第一話 パートナーはおっちょこちょい
「神は俺を選んだんだ! 見ろ、この右腕を! ここに宿る——『暗闇』の異能を!!」
ヨシュアの眼前で、転生者の男が折られた左手の代わりに口を使い、右の袖をまくる。
その腕には、黒い螺旋状の紋様が刺青のように刻まれていた。
(暗闇の異能。視界を奪う黒い霧を発する能力)
ヨシュア——教会特有の紺の装束に身を包む隻眼の少年は、どこからともなく路地を浸食した暗闇にも驚きはしなかった。
眼窩に収まる右眼でも、眼帯の奥の存在しない左眼でもなく。片手に下げた立方体に埋め込まれた、かつて左眼だった眼球から得られる第二視野の中で、その右腕の異能のことは解析済みだったからだ。
ピクシス。片手で持つその黒色の立方体のことを、狩人たちはそう呼称する。
唯一神の所有する全能の甕、その模倣だ。少なくとも建前では。
「俺を殺す? 逆にぶっ殺し返してやるよ、クソガキが!!」
暗闇の向こうから、荒々しい声が届いてくる。
名も知らぬ転生者。だが、殺すべき害悪だ。ヨシュアは右目を閉じ、左手の箱を眼前に掲げた。
黒い箱の正面には、目がついていた。
眼。……かつてヨシュアの左眼だったその移植眼球は、今や生来の深海のような青みがかった色を失い、すべてを見通す黄金色に輝いている。
箱がピクシス、この移植眼球は奇蹟の眼だ。異能に対抗する特殊能力、『聖寵』のほか、様々な機能が付与されている。
「烙印の励起を確認」
相手には届かないであろう声で、ぽつりと呟く。
左目には眼帯。右目は閉じた。されど、ヨシュアの視界には確かに敵の姿が映っている。
手に掲げるピクシスに埋め込まれた移植眼球は、魔術的な経路を通して左の眼帯の奥に残された視神経とつながっている。つまり、ヨシュアたちエクソシストは眼窩の片目とピクシスに移植した眼球とで、離れた視野を二つ持つのだ。
そしてピスティスには転生者の烙印を解析し、どのような異能を悪魔に与えられたのか解析するほか、暗所を見通す暗視の機能がある。加えて、右腕に刻まれた螺旋の烙印を透過して視る、烙印透視の機能も。
要するにヨシュアにとって、暗闇などなんの障害にもならなかった。
移植された黄金の眼は暗闇を見通し、輝く右腕をしかと捉えている。転生者の生み出した暗闇は、かえって自分の視界のみを阻害してしまったのだ。
そうとは知らぬ、興奮に血走った目をした転生者に、ヨシュアはナイフを手に無造作に近づく。そして、無防備な首を躊躇なく突き刺した。
「ぁ……あ? なん、で……」
「暗闇の異能。お前の生と同じで、無為な能力だったな」
聖寵を使うまでもなかった。
終わってみれば予定通りだ。人の多い場所から路地へ誘導し、周囲の目の届かぬ場所で殺す。
殺すだけならどこでもできるが、その後の『作業』のことを考えると、あまり人目につくのはよろしくない。教会の人間だとはこの修道服を見ればわかるだろうが、それでも街の人から今夜の夕食に対する食欲を奪ってしまうことだろう。
「嫌だ……助けて……お願いします、これで終わりなんて…………神様」
地面に倒れ、今まさに首から赤い血を流して死の奈落へ落ちようとする男が、縋るように言う。
致命傷だ。助かるまい。助ける気もない。
「神は、そのような右腕を与えはしない」
教会が崇める神は、ひとつだけ。
ゆえにこそ転生者を生む、神を自称する存在は——悪魔だと定義される。
ヨシュアはナイフを仕舞い、代わりに腰から下げる大鉈を振り上げた。
既に転生者は死んだようなものだ。だから次の『作業』に取り掛かる必要がある。
肩の辺りに刃を振り下ろす。肉が裂けて血が飛び散る。悲鳴などはなかった。もう失血死したらしかった。
肉の次は骨。何度も鉈を振り上げ、がんがんと音を立て、肩口から右腕を両断する。
死体を埋め、路地に飛び散った血の後処理をし、残った右腕を布で何重にもくるんで帰還の支度を終えるまで、ニ十分もかからなかった。
我ながら手慣れたものだとヨシュアは息をつき、路地を後にする。
路地には無人の、冷えた静寂だけが残された。
*
「ヨシュア・トロイメライ、戻りました」
支部教会へ戻ると、窓から差し込む月光がほのかに照らす礼拝室の奥に、大男が立っていた。
「うむ、ご苦労! 手早い仕事に、見たところ傷もない。流石だなヨシュア君」
「ありがとうございます。ドルヴォイ司教」
ガハハ、と豪胆に笑う男。ぶかぶかの外套がその巨大なシルエットを揺らす。
その左眼はヨシュアと同じように黒眼帯で覆われ、また彼は右腕も失っていた。
夜中だというのにヨシュアの帰還を待っていた彼はドルヴォイと言い、このラダムフォスト支部教会の司教であり、元はヨシュアと同じく転生者を狩る烙印払いでもあった。
五年前、任務中に右腕を失い、一線を退いてから司教の座に就いた、中々に異色な経歴の持ち主だ。
「ところで、悪魔憑きの右腕は」
「ここに。異能は『暗闇』、黒い霧を発することで視界を不明瞭にする能力。しかしピスティスの暗視には効かないみたいでした」
「ふむ、異能解析の結果だけにしては詳しいな。発動を許したのか?」
「人の多い通りにいましたので」
ドルヴォイは隻腕で、布にくるまれた神澤天志の右腕を受け取りながら、「ほう」と感嘆の息を漏らす。
「人気のない場所に誘導して……か。うむ、市井の人々のことを考慮したのだな」
「はい。見ていて気分のよいものではないでしょうし、万が一にも巻き込んでしまうことは許されません」
「その通りだ。彼ら転生者は狡猾かつ悪辣で、人質を取ることも厭わない」
ヨシュアはこくりと頷いた。ドルヴォイに拾われエクソシストになってから三年、転生者たちの手から罪のない人々を救えなかったことも、やはりあった。
万人を救うことは叶わない。一番初めに、かけがえのない肉親を失った日のように。
「……今更キミに言うべきことでもなかったな、すまない。流してくれ。とにかくよくやった」
「はい」
「ところで次の任務だが」
「……。またですか?」
普段、転生者を前にしている時でもなければそこまで感情を表に出さないヨシュアも、この時ばかりはうんざりとした顔つきになる。
任務が立て続けに入るということは、それだけ異世界転生をしてきた日本人が——右腕に悪魔の烙印を宿した危険人物が、世に放たれているということだ。
今月に入って、もう五人目だった。
炯眼使いも仕事をしすぎではないだろうか。いやもちろん、転生者がいるのにそれを把握できていないよりはずっといいことではある。
いいことではある、のだが。いくらなんでも連続しすぎだし、ヨシュアにとって時期がよろしくないのも事実だった。
「流石にもうこの町ではない。ついさっき、イブベイズの方から魔術通話で連絡が入ってな」
「イブベイズ……というと、隣町でしたか。しかしここよりは都会でしょう? このラダムフォストより人手不足ということもないはずでは?」
ヨシュアは本部教会のあるプリオリアから、一年半ほど前にこのラダムフォストへと派遣された。
この田舎町の支部教会の人手不足は深刻などというレベルではなく、もはや現役を退き司教になったはずのドルヴォイまで現場に駆り出される始末で、そこへドルヴォイと個人的な面識もあったヨシュアに白羽の矢が立ったのだ。
しかし、それでもひとり増えた程度ではたかが知れている。
いくらなんでも、イブベイズからこちらのフォローにエクソシストが派遣されるならともかく、その逆はおかしいはずだった。
「ふーむ。それがな、私のように向こうのエクソシストもひとり引退したそうでな。それだけなら替えは効くはずなのだが、不運にも別のエクソシストが今度はピクシスを破損したそうだ」
「ピクシスを? 戦闘による事故、ですか」
「いや。キャッチボール代わりに投げていたら落としたらしい」
「……。そのエクソシストは今すぐ祓魔師養成施設からやり直すべきだと思いますよ」
「奇遇だな、私もだ。ガハハ、まあピスティスが無事だっただけマシだろう」
「そりゃあ……そうでしょうけれど」
今もヨシュアが左手に下げる、真っ黒の立方体。ピクシス。
破損したのがそれだけならば、まだ修復は可能だ。しかし生身の眼球をその正面に埋め込んだ、ピスティスの方だけは一度壊れてしまえばどうしようもない。
強いて言えば、残ったもうひとつの眼球も移植してしまうか。しかしそうなれば肉体の方に目は残らない。ピクシスから見える視野だけで体を動かすのは、相当に難儀するだろう。エクソシストを続けるのは難しいと言わざるを得ない。
「ともかく、明日の朝にはイブベイズへ向かってほしい。立て続けの任務ですまないが」
「仕事とあらば是非もありません。駄々をこねれば、それだけ無辜の人々が犠牲になる」
「キミならそう言ってくれると思っていた。重ねてすまないが、よろしく頼む」
「もちろんです。……ですが本件が終われば、少しだけ休みをいただいてもよろしいでしょうか」
「む? ああ、わかった。それと実は、今回の任務はパートナーをつけてもらう。立て続けでも、ふたりいれば負担もいくらかマシだろう」
「パートナー? ですか? 基本、俺は単独で動くタイプなのですが」
「もちろん承知の上だ。ちょうど話題に出た祓魔師養成施設上がりでね、色々教えてやってくれるか。おぅい、入ってきたまえ」
ドルヴォイが呼びかけると、奥のドアがガチャリと押し開かれる。
ブロンドの長髪を揺らし、ひとりの少女が礼拝室へと足を踏み入れてきた。
「ア、アイラ・スノーボールです。まだ新米ですが、精一杯がんばりますっ。よろしくお願いしまっ——あうっ!?」
まだ幼さを面影に残した少女はアイラと名乗り、ぺこりと勢いよくお辞儀をした。その拍子に自分で開けたばかりのドアのノブに思いきり側頭部をぶつけ、悶絶する。
「いっ、いだぁ~……っ」
「ガハハ、中々面白い子だろう」
「……そうですね」
ヨシュアは素直に、『ひとりの方が楽そうだな』とだけ思った。




