天下の奇習!乳首酒男
某県乳輪市乳頭区、B地区――。
今年も乳首酒男が選抜される日がやってきた。
乳首酒男候補である久宗は朝から念入りにシャワーを浴びて身体を清め、自宅を出た。乳首酒男は祖父がなったことがある非常に名誉ある役職で、久宗も二十歳になる今年からその候補になることを許されていた。
父と母に「いってきます」と声をかけると「ほどほどにね」と苦笑い混じりの返事があった。まったく心配性だなぁ、と久宗はのほほんと玄関から外へ飛び出した。
祖父はいつも言っていた。「乳首酒男は気持ちいい」と。
「具体的にどう気持ちいいのか」と問いかけると「おじいちゃん!」と祖母がいつも止めに入ってくるから詳細は聞けなかったものの、久宗にとって最も「気持ちいい」こととは、人の役に立つことだった。
そして乳首酒男は、男の乳首から出る酒を飲むと必ず戦に勝つのだという、この地域に戦乱の世より伝わる伝説だ。つまり乳首酒男になれば自らが縁起物となり、誰かの役に立つことができる。
つまり――すごく、気持ちいいはずだ。
この乳首――夜中のインターネットがこっそり教えてくれた手入れ方法で磨いた、ピンク色のぷりぷりの乳首が、いよいよ役に立つ時が来たのだ。そう思うと久宗の胸は弾んだ。
久宗は長い石段を一段飛ばしに駆けあがり、乳酒神社の境内へと入った。
決められた手順通りに手と口を清め、このB地区の若者たちが集められた境内へと入る。
そこでは表情を失った中年の男たちが、今年の乳首酒男を決めるための儀式の準備をしていた。乳輪を模したドーム状に盛り上がる円形の陶器の盤に乳首を模した棒を立て、それを昨年の乳首酒男が倒して次の乳首酒男を決めるというものだ。
中年の男たちは歴代の乳首酒男経験者たちだ。座布団を陶器の周りへ円状に並べ、それぞれに名札を置いていく。
昨年の乳首酒男はひとりだけ妙に生き生きとした表情で「はやく決めたいですねぇ!」と話している。
「おはようございます」
久宗が声をかけると、方々から適当な返事が返ってきた。昨年の乳首酒男はやはり生き生きとした眼差しで「おはよう」と声をかけてくる。B地区はそれほど大きな町内会でもないので、ほとんどが顔見知り同士だ。久宗もこの乳首酒男とは面識があった。
「久宗もとうとう二十歳かあ」
感慨深げに先代が言うので「二十歳だよ」と久宗はおどけて言った。
「俺もとうとう乳首酒男になれるんだ」
「乳首酒男に、なれるんだ……?」
先代は怪訝な表情で言う。おいおい、と冗談めかして久宗の肩を叩いた。
「乳首酒男が嫌なのは分かるけどさ」
「え? 嫌?」
これは何かのフリなのか。乗った方がいいのか。
久宗が悩んでいる間に、どやどやと入口の辺りがにぎやかになった。今年の乳首酒男の候補者たちが集まってきたようだ。一様に目が死んでいるが、何かあったのだろうか。この喜ばしい日に……。
久宗は他の候補者たちの様子を心配しつつも、決められた座席へと座った。
全員が着席したのを確認し、この乳酒神社の神主が恭しく顔をあげる。
「ではこれより、今年度の乳首酒男を決定します」
いよいよだ。久宗は胸を押さえて、そのときを待った。
先代が棒を持って立ち上がる。それを盤の中心に置き、そっと指を離した。
来い、来い、来い……。久宗は一心に祈った。
そして願いは通じた。
棒はぱたりと音を立て、久宗の方へと倒れる。久宗は思わず拳を突き立て、雄たけびをあげた。
「うわあいつやったわ」
「嫌すぎて狂っちゃった?」
「かわいそ……」
さざめく同情の声など気にもとめずに、久宗は意気揚々と立ち上がる。
先代はひきつった笑みを浮かべていた。
「えーと……次の、担当者は、久宗くんね……」
「はい!」
元気いっぱいの返事がやや重たい沈黙の中に響く。先代は頭を抱えたが、「久宗くん」と久宗の両肩に手を置いた。
「この乳首酒男ってどういうやつか知ってる?」
「すごく気持ちいいってじいちゃんから聞きました!」
「え……?」
「つまり人の役に立てるってことですよね?」
「え?」
先代は驚いた顔で神主を振り返るものの、彼は無表情に頷いている。
「快楽を得るのはおかしなことではない」
「ちょっとォ!?」
先代はすっとんきょうな声を上げるが、久宗は「そうなんですね」と首を傾げた。なんだか自分の認識とズレを感じるが、まあいい。実際になってみれば分かることだ。
久宗は本殿へ招かれ、乳首酒男の装束へと着替えさせられた。なるほど、すぐに胸元をはだけさせられるように合わせがゆるい。
そして祈祷が捧げられ、久宗は今年の乳首酒男となった。久宗は皆の集まった部屋へ戻り、その装束姿を現す。
そして神主が厳かな声で言った。
「ではおはだけを」
おはだけ……? 何を言っているのかよく分からない。
首を傾げる久宗を前に、神主は襟元を開くジェスチャーをする。なるほど、と久宗はためらわずに胸元をはだけさせた。
そして現れたピンク色のぷりぷりの乳首に、全員の視線が集まった。
注目を浴びた久宗の乳首が緊張でピンとたちあがる。人前に出しても恥ずかしくない立派な乳首に育てたはずだが、いざこうして注目されると、さすがの久宗も恥ずかしい。
「照れますね……」
全員の視線がそっと逸らされた。神主が大きな咳払いをして、「それでは」と儀式を進行させる。
「今年の乳首酒男が決まったので、乳首酒の儀式をはじめます」
本殿からやってきた神主の息子が神酒を持ってくる。神主は久宗の乳首へ、うやうやしくそれを掲げた。
そして祝詞らしき言葉を唱えながら、久宗の乳首へとかける。乳首は神酒によって光り、周りの沈黙はより一層重たくなった。
「では乳吸いの儀式を」
「あ、久宗くん、これは……」
先代がちょいと手を久宗へ伸ばすものの、久宗は意気揚々と前へと出た。
「乳吸いってことはこの乳首を吸うってことですか?」
思ったよりもド直球の現代コンプラ違反伝統だったが、久宗の志はこの程度では揺らがない。
さあ、と胸を張り、そのなんかちょっといやらしい感じに光るピンク色のぷりぷりの乳首を差し出した。
「ここを吸うんですよね? さあ!」
その一言が合図になった。集まった男たちは一斉に立ち上がり、我さきにと出口へ殺到する。
「お、俺はごめんだ! 乳首なんか吸いたくねえ!」
「俺も嫌だ! 久宗くんとこれからどんな顔して会えばいいんだよ!」
「なんにせよ嫌だろこんなんさぁ! 廃止にしろ廃止に!」
逃げ出す男たちに、久宗はこれまでの人生で感じたことのない感情に打ち震えていた。
どくどくと心臓が脈打ち、全身に力がみなぎる。頭がかっと熱くなり、思考が早く回る。
久宗は――激怒していた。
「なんですかみなさん! これは伝統ある地域の祭りですよ! 俺の胸を吸ってくださいよ!」
久宗は胸元をはだけさせたまま、男たちを追いかけて冬の屋外へと飛び出した。しかし久宗は運動不足の大学生であった。すぐに息切れしてへたり込み、「どうして」とうめく。
先代は久宗の肩にポンと手を置き、「いいかい」と言い含めるように顔を寄せた。
「なんでも伝統だと重んじる風潮はどうかと思うんだ」
「で、でも……これって人の役に立てるんじゃないんですか?」
「役に立つっていうか……久宗くんは、乳首酒男から何かご利益をもらったことはある?」
そう言われてみると……ない。
この乳酒神社にはよく初詣へ来ていたが、乳首酒男を何かでありがたく思った経験はない。
つまり久宗は、これまで「乳首酒男は気持ちいい」という祖父の言葉だけでここまで来てしまったのだ。
「お、俺って……思い込みが激しかったのか……?」
「久宗くん。とりあえず胸しまおうか」
先代は特に否定も肯定もしなかった。
こうして久宗は乳首酒男に選ばれたが、任期中に何かすることは特になかった。
祖父の代には実際に乳首を吸うこともあったらしいが――久宗はここで考えるのをやめた。
ちなみに乳首酒男の伝統には先代が神社を相手どっての民事訴訟を起こして勝訴を勝ち取り、これからは乳首をさらさない形式での儀式となるらしい。
ただ残ったのは、久宗のピンク色をしたぷりぷりの乳首だけだった。




