決行前夜
後顧の憂いも残すはマルクスタ家のみ。
「明日が正念場だ……」
改めて部屋を取り直し、灯をつけた後に独りごちた。
明日で異世界に来て10日目。記念すべき二桁到達日であると同時に、僕の命運を左右する重大な一日でもある。
「そうね。気合入れていきましょ」
「ああ……」
オールドマギを枕元に置いて、緊張をほぐすために深呼吸。
……ん? 微かな違和感。
そこで、ようやく気が付く。
何故か、同室に慣れ親しみ始めた声が聞こえた事実に。
僕は慌てて背後を振り返る。そこには満面の笑みと共に下着姿で手を振っているアイリスの姿があった。猫耳も曝け出しており、完全に無防備な状態だ。
「……お前、何しれっと入ってきてるんだよ。自分の部屋取れよ」
「あれ、もしかして照れちゃってるのかな? かな?」
「……連れて行くのやめるかな」
多少目のやり場に困ったことは確かだが……。何故かこいつには色気が感じられない。
可愛いことは確かなんだけど。マルクスタ家でメイドの下着姿を見た時ほどの動揺はない。
「ごめんごめん。でも、慣れて貰わないと困るからさ」
「……ああ、そういうことか」
これから共同で生活していく以上、こういった場面は多々あるだろう。
だから早めに慣れろってことか。
「意図は分かったよ。手も出さないから安心してくれ」
「あ、手は出していいよ」
「訂正する。手を出したくない」
軽口に軽口で返す。試されているような気もしたので、回答としては適切な筈。
とはいえ、これは本心だ。
責任の取れないことをするつもりはない。僕はまだ、危ない橋を渡っている最中なんだから。
僕の思惑など知らず、けらけらとアイリスが笑う。
「そんなこと言っちゃって~。本当は興奮してるんじゃないのぉ?」
「はぁ……」
嘆息。
僕は黙って衣服を脱ぎ、寝間着姿である現代の衣服に袖を通した。
その間、何故か口うるさいアイリスの野次が飛んでくることはなく静かなものだった。
着替え終わった僕を見て、彼女が一言。心底傷ついた表情で呟いた。
「マジで興奮してないじゃん。それはそれで傷つくんですけど」
「……どこ見てんだよ」
吐き捨てて、毛布を広げ寝台へと入る。
すると、彼女が狭い寝台へ侵入してこようとしてきたので追い払う。
「部屋代払ってないだろ。お前は床だ」
「……こいつ、さてはあたしのこと女だと思ってないな?」
「恋人じゃなくて相棒なんだろ?」
「そうだけどさぁ!」
ナルダが改めて言っていた、女じゃなくて相棒、の言葉を引き出した。アイリスのことはそういった目で見ないように努めている僕のことも考えてほしい。
間違いがあったらどうするつもりなんだよこいつ。
過度に僕のことを信用しないでほしい。
衣食住が満たされない環境にあったため、性的な欲は薄かったとはいえないわけじゃないんだ。
同衾だけは絶対に許さない。
「同衾がヤバいと考えていらっしゃる?」
……こいつは発想が突飛すぎる。
女だと意識してないって言ったばかりだろうが。
合ってるから癪だが。
「そりゃそうだろ」
僕の言葉を聞いて、彼女が閃いたとばかりに手を叩いた。
「じゃあさ! あたしがベッドで寝て、宗一が床で寝るっていうのはどう?」
「どう? じゃないだろ。頭湧いてんのか」
何で譲歩したかのような口振りで言うんだよこいつは。
名案だと思ったんだけどなぁ、と腕組みする彼女を尻目に僕はベッドで横になった。
そのまま寝返りを打って、視界からもアイリスを追い出した。
「それじゃあ、おやすみ」
「ねぇ、宗一。寒いんだけど」
「……」
「寒いよぉ」
「じゃあ服着ろよ」
「なんか負けた気がして嫌だ」
「……」
ナルダと組んだ方が良かったかな。
「それに、いつもこの格好で寝てるし」
「……」
「ねぇ、入れて? お願いだから」
僕は嘆息して、オールドマギを引っ掴んだ。
そのまま魔導書をベッドの上に立てる。
これは線引きだ。世界地図に国の版図が示されているように、互いの領土を示す指針だ。
「ここから先には入ってくるな。それが約束できるならベッドで寝てもいい」
「あ、ありがとう。でも、そういう台詞って女の子が言うもんじゃないの?」
「……何か文句でも?」
「ないです、ないです」
言いながら、彼女がベッドに潜り込んでくる。
線引きに使われたオールドマギは抗議しているのか、それとも笑っているのか、小刻みに震えていた。
自前の厚い毛布にくるまったアイリスは大人しい。寝間着用の服を持ってるのは僕の世界での常識で、この世界ではそうではないのかもしれない。服は高価だし。
そう考えると、下着姿で寝ると言うのも頷けなくもない。
自分の部屋を取らなかったのは明確にこいつの落ち度だが、僕もやり過ぎたかもしれないな。
そう思い、眼を閉じた。
「……ねぇ、宗一」
「あ。そうだった、悪い。今消すから」
瞼の裏に温かさを感じ、アイリスの言葉で灯の魔法をつけっぱなしにしていたことを思い出す。
時間が経てば自然消滅するとはいえ、すぐ消すべきだろう。
この世界では灯と言えば魔道具のランプくらいで、蛍光灯を基準に考える僕とはわけが違うのだから。
謝罪の言葉と同時に、魔法名を告げようとして。
彼女から先制の一言が放たれる。
「恥ずかしいから明かり消して♡」
「ぶち殺すぞ」
僕の口からは魔法名の代わりに殺意が漏れた。
本音で話し合えるって素敵だなぁ(白目)




