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異世界は僕に牙を剥く ~異世界奴隷の迷宮探索~  作者: 結城紅
序章 この残酷な異世界で
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奈落の底

泥の中に沈んでいるような気分だった。

重く、暗く、息苦しい。一切の光明のない世界で、救いを求めるようにもがく。薄闇の中で陶磁のような白い肌が空を切る。一連の動作はどこかぎこちなく、現実味を欠いているように思えた。


いや、事実そうなのだろう。現実のようで、現実ではない。息をしているようでしていない。出来の悪い悪夢を見ているような……、俗に言われる明晰夢に近い感覚だ。


これが明晰夢や白昼夢の類であったなら、夢の中の事象を書き換えることくらい造作もないことなのだろうが、残念ながらかないそうになかった。

ただ、無窮の闇に吸い込まれるようにして際限なく沈んでいく。


落ちて、落ちて、落ちて――。

ゆっくりと、自我が薄れていく。


自身が闇と同化していくような、奇妙な感覚が全身に広がる。


人の行きつく先は、天でも地獄でもなく無なのだと、どこか頭の片隅で思考が巡っていた。


この感覚が死なのだとしたら、それは苦しくも安寧に満ちている。全ての不安が拭いさられ、自身の認知と視座が急速的に広がっていく。まるで他者と自身との境界線が取り払われたかのように――。


「――見つけた」


不意に、誰かが手を引いた気がした。

同時に、ゆっくりと沈んでいた意識があらぬ方向へと引きずられていく。


声が、脳内に響く。

それを誰何する間もなく、背後を強烈な光が照らした。


闇が遠ざかっていく。全身を支配していた全能感が薄れ、比例するように自意識が鮮明になっていく。

誰かの声に引かれるようにして、僕の意志とは無関係に光の中を突き進む。


闇から一転して、視界が白一色に染まる。凄絶なまでのホワイトアウト。

鮮烈な光に灼かれ、再び意識が沈んでいく。


感覚的に理解する。


きっと僕は、死の淵から掬われたのだと。


それが救いだったかどうかは、誰にも分からない。


――――


目が、醒める。

最初に感じたのは違和感。背部から伝わる硬い感触。寒々しいまでの静寂。

上体を起こす。体が軽い。バイト漬けの毎日では考えられないほど調子が良い。


「僕は……確か」


直前までの記憶を呼び戻す。いつも通り学校帰りに飲食店の業務をこなしていた筈だ。

たが、その日は連日連夜のバイトが祟って凄く不調子だった。


辿った記憶が脳裏に蘇る。突然の昏倒。集まり騒ぐ群衆と悲痛に顔を歪めた後輩。やけに五月蠅い心臓の拍動。冷え切り感覚の失せた手足。薄れゆく意識。

そうか、僕は……。


「死んだ……? いや……」


手足を触り、感覚を確かめる。現実味のある温もりと感触。到底夢だとは思えない。


「じゃあ、ここはどこなんだ……?」


立ち上がり、周囲を見回す。360℃、視界を満たすのは薄暗い闇ばかり。

手を伸ばすと、何か硬いものに触れた。微かな光を頼りに注視する。


「壁……それも石製の」


パズルのピースのように、隙間なく石が敷き詰められ壁と化している。

壁と反対の方向に歩くと、案の定別の壁があった。壁同士の距離はおよそ5メートルくらいか。


「どこだ、ここ……?」


バイト先で倒れて以降の記憶がない。

普通、従業員が意識不明の重体になったら病院に担ぎ込むだろう。だが、ここが病院であるとはどうあがいても断定できないだろう。


拉致監禁という単語が脳裏を過る。可能性があるとしたら、借金の取り立て人か。法の目が厳しくなり、取り締まりが激しくなってからは落ち着いていたと思っていたが、まさかここまでの暴挙に及ぶとは。


些か平穏に浸りすぎていたのかもしれない。僕の知る世界は決して優しくなどはない。その意識を、重ねてきた日常の中に置いてきてしまったのだろう。


「帰らないと……」


事情はどうであれ、すぐに帰らねばならない。僕がいないと生活費や借金の支払いもままならない。このまま帰ることがかなわなければ、最悪母にかけられた保険金で支払いを賄うことを要求されるかもしれない。平然と謀略と暴力を振るう彼らなら、やらないとは断定できない。そんな結末は認められない。


例え、ここが地球の裏側だろうと、なんとしてでも母のもとに帰還してやる。


差しあたっては、現状の把握に努めるのが最善策だろう。自身の置かれた状況の分析と目的成就までの道のりを描くことから始めよう。

改めて、石壁を注視する。


闇に慣れてきた瞳が、細部までを余さず視界に捉える。


「所々罅割れている……」


真新しさはない。それは、僕が踏みしめている床も同様だった。


建築様式に関する知識はないので断定はできないが、通路の幅や壁と床の経年劣化からして、大規模且つ歴史ある建造物の中にいることが想像できる。


それほど大きく、由緒あるものだとしたら国の重要文化財に指定されていてもおかしくはない。

だが、僕の記憶の中に石組みの大きな建物で文化財に指定されているものは思い当たらない。知らないだけで、幾つかあるのかもしれないがそれでもここまで大きいものはないだろう。


何しろ、通路の幅約5メートルに先の見えない大廊下。天井に至っては目視するのが困難なほどだ。歴史ある建物は城の形をとっていることが多いが、それすら怪しい。


少なくとも、ここは日本ではないのかもしれない。僕の記憶の中だと、現状の条件に合致する建造物はピラミッドくらいだが……連中が僕をそこに放り込む意図が見えないので、その線は限りなく薄いだろう。

まあ、まずは脱出しないことには始まらないか。


「……こっちか」


通路の先から、微かに気流を感じる。空気の流れ道があるということは、その方向に出口があるということに他ならない。

迷わないように、壁に手をついて歩き始めた。


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