知らずに結んでいたモノ
価値観の相違が良い方向に作用した例です。
「全員揃ったな。じゃあ、分配といくか」
僕は傍らの重い袋を叩いて言った。
その言葉に、空気が引き締まったのを実感する。
金が絡む話だ。当然か。
僕らは社会の底辺だ。安定して稼げる生活とは無縁の存在。金は掴み取れるうちに掴み取らなければならない。
昔母に連れて行ってもらったチェーン店のレストランを思い出す。僕の数少ない外食の記憶。会計の際、おかしを掴み取りで掴めるだけくれると言った女性に対して、僕は両手をお菓子箱に突っ込んだことをしみじみと脳裏に浮かべた。あのときは本気で母さんに叱られたなぁ。
前の世界では慎ましさが美徳とされていたが、ここでは違う。両手に溢れるばかりのお菓子を掴む方が正義なのだ。
「まず、ナルダに約束していた20万リル」
袋から20枚の金貨を取り出し、横に座る彼に手渡す。
彼は慎重にそれらを受け取ると、枚数を確認して懐に仕舞った。
慣れた手つきだ。銀行の人間が高速で札束の枚数を数えるように、指先で金貨を弾きながら数えていた。
音を響かせていたところを見ると、チープな偽物ではないかの確認も含まれているのだろう。金の含有量の多寡は分からなくとも、露骨な偽物の判別はつくに違いない。
「毎度! いやぁ、旦那と仕事すると儲かる!」
「それね~! ほんと宗一は金の成る木よ! 最早金そのもの! 今のうちにみんな崇めておきなさい! ご利益があるわよ!」
本物の神が存在する世界でこいつは何を言っているのだろうか。
時代劇に出てくる悪徳商人のように手を擦り合わせるアイリスを呆れた顔で眺めていると。
「た、確かに」
細身の探索者が納得した様子で呟いた。
お前も何言ってるんだ。お前らには成り行きで、仕方なく金を支払う約束をしただけだ。優しさとかそういったものは微塵もない。
呆れた僕とは裏腹に、ナルダは口元に満足気な笑みを浮かべていた。
「その点に関しちゃこの女と同意だ。旦那とは今後も仲良くしてもらうぜ」
口端を吊り上げながら、いやらしく死体清掃人が笑った。
儲かるあまり楽しくて仕方がないんだろう。一般市民の日給が1万リルなので、20日分の日給をこの瞬間手にしたわけだ。加えて、彼は午前中にも20万得ているので、40日分の日給を一日で叩き出したことになる。
切羽詰まってた際の約束とはいえ、やりすぎたな……。
「まあ、明日にはこの街から出るんだけどな」
彼らの表情が真顔なものに戻る。アイリスだけが気持ちよさげな笑みを保っていた。
ここまで落差のある表情を見たのは久し振りだ。優しいと思っていたおじさんが取り立て屋で恫喝してきた時以来か。
ナルダからすれば稼ぎ時……ゲームで言うならばボーナスステージ、パチンコならばフィーバータイムかな? それがやってきた瞬間終了するに等しいわけだから、当然かもしれない。
僕が彼の立場だったとしても、同様の面持ちになっていたに違いない。
「だ、旦那。それって昼頃の領主と関係あるのか?」
「ああ。詳しくは言えないが、捕まると面倒なことになる」
彼にしては珍しく震えた声に、僕は努めて淡々と返した。
悪いが、これは僕のエゴだ。貫くと決めた以上、この決意を翻すつもりはない。
「だから、その前にここを出るのよ」
諭すようにアイリスが言った。その言葉に対してナルダが食って掛かる。
「って、なんでお前がそれ知ってんだよ!?」
「なんでって。あたしも同行するからよ。彼はあまりここらの事情や土地について明るくないし」
「……だからお前がここにいんのか」
腑に落ちたのか、溜飲が下がったと言わんばかりに平静を取り戻すナルダ。
「旦那はお前を女じゃなくて、相棒として選んだってわけか」
「まぁね~。悪いわねナルダ。貴方の旦那様はあたしが貰うわよ」
「気色のわりぃこと言ってんじゃねぇよこのアマ。まぁ、確かに旦那と組むのが俺じゃねぇのは残念だ」
だが、と彼が続ける。
「旦那。あんたの眼は確かだよ。こいつはこの街で一番の商人だ。悔しいが、その選択に間違いはねぇ」
ナルダがこちらに手を差し出した。
痩身痩躯。骨と皮だけの針細工のような男。常に陰鬱としていて、裏世界の住人を体現していた彼だが。
「また別の街で会うことがあったら。その時は、また稼がせてくれよ旦那」
この時ばかりは晴れ晴れとした、男らしい笑みを浮かべていた。
ともすれば……。
これは、もしもの話だが。
僕がアイリスに出会うことがなければ、盗品の売買を彼に任せていて。
街を出る際、彼と手を組む未来があったのかもしれない。
真正面から男の顔を見つめ、僕は強く彼の手を握りしめた。
「教会の件は助かった。次は今日より稼がせてやるよ」
「そうこなくっちゃな旦那!」
こいつも良い取引相手だった。
頭の回転が早く、こちらの真意を汲み取ってくれる能力に長けていた。
グラナを殺し、満身創痍だった際。こいつは初め、僕を殺そうとしてきたが……。結果的には共謀者となることで、探索者組合からの登録抹消を防ぐことができた。
教会の件でも忠告してくれた。重要なところで、助けられた。
そう考えると、最も感謝しておくべきは彼なのかもしれない。
「……ありがとう」
「…………。何か言ったか、旦那?」
「いや、何も」
小さく零した感謝の言葉。
それに気が付かなかったのか。それとも、敢えて気が付かない振りをしてくれていたのか。
外見から僕が幼いことを理解していただろうに、僕を旦那と呼び、取引相手として立ててくれていた。
僕が金を生むということは勿論だが、それでも年下と見て無知に付け込むことなく接してくれていたんだな。
だから、気が付かない振りをした……の、かもしれない。
「お前らにも一応礼を言っておくよ。約束を守ってくれたからな」
「い、いえ。そんな……」
どもる巨漢に対して、細身の探索者が謙遜した。
「一人頭5万だ。文句は言わせない」
努めて冷酷に振舞う。彼らの常日頃の稼ぎは分からない。こんなものだろうと、適当に渡しただけなんだが……。
「律儀ねぇ、あんた」
「旦那らしいぜ。普通は一銭も払わねぇよ」
「約束は違えない。決してな」
オリヴィエの顔を思い出し、歯噛みする。もう誰かを裏切ることはしたくない。
自分を信用してくれた、誰かを。
「口約束程度なら裏切って当たり前だ。学のない奴が大半だから、目先のことしか考えない奴の多いこと。旦那はそこが違った」
ナルダが微笑する。
「信用できる相手は限られる。旦那はそのうちのひとりだよ」
「……そうか」
これもまた、この世界と元居た世界。いや、日本との違いか。
この感覚は決して捨てたくはないな。
僕に備わっていた倫理観とそれに伴う嫌悪感は代償として召し上げられた。次の代償が、これでないことを祈るばかりだ。
こうして分配は終わり、解散となった。
後顧の憂いも残すはマルクスタ家のみ。
「明日が正念場だ……」
改めて部屋を取り直し、灯をつけた後に独りごちた。
明日で異世界に来て10日目。記念すべき二桁到達日であると同時に、僕の命運を左右する重大な一日でもある。
「そうね。気合入れていきましょ」
「ああ……」
オールドマギを枕元に置いて、緊張をほぐすために深呼吸。
……ん?
あまい よかん が する!




