プリズンブレイク
改題しました。
旧:異世界英雄になどなれはしない
新:異世界は僕に牙を剥く
まあ、物は試しにということで。
よろしくお願いいたします。
「ちょ、し、静かにして! 後で出してあげるから!」
小さな喧騒の中で、焦る声が聞こえた。
その声音には、聞き覚えがある。
「まさか、アイリス? アイリスなのか!?」
僕の声が届いたのだろう。彼女が駆け足でこちらに向かってくるのが分かった。
薄闇の中で、次第に彼女の輪郭が見えてきて……。
僕の眼は、昼間にあった少女の姿を捉えた。
不幸中の幸いとはこのことだ。どうやって僕がここに捕らわれているのを突き止めたのかは知らないが、この上ない僥倖だ。
彼女は僕の姿に一瞬眉根を顰めるも、即座に胸を反らした。
「そうよー。貴方の頼れる相棒にして美少女! アイリス様が助けにやってきたわよ!」
彼女は鍵束を突き出して、ニヤリと笑った。
でかした、と快哉を叫びたい気持ちだ。今ならどんなに気色の悪い文言を吐かれようが受け容れることすらできる気がする。
流石は僕が信頼した相棒だ。ここに来て最大のツキの良さに気持ちの高揚を抑えきれない。
「流石僕の相棒。マジで愛してる!」
「んへぁっ!?」
周囲に響かない程度に叫ぶと、アイリスの総身が震え鍵束を落とした。次いで、信じられないとばかりに猜疑的な視線が向けられる。
「いや、何落としてんだよ。急いでるから早く拾ってくれ!」
「あ、うん。やっぱり正気じゃないわね、あんた」
何言ってるんだ。散々拷問を受けた後なんだ。正気なわけがないだろ。
彼女は冷めきった表情で鍵束を拾い直すと、僕の枷を順繰りに外しにかかった。
「助かった。それにしても、どうして僕がここにいるって分かったんだ?」
片方の枷が外れ、地に足がつく有難さを噛みしめながら、改めて例と疑問を告げた。
彼女は少し困惑した表情で、何かを逡巡している。
「……信じられないかもしれないけど」
そんな枕詞を置いてから、彼女は話し始めた。
「以前、宗一に助言をしてくれた地方監査官のモニカ様っているじゃない? 彼女が、あたしの前に現れて教えてくれたのよ」
モニカ……あの魔女か。僕をひと目で看破した、怪しげな女。
僕がここにいることを彼女が知っていたと言うのか。
やはり、信用ならない。初対面で僕の悲願や生い立ちを看破したりと、本来知りえない情報を何故か知っている。
そして、不気味なことに僕は彼女の言葉通りに動いている。他に元居た世界に帰る手掛かりがないというのもあるが、まるで他人に敷かれたレールを気づかぬ内に歩んでいる。そんなそこはかとない恐ろしさ。
「ドア越しなのに、あたしが亜人であること。そして、姉弟の奴隷を隠していることを看破された。彼女の予言は当たるって聞いてたけど、本物だった。この鍵も、ここに潜入するタイミングも彼女から教えて貰ったの」
「……掌の上で転がされている感じが否めないな」
僕は苦々しく唇を噛んだ。間接的にあの魔女に僕はまたしても救われたということになる。
マルクスタから脱走した際も、そして今も。直接動いているのは別の人間だが、動かしたのは彼女だ。
一体何を思ってこんなことをしているのだろうか。
……考えても詮無いことだ。今できる最善を尽くそう。
「アイリス、あの二人は?」
「家で寝かせてる」
「悪いけど、今の時間帯を教えてくれ。気絶させられて、気が付いたらここにいたから、今が昼かどうかすら分からないんだ」
「今は深夜。もう乗合馬車は出た後よ」
予想はしていたことだが、彼女の口から出た言葉に僕は驚愕を禁じ得なかった。
眠らされたり、無理矢理起こされたり、鞭を打たれたり、尋問されたりと思考を折りにくるような出来事ばかりで、体内の時間感覚は滅茶苦茶だった。
だから、ひょっとすると今はまだ昼過ぎくらいなんじゃないかと、淡い期待をしていたのだが……。
まあ、そんな筈はない。
だが、だとしたら何故彼女は僕を助けにきたのか。
「約束を果たせなくてごめん。でも、そしたら何でアイリスがここに……?」
もう片方の枷が外れ、僕が完全に解放される。
彼女は背負ってきた背嚢から水袋を取り出すと、微笑した。
「馬鹿ね。一度決めた相棒を見捨てるわけないでしょ」
そう言って、彼女は僕に水袋を差しだした。
僕はそれを一息に呷ると、残りを顔面にぶちまけた。
そして、ほんの少しの間天井を仰ぐ形で目をつむる。
嗚咽が漏れないように、唇を噛みしめた。こんな残酷な異世界でも、僕に味方して助けてくれる人がいるということに、恥ずかしながら涙腺が緩んでしまった。
何もかもが理不尽な世界でも、まだ信じられる人がいることが。頼りにできる人がいることが。このうえなく嬉しく、ありがたかった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
彼女は茶化すことなく、慈母のような笑みを浮かべた。
「さて、と」
取り直すように、僕は零した。
僕が解放されたことに、周囲が騒然としている。奴隷商とその配下たちが来るのは時間の問題といえる。
「ここから出ないとな」
「ええ。家の近くに馬車を用意してあるわ。二人を拾って、すぐにでも街を出ましょう」
「アイリス、お前……」
矢継ぎ早に告げられる事実に、僕は感嘆の声を禁じ得ない。
彼女は誇らしげに笑った。
「大変だったのよ。深夜に無理矢理厩舎に押し入って、金に物を言わせて無理矢理買ったんだから。本来20万で買える馬を、馬車とは別で30万で買わされたんだから!」
僕も切羽詰まった状況で40万を支払う約束をしたことがあるが、彼女は僕と違って商人だ。一日で数十万もの稼ぎを出すことは難しい職種。それ故に、僕の40万と彼女の30万では重みが違う。馬車も含めたら40万はいくだろうし。
「だから、宗一に稼がせてもらわないといけないんだからね? 分かったら早く逃げましょ!」
近づいてくる足音に、彼女が焦った様子で僕の腕を引っ張った。
僕はかぶりを振ると、彼女から鍵束を拝借して悠然と向かいの牢へと歩み寄った。
亜人戦線、その副リーダーたる男に目線を注ぐ。
「おっさん、名前は?」
「ガールンドだ」
「ガールンド。当初とは形が違うが、協力してほしい」
そう言うと、彼は牙を鳴らし獰猛な笑みを浮かべた。
「断る道理などある筈がない」
「だよな」
呼応するように、僕も好戦的な笑みを浮かべる。
魔眼で対応する鍵の形は既に把握している。扉を開け、彼の足元に繋がっていた鎖から彼を解放した。
「それで、俺は何をすればいい?」
騒々しい足音が止まった。アイリスは顔面が蒼白になりながら震えている。
だというにも関わらず、この男は笑みを崩さない。
「決まってるだろ?」
まだ、荷物や装備、金は取り上げられたままだ。
それに……。
「受けた恩は、しっかりと返さなきゃな」
背後に居並ぶ殺意に満ちた面々を眺め、僕は笑った。
ガールンドが僕の背中を叩き、呵々大笑する。
「流石は英雄。この状況で笑って見せるとは。俺の背中を預けるに相応しい」
「『コール』!」
オールドマギを呼び出し、ページを捲る。
前衛に歴戦の傭兵を率いたガールンド。そして、後衛に近接戦もこなせる魔法使いである僕。
誰かと組んで戦うのは初めてだ。
こんな状況でありながら、僕は胸の底から激しい昂揚感が湧き上がってくるのを感じていた。
「さあ、蹴散らしてやろうぜガールンド!」
「応ッ!」
気持ちの良い返事を皮切りに、僕は詠唱を開始した。
渋いおっさんと有能な若造がタッグを組んでいるので、これは実質タイバニ。
 




