君を待つ
書くのは一瞬でも、辛いことに変わりはない
でも、約束ですからね
だが、何を言っているのかさっぱり分からない。
『では、結論から言おう』
オールドマギは、端的に説明すると言わんばかりの言葉で、たった一言。
衝撃的な言葉を紙面に浮かべた。
『あの少女が、宗一をこの世界に召喚した術者だということだ』
「ちょっと、待ってよ……」
唐突に突きつけられた真実に、理解が追い付かない。
だって、そうだとしたら。
横で瞼を閉じ、穏やかな寝息をたてる少女を見る。
この少女が原因で、宗一は理不尽な憂き目にあっているということになる。
「宗一はこのことを知っているの?」
震えた声で、確認すべき事柄を絞り出した。
オールドマギは、淡々と返事を寄越す。
『知らない。私と話す間もなかった。故に、呪いだと思っているようだ』
「……呪いだよ。そんなの」
勝手に呼ばれ、奴隷にされ。夢を断たれ、命懸けで前に進むことを要求される。
そして、捻じ曲げられる意思。
これを、呪いと言わずして何というのだろうか。
あたしの呟きに、暫く魔導書は沈黙した。
彼はただ事実を述べているだけだ。けれど、宗一の話によれば彼もまた英雄だったらしい。
つまり、この苦しみに対する理解者。
『……呪いであり、救いである』
オールドマギが、痛々しい言葉を並べる。
『強い意志を持つ、死した生者にのみ許された二度目の命。理想を抱いたまま死んだ者に対する弔いとも呼べる生。これが、与えられた対価だ』
「……どういうこと。それって、つまり」
婉曲的な表現だが、彼が呼称する救いとは二度目の生。やり直しのための人生。
つまるところ。
「宗一はもう、死んだことがあるってこと?」
『そうだ。この世界に迷い込んだ他のマレビトたちとは違う』
「なんのために、そんな……」
誰が、何のために墓を暴くようなことを。
『それが、血に組み込まれた術式の力だからだ』
あたしはもう一度銀髪の少女を見た。
とてもじゃないが、魔法に精通しているようには見えない。
魔導書もないし。
けれど、血に組み込まれたっていうことは。
「魔導書を必要としない魔法……」
『本人が魔法使いである必要すらない。だが……』
何かが引っかかるとばかりに言い淀む魔導書。
あたしには、皆目見当のつかないことだ。
『何故、英雄は術者の前に現れなかったのか。何故、術者は何も知らなかったのか』
オールドマギは語る。
通常、召喚された英雄は召喚者の前に現れること。これは、術者が英雄にこの世界について説明し、理解してもらうため。
だから、術者側が英雄の持たない知識を補足できる存在であることが前提となる。だが、この少女は何も知らなかった。
宗一を見ても、特段何を言うわけでもなかったらしい。まるで、何も知らない子供のように。
『全て歪んでいる。欠けている。召喚に対する知識がなければ、そもそも召喚は執り行えない。自身が呼び出した存在は認知していて当然の筈だ。こんなことは、私の時代には起こり得なかった』
オールドマギでさえ知らない事象が彼に起きた。
だが、あたしにとってそれはどうでもよく。ただ、宗一が不憫で仕方がなかった。
「それじゃあ、呪いなんかじゃない。死後が地獄だっただけじゃない」
『……そうだな』
言ってから、気づく。これは宗一だけに当てはまるものではないということを。
「ごめん。貴方も……」
『彼に比べれば救いはあったさ。最も、千年もの間ただひたすらに待つのは地獄以外の何物でもなかったが。それでも、光を見た』
彼は続ける。
『彼は私にとっての光だ。最後の機会かもしれない。だが、それ以上に私は彼を救いたい。彼の生は、あまりにも理不尽と不幸に満ちている故』
あたしは静かに頷いた。
世の中、理不尽と不幸の憂き目に遭っている人物なんて数えきれないほどいる。そこから這い上がれる人、這いあがれない人も沢山。
けれど……。
死んでも尚、そんな理不尽を押し付けられるなんてたまったもんじゃない。
英雄と呼ばれ、ただ利用するために呼ばれた。そして、呼び出した当人はその自覚もないだなんて。
この少女に罪はない。同情の念さえ覚える。だけど、宗一のことを思うと遣る瀬無い気持ちもあって。あたしは彼女のことを好きになれそうになかった。
「絶対、幸せになってもらうから」
独り言ちた。彼にはその権利があると思ったから。
散々な目にあってきたんだもの。それくらい、許されて然るべきだ。
「行こう。今は信じるしかない」
『彼ならばそう簡単には屈しない筈だ』
オールドマギも同意した。
あたしは魔導書を閉じ、荷物を確かめると二人の姉弟を起こした。
姉は歩けるものの、弟の方は完全に憔悴しきっており、回復にはまだ時間と栄養が必要だった。
でも、肝心の時間は残り少ない。
二人を襤褸から着替えさせ、首元を隠す。
高級奴隷であれば、探知魔法で探されるが安い奴隷はその限りではない。奴隷であることさえ隠してしまえば追手はこない。
捕まえるための費用が馬鹿にならないし、奴隷であることを隠しきる力なんて余人にはないからだ。正体が露見すれば迫害され、再び奴隷にされる。故に、まともな職になど就けはしない。そして、大抵の奴隷は家族を人質に取られている。故に、逃げようにも逃げられないのが実情だ。
二人を引き連れて、宗一と約束した乗合馬車の近くで待機する。
陽は既に中天まで達している。時間だ。
少し遅れて、乗合馬車がやってくる。徒歩での行商人や旅人、他の街に用事のある人間がこれに乗る。だが、乗るべき最後のひとりはまだ来ない。
御者が手綱を引いた。馬が鳴き、ゆっくりと車輪が回りだす。
あたしは背後を振り返った。今ならば、まだ静止の声をかければ間に合う。
だけど……。
彼が待ち合わせ場所にやってくることはなかった。
あたしたちの旅は、始まることすら許されなかったのだ。
目の前が、真っ暗になっていく。
間に合わなかった。或いは、捕まってしまったのだろうか。
気が付いたら、あたしは家の中で佇んでいた。窓からは淡い月の光が差し込んでいる。
簡素な机を見ると、食事の形跡があり、奴隷の姉弟は眠っていた。
「……やるべきことは、やったんだ」
今すべきことはしたらしい。だが、今後どうするべきか分からない。
いつまでも、二人を隠しておくわけにはいかない。いずれバレるときは来るだろう。そうなれば、力を持たないあたしに抗う術はなく、二人は奴隷に戻り、あたしは拉致誘拐或いは盗難の罪で投獄される。
「どうしよう……」
頭を抱え、へたりこんだ。
あたしは賭けに負けた。大博打というものは、負けたときのことは考えないものだ。
もう後はない。
待つのはただ、緩やかな敗北のみ。
「どうするも何も、決まっているだろう?」
不意に、扉の外から声がした。
「……誰?」
こんな時間に訪問者が来る予定なんてない。ましてや、危険な時間帯に隣家を訪れるような人間なんて早々いない。
いたとしたら、押し入れ強盗くらいだ。
あたしは震える手で短剣を握りしめた。
誰何する声に、声の主が高らかに答えた。
「ボクはモニカ・ド・ラ・ストラーゼ。公爵家の娘にして監査官」
若い女と思しき声が告げる。
「そして、君と英雄を救う者だ」
次回は視点が宗一に戻ります




