。


「きゃあああ! いやああ!!」


 女は目を思い切り瞑り、腹に力を込めて悲鳴をあげた。


 だが───



「もういい、もういい結構だ。ヴェマール夫人」


 西側の壁に立ち並んだ男たちのうち、赤い服を着た男が眉間にしわを寄せながら彼女の()()を静止した。


 彼以外の男たちも彼同様、険しい顔をしたままでいる。


「少々時間をもらってもよろしいか?」


 そう言って彼は、他の男たちを引き連れて部屋の外へと出ていった。



 数分も経たずに彼らは戻って来たものの、やはり彼らの顔つきは変わらない。


「いろいろと話し合ったのだが、声はまあ良し。ただ、やはり、こちらが想定していた外見とは……違う」


 彼の手元には一枚の絵があった。


 そこに描かれているのは、豊かな栗毛色にリボンを編み込み、白いドレスを身に纏った二十歳そこそこの女性。


 しかし、現実に彼らが目にしているのは、髪の毛はブロンドで少し華奢な体格をした、どう見ても40手前の女だった。


「失礼だが、本当に本人なのかね?」


 赤い男は少しずれたメガネを直し、見比べるようにして彼女に訊ねた。




『不合格』


 そう書かれたカードの裏には、苦情についてはこちらまで! というメモと共に、連絡先が記されている。


 ヘンリエッタは小さくため息を漏らしながら、馬車の窓の外に視線を移した。


 空は青空であるものの、この後どうなるかわからないような雲が広がっている。


 馬車はカタコトと音を響かせながら軽やかに進んでいたが、彼女の心には重いものが広がっていた。


 同時に、この後どうするべきかという思いも。



 彼女は先ほどまで、ある()()()()()()()に参加していた。


 しかし、彼女自ら率先してこの催しに参加したのではなく、応募したのは彼女の夫だった。


 ある日、どうやって知ったのかは不明だが、夫はこの奇妙なオーディションの話を聞きつけたのだ。


 応募資格があるのは『爵位のある家に生まれ、容姿も恵まれている女性』


 そして募集主は、名前も国名も明かすことはできないが、ある高貴な人物であること。


 オーディションの内容は審査員の前で悲鳴をあげること。ただそれだけ。


 また、もしこのオーディションに合格すれば、法外な報酬を約束するという非常に馬鹿げたものだった。



 夫も本気にはしていなかったのだろう。


 経歴については、ヘンリエッタのものそのものだったのだが───肖像画についてはここ一年以内にできた、彼の若い愛人であるカーラのものだ。


 カーラについては今まで愛人たちよりもかなりの熱の入れようで、同時期に他にいた愛人をあっさり切るほどだった。


 しかし、結果的にオーディションに通ってしまった。


 そんな大切にしている女を行かせるわけには行かないが、話の種にはなると思ったのだろう。


 彼はカーラではなく、本妻であるヘンリエッタに行ってこいと命じた。


「お前は男子を産んでないし、もう産む可能性だってほとんどないんだ。それくらい役に立てよ。顔が違うと言われたら、肖像画を描いた画家が盛りすぎたんだとでも言っておけ。報酬の1/10くらいはくれてやるから」



 この役立たず。


 そう言われてしまえば、ヘンリエッタも黙るしかなかった。


 もともとこの結婚は、彼女たちの親同士で取り決められたものだが、ヘンリエッタはなかなか嫁ぎ先が決まらなかったことに加えて、夫のポールよりも3つほど年が上だった。


 彼に負い目を感じていた彼女は、従うざるを得なかった。


 もちろん、何度も離婚を考えたことがあった。


 けれどもその度に彼はこう言ったのだ。


「出ていくなら、ステラを置いていけ! 二度と会うな!」


◆◆◆


 御者が近道を知っていたのか、思っていた時刻よりもかなり早く家に着いた。


 ステラはちゃんといい子にしていただろうか? 新しくやって来た家庭教師のルイーゼ先生の手を焼かせてないだろうか?


 彼女がそのように思いながら家の扉を叩くと、出迎えた女中が驚いた様子を見せた。


「あっ、あの。奥様、恐れ入りますが、お夕食にはまだお時間があります。お嬢様も本日は大変いい子にしていらっしゃいましたので、もう少し外出されていても大丈夫かと……」


 なにやら彼女に隠したいことがあるのは明らかだった。もちろん、ヘンリエッタを気遣っていることも含んでいるのだろう。



「そんな嘘をつく必要はないわ」


 ヘンリエッタは気にしないと首を横に振った。


「それとも、まさか女主人である私に裏口から入れと? こんなこと、前もあったから驚きはしないわ」


 それ以上何も言えないでいる女中に外套を渡して中に入ると、すぐに夫がどこにいるか彼女は気づいた。


 趣味の骨董を無造作に置いている、あのセンスのない部屋。


 ホールを進んだ先にある部屋の一角から、夫の微かな笑い声を彼女は聞き取った。


 ついでに女の笑い声も。



「きゃっ!」


 女は露出させていた上半身を、流行りだという下着のようなドレスで咄嗟に覆い隠した。


 長椅子にポールが座り、さらにその膝の上に女が座って彼の首に腕を回しているところだった。


「ああ。オーディションはどうだった?」


 ポールは女をわきに移動させつつ、出入り口で無表情のまま佇んでいたヘンリエッタに悪びれもせずに結果を訊ねた。


「落ちたわ」


「そうか、やっぱり」


 ポールは励ますどころか、身なりを整えたカーラを抱き寄せながら、軽く笑った。



「まあ、声だけはいけると思ったんだが。でもやっぱり駄目だったか。見た目というのは馬鹿にならないもんな」


 大きなため息。これは彼女なりのせめてものできる抗議だ。


 不愉快そうにしているヘンリエッタを彼は一瞬見たものの、すぐにカーラに視線を戻し、まだあどけなさの残る彼女の鼻を人差し指で触った。


「それとも年齢制限に引っ掛かったか?」


 途端にカーラは噴き出し、それにつられてポールも大笑いした。


 一方のヘンリエッタは表情を崩さず、その場に佇んでいるだけだった。



「まあ、いい。それよりもこんな辛気臭い上に、運のない女といるとこっちまで引き連れられそうだ」


 彼は立ち上がり、まるで壊れ物でも扱うようにカーラを丁寧にエスコートすると、その場を去ろうとした。


 こんな時間から出かけるということは、彼は今日、もうこの家には戻ってこない。


「お夕食はどうなさるおつもりですか? ステラも楽しみにしていたんですよ?」


 それを十分に承知しているが、ヘンリエッタは一応妻としての、母としての役割のため、彼に問うた。


 どうせ返される言葉はわかっているにも関わらず。



「この状況を見てわからないのか? あの子には仕事が忙しくなったとでも言っておけばいい」


 想定通りの返答。


「そうですか。承知しました」


 事務的に返答し、ヘンリエッタがその場から立ち去ろうとすると、急に廊下の奥から子供の大きな歌声が聞こえてきた。


 彼女と手を繋いでいる家庭教師は、この家の状況がまだよくわかっていないのだろう。


 ヘンリエッタを見つけると彼女はしゃがみ、微笑みながらステラに何か声を掛けた。



「お母様!」


 ステラは満面の笑みでそう叫び、家庭教師の手を引っ張りながらこちらへやって来た。


「ねえ、見てみてお母様!」


 だが彼女が差し出すよりも前に、その小さな手に携えていた白い紙を少々強引にポールが取り上げた。


「なんだこれ?」


 そこには黒いクレヨンで、大きな丸とその下に四角い箱、そしてその箱の上下左右には棒のようなものが描かれていた。


「あっ……そちらはまだ練習中で、旦那様の絵をお嬢様は描かれていたんです。もうすぐ父の日ですので」



 ポールは微かに笑った。しかし、それは小さな娘の気持ちを愛おしく思う感情からではなかったようだ。


「下手くそだな。普通同じ年くらいの子供なら、色を足したりしてそれなりに描けているだろう。誰に似たんだか。ほら、見てみろよ」


 彼はその絵をカーラに渡すと、彼女もなにこれ、と言って笑った。


「私はね、お勉強をちゃんとやってもらいたいと思ってるの。けれど、絵を教えてくれる先生も付けてもらった方がいいかもしれないわね? お腹にいる私たちの子供には……」


 カーラは自身の腹をまるでヘンリエッタに見せつけるかのように撫でた。


 着ているのはコルセットを閉めていない、ゆったりとしたドレス。


 最近、そんな服が若い女の間では流行りなので、ヘンリエッタは特に気にも留めていなかった。

 


「私……たち?」


 めまいを覚えたヘンリエッタが思わずそう呟くと、ポールはわざとらしく「しまった」という表情をカーラに向けて見せた。


「ああ、実はカーラが妊娠した。もし男子だったら、この家で時期当主として引き取るつもりだ。仮に男子でなくても、彼女にはまだチャンスはあるしな」


「ええ。私ね、子供が沢山いる家に憧れていたの。それにうちの家系は男子が生まれることが多いから、かなり賑やかになるでしょうけど」


 唖然としているヘンリエッタと、この家の事情をようやく理解したルイーゼをよそに、機嫌の良さそうなカーラは堂々とした振る舞いでポールに腕を絡ませた。


 あなたと違って、私は役に立つ女なのよ!


 言葉にしなくても、そう言いたげな表情で。



 一方、幼いながらも、何かおかしい空気を感じ取ったのだろうか。


 ヘンリエッタのドレスの端をステラが掴んでいる。


 この仕草は、彼女が不安を感じたときによくするものだ。


 そんな彼女の変化に気づきもせず、ポールは紙を押し付けるようにして渡すと、それ以上は彼女たちを見ることもせずにその場を去っていった。

 

「下手くそって言われた……」


 笑顔を消し、しくしくと泣き始めたステラのことを、ヘンリエッタは強く抱きしめるしかできなかった。


◆◆◆


 もしかすると、彼にも多少の罪悪感があったのだろうか。


 また当分帰って来ないだろう。そう予想していたヘンリエッタに反して、ポールは数日後再び家に戻ってきていた。


 しかもしばらくは、留守にしないでずっと家にいるという。


 だが───


 今度はヘンリエッタが当分出かけることになった。


「兄が新しく別荘を購入したから、遊びに来ないかって誘ってきたの。甥や姪たちも遊びたがっているようだし、ステラもつれて行っていいかしら?」


 

 ポールは大抵、彼女がどこかに出かけていると知ると嫌味を言う。


 しかし、彼女の親族に対しては良い夫として振舞いたいようで、このように彼女の兄や両親から声が呼び出されたときは打って変わって素直に応じていた。


「ああ、いいとも。二週間でも三週間でも行ってこい」


 わかりやすい。しかも今回は世間体のためではなく、もっと別の目的があるからだろう。


 そう言いたい気持ちを抑えて、ヘンリエッタはステラを連れて家を出た。


 いなくなることが嬉しいのか、馬車が出立する際、わざわざポールは見送りに来るほどだった。



 ところが。


 途中で嵐にも遭い、やっとの思いで兄の別荘につき、近くの湖畔で休んでいる最中のことだった。


「大変だヘンリエッタ。今すぐ、ステラと一緒に家に帰ってくれ!」


 使用人から連絡を受けた兄は、ヘンリエッタに向かってそう告げた。


「どうしたの? 何があったの?」


 兄は信じられないと言った様子も見せつつ、彼女が傷つかないか慎重になりながらこう告げた。


「ポールが……死んだんだ」



 詳しい事情は戻ってみないと分からないと兄から言われため、ヘンリエッタは急遽ステラを連れて戻ることになった。


 帰る最中、彼女は悲しみを感じるよりも、どうしてそうなったのかと思考を巡らせることしかできなかった。


 事故死ではないことは確かだし、あのポールが自分で命を絶つ男には到底思えない。


 病気だって特段なかったはずだ。それなら考えられるのは……


「お母様、大丈夫?」


 馬車の中で心配そうにこちらを見つめる娘に、ヘンリエッタは自分がわずかに震えているのを感じながらも、何も心配いらないわと返事をした。



 家についてみれば、思いの外多くの人が出入りしている状態だった。


 使用人たちが先に進めておいた方がいいと思ったのか、葬儀屋から花屋、そして手伝いにやってきたのか見慣れない男たちがいる。


「状況はどうなっているの?」


 彼女が指揮を執っていた執事に尋ねると、彼はちょうど今警察の人間が来ていると伝えた。


「大変お辛い気持ちはお察しします。ですが、状況が状況なだけに聞かれた方がよろしいかと。これからは裁判も待っておりますし……お気を強く持って」


「ええ、わかったわ。私のことは大丈夫だから」



 見慣れない人間たちは、警察の人間だった。


 警察も事件には慣れてはいるが、事が事だけに慎重になり、彼女が感情的にならないよう配慮して、このようにできるだけ淡々と話すことに努めた。



 ヘンリエッタの留守中、やはり夫は愛人のカーラを家に呼んでいた。


 そうして就寝間際、カーラは自分は飲めないと言いながらも、美味しいワインを買ってきたとポールに差し出した。


 彼は自分でそれをグラスに注ぎ、それを飲み干した。


 すると急に苦しみ出し、辺りが海になりそうなほど血を吐きながら床に倒れ、喉を掻きむしって倒れた。


「うぐっ……うぐっ……」


 目を見開き、身体を痙攣させるポールにどうすればよいかわからなかった彼女は、泣きじゃくりながら部屋から飛び出した。


 半狂乱で使用人を頼り、医者を呼んだもののすでにポールは死亡。


 また、この非常事態にパニックになった新入りの使用人が、医者だけではなく警察を呼んでいた。


 呼ばれた手前、警察は何も調べず帰る訳にはいかない。念のためワインとそのグラスを調べると……なんと毒が出た。


 結果、状況的にカーラしか毒が入れられなかったため、彼女が逮捕されることになったという。



 話を聞き終えたヘンリエッタは、もうずっと立ち入っていなかったポールと自分の寝室を見た。


 かなり強い毒を盛られたのは明らかだった。


 拭いたのに落ちなかったのか、壁や床の一部にはまだ血の茶色いしみが残っている。


「恐ろしいことに、相当苦しまれたと思います。吐血した血は肺にも入っていたようですから。まあ、後は我々に任せてください」


 残された彼女と幼い娘を気遣ってか、警察は話を終えるとすぐにその場を立ち去っていった。


◆◆◆


 季節はあっという間に過ぎていった。


 ポールの葬儀後、彼の亡くなった後処理に追われているうちに、ヘンリエッタはカーラの裁判の日を迎えていた。


 しかしその間、彼女からは反省の弁を述べた手紙などは一切届かなかった。


「私は何も知らない! 何もやっていない!」


 彼女は髪の毛を振り乱す勢いで、取り調べ時にはいつもそのように叫び、頑として自分の罪を一切認めなかったのだ。

 


 だが、こんな態度をとっていても、証拠はある。


 陪審員たちは、きっと彼女が金にくらんで行ったのに違いないとみていた。


 なぜなら、自分が死んだらヘンリエッタとステラではなく、カーラの子供に継がせると書かれた遺言書が、ポールの机から見つかったのだ。


 そしてさらに警察が調べれば、カーラはポール以外にも恋人がいたことが発覚し、彼は証人として証言台に立った。


「確かに私と彼女は愛し合っていました。ですが、彼女には私以外の恋人がいただなんて……それに彼女は言ったんです。もう少しで大金が入りそうだと。私は冗談で言っているものだと思っていましたが、こんなことになるとは……」


「違う、違う、私はこの人のことなんて、一切知らない! 名前すら知らないわ!」


 彼女は必死に知らないと主張したが、男の他にも証人がおり、その証言によれば、確かに彼女は彼に連れられて自身の経営する店によく来ていたと述べた。


「それでね、私は酒場の他に薬局も経営しておるんですが、棚卸しでそっちに行った時、彼女一人で駆除剤を買うのを見たんですよ。だから、ネズミでも出たのかい? って聞いたら、妙に慌てて店から出て行っちまってねぇ……」



 また、別の証人によればこうだ。


「事件の晩、私は彼女たち二人が口論していたのを目撃しました。男性の方はいったん落ち着かれたようですが、口論中は彼女に、もしお腹の子の父親が違ったら別れるとも……そうしたら彼女は泣き叫んでいました」


 カーラは一段と知らない! 私たちは喧嘩なんて一回もしたことない! 何から何まで全部、デタラメよ! と机をバンバン叩きながら大声をあげて、とうとう気絶してしまった。


 だが、この状況下から、彼女が毒殺に至ったのだろうと言うのは明白だった。



「では今度は被害者側からの要望です。被害者の妻であるヘンリエッタさん。被告に対して、どのような刑を科したいとお考えですか」


 傍聴席から心配そうに見つめる兄や両親に、軽く頷きながら彼女は席を離れ、意見を聞きたいという裁判長の前に彼女は立った。


「私は……」


 ヘンリエッタは一瞬軽い咳払いをしたものの、すぐに背を正し、座っているのがやっとというカーラの方を見つめた。


「確かに、彼女には私の夫であり、娘にとっては父を奪われました。ですが……御覧の通り、彼女は妊娠中の身。正直、子供のいる自分にとっても、彼女の刑をどのように求めていいのかわからないのです」



 裁判長は眉をひそめた。


「と、いうと? 一応、御存知かと思いますが、身分の低い人間が高いものを傷つけた場合、相応の罰を受けることになります。おまけに彼女の場合は殺人。さらにあなたに対する不貞行為。ですので、命を持って償わせるということも可能ですが……」


 命を持って償わせる。


 その言葉を聞いた途端、カーラは大きく泣き出し、またしても私はやってない、やってないと何度も大声をあげた。


 無言でそれを見ていたヘンリエッタは、覚悟したように裁判長の方へ向き直った。


「裁判長、よろしいでしょうか?」


「ええ、どうぞ」


「……被告人に対しては、私個人の意見よりも、国の公正な判断に委ねたいと思います」

 

 一瞬の沈黙。


 傍聴人席からはどよめきが起こり、ヘンリエッタの兄や父からは、そんなことをしたら、この女は修道院に行くだけだ! 後悔する! 考え直せ! という言葉が飛んだ。


 しかし、ヘンリエッタは考え直す気はないと言った様子でその場を離れた。



 そうして判決は下された。


「判決。被告人は第三王子・アンドリュー殿下の元で更生すること」


 その結果に、傍聴人席からは信じられない、確かに更生には良いのかもしれないが……などの声が沸き上がった。



 アンドリュー王子とはこの国の第三王子だ。


 病気がちで外に出れないことが多かったせいか、それとも生まれ持った気質なのか。


 彼は狂っているということで有名で、一度何かが起これば、人に向かって訳の分からない事を言ったり、獣のように大きく叫んだり、卑猥な言葉を吐いたり、暴れて年々手に負えなくなっていると言われた少年だった。


 どの召使いたちも、彼の担当になることは嫌だと隠しもしなかった。


 しかし、ある時、一人の神父が彼の教育係として就いてから状況が変わる。


 神父は根気強く王子の狂気じみた話を聞いていたところ、どうも彼は絵に興味がある事がわかった。


 自身も多少の知識があったため、神父が技法を教えると、彼は周囲の人間が驚くほどの才能を開花させた。


 かくして、王子は絵を描くのに集中しているときや、その構想を練っている時は落ち着いているようになったため、王室は王子の役目というよりも画家として専念させるようになったのだ。



 自分は死刑を免れた。


 それを聞いたカーラは安堵する様子を一瞬みせたものの、すぐに大きく笑った。


「良かった! 私は本当に何もしていないのよ! 神様感謝します! やっぱり貴族の女性って優しい人が多いのね」


 でも、そうやって優等生ぶって気取ったところが大嫌い! 

 私の子が生まれたら、ただで済むと思わないで!

 彼の財産は全部この子のものなんだから!

 とカーラはヘンリエッタに向かって叫びながら退出していった。


 傍聴人席からはやはり刑が甘すぎる、国は一体何を考えているのだ! という罵声が飛んだが、それでもヘンリエッタは動じることがなかった。


「皆さん静かにしてください! これにて閉廷します!」


 裁判長は声を大きく張り上げて、皆にすぐこの場から去るよう命じた。



 結局、裁判はあっけなく終わった上に、ヘンリエッタも不服としなかったため、新聞も取り立ててこの事件についてはそれ以上の報道をすることがなかった。


 椅子に座り、新聞の報道面を見ていたヘンリエッタの兄は、わざとらしく彼女の前で大きくため息を吐いた。


「本当にあれでよかったと思うのか? 遺言書は正式に提出される前だったものの、あの女がもし男子を出産して、この家の正当な後継ぎだと現れたりでもしたら……」


 やはり不服だと異議を唱えた方がいいのでは、と彼は彼女に言ったものの、ヘンリエッタは首を横に振った。


「いいの。もうこれ以上、正直言って考えたくないのよ。あとのことは……多分、大丈夫」


 納得していないという表情を兄は崩さなかった。


 しかし、ヘンリエッタも折れるつもりはないのだろう。


 彼は彼女の軽く肩を叩くと、何かあれば力になるからとその場を去っていった。


◆◆◆


 それからしばらくのこと。


 王立美術館で、アンドリュー王子の新作が発表されるということが世間に伝えられた。


 事前に知らされた内容は『王妃マルゴットの赤い結婚』


 これは有名な寓話の一部だ。


 愛人である男と結婚するため、美貌を鼻にかけた王妃マルゴットが醜かった王を殺す。


 だが、教会で待っていたのは彼女の愛人ではなく、復讐に燃えた殺したはずの夫。


 彼の片手には血が滴る剣、もう一方の手には目が開いたままの愛人の首が携えられており、マルゴットは顔を赤くしながら叫び、怯えるという場面だ。



 大きなキャンバスにかけられた幕が落とされると、報道するためにやって来た記者たちは思わず息を飲んだ。


 圧倒的な画力もそうだが、聞いていた内容と異なっていたのだ。


 絵はその一場面だけではなく、復讐されて亡くなったマルゴットが王によって無惨に森の中に打ち捨てられ、どんどん腐敗していき、蛆が湧き動物に食い荒らされ、最後には骨になり、自然に還るという物語にない場面が追加されていた。



「館長! こちらはどのような経緯で、こうなったのですか?」


 記者のうちの一人が大きく叫ぶと、他の記者たちも我こそは先にメモを取ろうと、必死に筆を走らせた。


 館長によれば、伝えていた通り、当初アンドリュー王子はセオリー通りのモチーフだけにするつもりだった。


 しかし、ある出来事で彼に変化が訪れる。


 ある召使が急に死んでしまったのだが、その遺体を目撃したアンドリューに衝撃が走った。


「これこそ、僕が本当に求めていたものなんだ! 僕はこれが書きたかったんだ!」


 心が打ち震えた彼は、巨大なキャンバスにも関わらず、三日三晩寝食も忘れてこの絵を描き上げたのだという。



「それは、それは……しかし、この絵には神聖さが宿っている。間違いなく、後世に残る作品となるに違いない!」


 記者たちはその通りだと頷き、感嘆の息をつき、本当に素晴らしい、それしか言いようがないと絶賛せずにはいられなかった。




 一方。


「おめでとうございます。正式に、お嬢様がヴェマール家の後継者と認められました。もちろん、成人するまでは代理当主として、ヘンリエッタ様がその役を遂行されることも認められました」


 ヘンリエッタは家にやって来た使者から、そう通達された後、菓子箱にしては少々重い箱と、新たな領地を取得した旨の証明書を受け取っていた。


「また後見人につきましては、王家の信頼も厚いエレミー侯爵が適任ではと考えております。きっとあの方でしたら、お嬢様のいい縁談相手をご紹介してくださるでしょう」


「本当に何から何まで。なんとお礼を言ったらよいか」



 笑みを浮かべながらヘンリエッタは、一瞬、少しだけ騒がしい窓の外に目を向けた。


 外では、作業に取り掛かろうとしている内装職人と、使用人たちが持ち主のいなくなった骨董品をせっせと荷馬車に詰め込む様子が見える。


 彼女は滅相もないと言っている使者に、再び視線を戻した。


「いえいえ、こちらこそ。なにしろ間接的にではありますが、アンドリュー王子の作品に貢献していただいたんですからね」


 ただし……と彼は、先ほどの愛想のいい表情とは打って変わり、こう言葉を続けた。


「領地についての詳細は、他言無用でお願いいたします」


「ええ。もちろんです。今後も言うつもりは一切ありません」



 それなら良かったですと言いながら紅茶に手を伸ばした使者に、ヘンリエッタはところでと声を掛けた。


「美術館はずいぶんにぎわっているそうですね。連日、人も入れないとか」


「ええ。おかげさまで。偶然の出会いとは言え、もしかしたらこれは神が引き合わせてくれたのかもしれません」



 偶然の出会い。


 それはポールがオーディションに申し込んだ時点で、すでに始まっていたのだろう。


「本当に本人なのかね? どう見たってこれは……別人だろう」


 オーディションの最中、赤い服の男が絵とヘンリエッタをちらちら見比べると、ほかの男たちもうなずき、異論はないといった様子を見せた。


「やっぱり……そうですよね」


 ヘンリエッタもその場では誤魔化し笑いをするしかなかった。



「まあ、依頼主が絵を見て大変気に入られたので、声を掛けさせてもらったのだが……悪いが、もう引き取ってもらって構わない。ただ、夫人。一点質問したい。この女性は本当に実在するのかね? 存在するとしたら名は?」


「あ、はい。一応、この女性は存在はしています。名前はカーラと言うはずです」


 そうかと赤い服の男は少々考えこみながら頷いた。


 しかし、それ以上はヘンリエッタに用はないと言った様子で、自分たちも引き上げようと帰る準備をし始めた。


「仕方ない。もう一度水面下で探すしかないな」



 もしかすると、彼らは口伝で探そうとしているのだろうか。


 そう思ったヘンリエッタは、今度は彼女から声を掛けた。


「こちらの方こそ申し訳ありません。真剣に探されていると知らなかったとはいえ、夫が冗談半分で応募してしまって……ただ、皆様にさらにご負担がいかないよう申し上げますと、絵に描かれた女性は、貴族の娘ではありません。元はただの花売りだった、夫の愛人なんです」



「愛人……? 花売り?」


 ヘンリエッタの告白に、急にその場の空気が変わった。


 男たちは真剣な顔になり、怒っているともいないともわからない表情のまま、各々の意見を述べ始めた。


「しかしまあ、確かにこんな風に演技をしてもらっただけだと、やはり違うと言われるかもしれない」


「そうだとも。それにあの方の様子からすると、本気で怖がっている状態を希望している」


「かといって、貴族の女性に相応のことをやらせるのもどうかと思うぞ。むしろ、別の問題にもなりかねない……」


「だが、市井の女にやらしたら威光を笠に着て、家名を傷をつけられる可能性があるだろう」


 赤い服を着た男は、ヘンリエッタの方を再び向くと、少しまた話し込みたいのでその場で待ってほしいと伝えて、男たちと共に部屋を出ていった。



 そうして、戻って来た彼らから、思いもよらないことを彼女は伝えられた。


 実はこの依頼主は、美しい女が怯えて泣き叫んでいる顔を描きたがっている。


 しかし、国中を探してみても、依頼主が気にいるモデルがなかなか見つからない。


 そもそも彼が描きたい絵のモデルなんて、裸になることに抵抗がない下賤な顔をした娼婦くらいしかやらないのだから、彼の求める高貴な顔をした女などいないのだ。


 当然、顔に合わせて高貴な生まれの女性を探しても、そんなモデルなどやりたがるはずがない。


 それと先ほど、叫んでいる顔を見せてもらったが、やはり演技だからか、どうしてもわざとらしさが出てしまう。


 とはいえ、依頼主はとにかく本物を求めている状況だ。


 だから演技ではなく、本当に怯えたようなことを貴族女性にやらせるということになれば、さすがにそれはもう無理だ。



 なにしろ今話に上がっているのは


 水責め


 火責め


 むち打ち……など


 さらに生爪を剥いだり、指を折ることもありうると話が出ているのだから。


 そうなれば、我々は自分から進んでやってくれる、かなり奇特な女性を見つけるしかない。



「それはええと……どういう事でしょうか?」


 ヘンリエッタは理解が追いつかないと言った様子だったため、赤い服を着た男はニッコリとした笑顔を見せた。


 他の男たちも同様に、笑顔を浮かべている。


「つまり、我々にとってはこの状況のほうが好都合ということだ。なんの罪もない人間に、頼んでやって貰ったとしても、後々問題にされる事は無いと言えない。しかし、死んで当然と思われる人間にやらせるとしたら?」


 そうして彼はさらにこう言った。


「やっと見つけられた、この女をどうしてもこちらとしては欲しい。もちろん、協力いただけることにさえ同意をもらえれば、あとは全てこちらで対応する。気が向いたら、ぜひ連絡を」


 男は不合格と書かれたカードを彼女に手渡した。


「それとも、描かれた愛人があなたにとって何か役に立っているのかな? 少々やんちゃな夫殿も。色々と気苦労ばかりかけられているのだろう? きっと、我々の方が遥かに役立つはずだがね……」



 ふと、過去のやり取りが過ったヘンリエッタは、一点だけ気になることがあると使者に問うた。


「どうして絵の題材を急に追加することになったのでしょう?」


 使者は、あああれですかと言いながら少し目を泳がせて、彼女だから特別に教えると言った。


「いいですか? これも内緒ですよ」



 使者によれば、カーラのことを確かに王子は非常に気に入った。


 だが気に入りすぎたせいで、彼は彼女のさまざまな悲鳴を聞くために、ありとあらゆる拷問を試した。


 結果的に彼女は子供を産むこともできなくなり、身心ともにぼろぼろ。


「ああ、もう! これじゃあだめだ! だって、全然綺麗なマルゴットじゃないもん」


 いくら毎日、綺麗なドレスを着せて化粧をしても、いいインスピレーションが湧かない。


 王子は素材としては良かったのに。どうしたらよかったかなと笑って臣下に尋ねた。



「そうですね。殿下。では、ここで逆転の発想をしてみるのはいかがでしょうか?」


 臣下は今までは叫ぶ事ばかりに気が取られていたが、それなら今度は逆に沈黙させてはどうだ提案した。


「明日は首を吊らせて、ギリギリの所まで耐えさせてみましょう、ギロチンならうっかりそのまま首を跳ねてしまうかもしれませんし」


「なるほど。それもいいかもしれない」


 今日も恐怖で気を失ってるカーラに向かって、王子は優れたアイデアだとすんなり受け入れた。



 ところが。


 ある朝のことだった。その日はカーラが排泄をしたいと訴えたため、係は彼女を王子に会わせる前に手洗いに行かせた。


 しかし、なかなか戻ってこない。


 確認しに行けば、彼女は手洗いの換気する窓にひもを括りつけて、自ら首を括って本当に死んでしまっていたのだ。


 臣下は血相を変え、ただちに新しいモデルを探すと王子に約束した。


 だが、王子の反応は意外なものだった。


「ねえ。僕に本物のそれ(マルゴットの死体)を見せて」


 王子は血色が悪く、顔に蟻が這っているカーラを見て満足そうに微笑み、手にしていたスケッチブックに鉛筆を素早く走り始めたという。



「まあ、そんなことがあったのですね」


 ヘンリエッタは納得したと言いたげに頷いた。


 そして、一口紅茶を含ませようとしていると、お嬢様いけません! という声と共に、笑い声を上げているステラと、困り顔のルイーゼが部屋に入って来た。


「奥様、いいえ、ご主人様、申し訳ありません!」


 しかし、ヘンリエッタは構わないと言った様子で、長椅子の隣に座って来たステラを止めようとはしなかった。


「あら、なにか持ってるの? 見せてくれる?」


「はい、お母様。どうぞ!」


 にこにこと笑っているステラは、手に持っていた白い紙をヘンリエッタに手渡した。


 彼女がそれを広げると、描かれているのはヘンリエッタ、娘、そして顔を黒く塗りつぶされた人物だった。



「ねえ、これは誰なの?」


「これはね、一応、お父様!」


 あのね、お母様。


 ステラはお父様を描いたつもりだけど、いつも家にいないからお顔がよくわからなかったの! 


「頑張ったのね。すごく上手に描けているわ」


 誇らしげに言う娘に、ヘンリエッタは微笑みながら頭を優しく撫でた。



「では、そろそろ私も失礼させていただきます」


 穏やかに過ごせている母子に、一安心といったところだろうか。


 手を振って見送るステラに、立ち上がった使者は笑顔で振り返した。


 そしてヘンリエッタは、使者に改めて礼を告げるとともに、こう一言付け加えた。


「私としてはご協力できて、本当によかったです。父親としては役に立たなくても、夫たちは殿下の役には立てたのですから」


 とても幸せそうに微笑むその目には、一切の悲しみや寂しさはおろか、後悔というものが見られないのだった。

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