囚われの英雄
「起きろ。まだ終わっちゃいないぞ」
泥水を浴びせられ、沈んでいた意識が覚醒する。
重い瞼を持ち上げると、下卑た笑みを浮かべる成金趣味の奴隷商人と僕を危地に追いやった三流商人がいた。
後者の商人は成金野郎に媚びるような視線を送っていた。
閉じそうになる瞼。それを察知した告吏のような拷問官が僕の身体に鞭を打った。
「うっ!」
歯を食いしばり、痛みを堪える。全身でもがくが、僕は両腕に枷をかけられ吊るされている。足は辛うじて先端が床につくものの、態勢は非常に苦しい。
……思い出した。
昼に捕まった僕は眼前の男に捕らわれ、拷問にかけられていたのだ。
「もう一度聞くぞ。奴隷の姉弟はどこにやった?」
成金男が投げやり気味に問いかけてくる。三流商人の顔を立てるために、仕方なく聞いているといった感じだ。
「……何度も言っただろ」
僕は焦点の定まらない視界の中、三流野郎を見て嗤った。
「もう売り飛ばした。悪いな」
「お前えぇぇ!!」
その言葉に三流野郎が激昂して、手を上げた。子豚を思わせる腕が獲物を誇示するように振り上げられる。
尋問や拷問を超えた、純粋な殺意が垣間見える瞳が僕を見据えていた。
僕はただ静かに、冷えた目線を彼に注ぐ。
彼が鈍器を振り下ろそうとした刹那、脂肪の鎧を纏った肉体が震えた。
「だ、旦那……?」
僕を謀ろうとした商人が、背後の成金に振り返る。ぎこちない動き。彼が辛うじて捉えた表情は、無そのものだった。
「……そりゃあやっちゃダメよ」
男は言うなり、三流に刺していた短剣を抜いた。
どす黒い血と共に、三流野郎の絶叫が独房内に響き渡った。
かび臭い部屋と通路に、彼の泣きじゃくる声が木霊する。我関せずと無関心を決め込んでいた他の奴隷たちが狼狽するのが目に見えた。
奴隷ならいざ知らず、それを扱う人間が刺されたのだ。驚くのも当然かもしれない。
だが、僕はこうなるんじゃないかと思っていた。故に、動揺はない。
「誰か、この豚を黙らせろ」
腹部を抑える男の顔を蹴り飛ばし、下知を飛ばす。配下と思しき男たちが即座に三流商人の首を刎ねた。
「……」
「偉く落ち着いてるな、マレビト」
成金の風体をした男が、部下の用意した椅子に座り僕を見上げた。
「お前の眼は人殺しのそれだ。僕を売るうえであいつは邪魔になる。殺すことは容易に想像できた」
「流石。一流の探索者は言うことが違う。それとも、同族だから分かったのかね」
やはり、この男は僕の価値を理解している。
「んまあ、こいつが馬鹿なのは誰にでも分かるわな」
靴先で、斬り飛ばした男の頭を小突いた。瞳孔が開き、苦痛の表情のまま凍り付いた肉の塊が僕の足元へと転がった。
「マルクスタの家に大量の賄賂を流してるのは俺だ。執事風情が俺の獲物を横取りできるわけがねぇ。とはいえ、相手は腐っても貴族。お前を手に入れるのに難儀したっつーのにこいつは、なぁ?」
嗤いながら、遺体を蹴飛ばした。
首のない身体が地に横たわる。
「……本性を現したな」
「お前は俺みたいな奴を知っていた。これも、初めてじゃねぇんだろ?
なら、隠す必要はねーだろうが」
理不尽な暴力も、恫喝も、この男が言うように初めてのことではなかった。
彼と同類の人間を、僕は幾度となく見てきた。だから、彼が押し隠していた獣性を見抜くことなんて容易だったわけだ。
「お前は一度ご主人様の下から逃げ出した」
拷問官により、再度背中に鞭が振るわれる。
徹底して、表に出ないような部位だけが執拗になぶられる。
僕は歯噛みして、苦悶の声を押し殺す。
「力もある。だから、躾ける必要があんだよ」
「……」
「お前の心を折る。完膚なきまでにな」
僕は嗤った。
「やってみろよ」
鞭を打たれるが、相好を崩したまま男を睨んだ。
男もまた、僕の視線を受けて破顔一笑する。
「意志の強い人間はみんな、決まってそう言うもんだ。明日もまた同じことが口にできるか楽しみだ」
言って、男が背を見せた。
配下たちがその後を追従していき、次第に彼らの姿が暗闇に吞まれ消えていった。
僕は体力の回復に努めようと瞼を閉じるも、僅かに床に触れる足先がそれを許さない。
気を張って、全身の体重を地面に逃がさないと枷を嵌められた両腕に負荷がいくのだ。そうなると、痛みは尋常ならざるものになる。
眠いのに、眠れない。的確で、最悪の拷問だ。
僕は鈍い思考でどうしたものかと考えた。脳は考えることを拒否しているが、時間の経過と共に思考力が鈍っていくのは明白だ。身体が動くうちに事を考える必要がある。
最初に思いついたのは、オールドマギを呼び出し、魔法を使っての脱獄。だが、魔法を的確に枷と繋がっている鎖にぶつけなければいけないうえ、下手をすれば自害しかねない。僅かにコントロールが狂えば、僕の手元に飛びかねないし、奴の配下が即座に押し寄せてくるだろう。この状態で多数を相手に戦い、勝利するのは不可能だ。
というか、僕だけが脱獄しようとしたら他の奴隷が喚きかねない。騒がれたり、告げ口でもされたりすればその時点で詰みだ。
沈思黙考。
手持ち無沙汰な僕は、魔眼を起動して施錠された扉の鍵穴を凝視する。次いで、重たい首を動かして手元の枷の鍵穴へ視線を向けた。内部の構造は把握できた。比較的簡単な構造をしている。何かしらの手段で鍵穴に適した形状の固形物を作ることができれば、或いは……。
そこまで思考が及んだ時。不意に、正面の独房から声をかけられた。
「まさか、俺よりも厳重に枷をかけられる奴が来るとはな」
顔を上げると、狼のような男が口元を歪めて嗤っていた。
比喩にあらず、顔は狼そのものだった。狼と人間を足したような身体をしている。
アイリスの言っていた亜人か。
「女の子を助けただけでこれだ。たまったもんじゃない」
「軽口を聞けるだけの余裕があるなら、まだ大丈夫だな」
最も、と彼は続ける。
「俺は祖国を救おうとしてこのザマだ。お前のことを笑えないな」
「……亜人が迫害されているのは聞いたが。祖国を救う? どういうことだ?」
「マレビト、お前はこの世界に来てまだ日が浅いとみた」
僕は彼の言葉に頷いた。
「我が祖国、ベスティアは王国との戦いに敗れた。とはいえ、一矢報いようと思う同志は多かった。故に、兵を無駄に散らすことを恐れた王国は講和条約を持ち掛けてきたのだ。ベスティアは王国の領地となるが、頭には亜人を据え統治を認めると」
そこまで言って、男が牙を鳴らした。硬質な音と、抑えきれない怒気が吐息と共に周囲へ吐き出された。
「だが、王国は約束を反故にした。ベスティアの統治は王国の官僚が取り仕切り、亜人の統治など認められず、一都市として併呑された。それのみならず、亜人を迫害し奴隷とし始める始末。これが、長年続いた同盟国にする仕打ちか!」
「……」
僕はただ黙して話を聞いた。
この世界に於ける世界情勢を僕は知らない。だが、彼が多くの同士が理不尽な憂き目に遭っていることを許せず、憤怒していることは理解できた。
「故に、我々は王国に立ち向かい国を取り戻すため反乱軍を組織した。それが、亜人戦線。そして、俺は……」
目線が合う。彼の双眸には、未だ消えることのない闘志が宿っていた。
「亜人戦線の副リーダーだ」
今迄ひとつの街の中で完結していた話が、枠組みを広くする。
次章に繋げるため、だったんですよね。
11/26訂正 属国→領地
属国ならば息がかかっているとはいえ、自己統治できて当然ですよね
要は植民地化したということを言いたかったのです




