互いの秘密
「色々言っちゃってごめん」
感動極まった様子から落ち着いて暫く。気まずそうにアイリスが切り出した。
彼女が叫んだ本音。エゴを貫け、自分を利用してみろと言った言葉のことだろう。
確かに、語気は強かったが僕のためになったのは事実だ。迷いはもう、吹っ切れた。
懸命に、泥の中を這って前に進む覚悟ができた。
「いや、全部必要なことだよ」
そう零して一転、再度彼女に問いかける。
「本当に、いいんだな?」
くどいかもしれないが、最後にきちんと確認しておきたかった。
互いにとって、ここが人生のターニングポイント。引き返すならば、今しかないからだ。
彼女は深く頷いた。
「ええ。これはお互いにとって博打よ」
「博打、か」
人生を賭けた大勝負。そういった意味では間違ってはいない。
僕がこの街から逃げることは確定していた。そこに彼女を連れていくことで、弱みができるかもしれない。彼女も、安全圏から抜け出して勝負に打って出た。
「ここは勝負するべきところ。あたしはそう思った」
「僕も、アイリスを連れていくことで逃亡しやすくなる。ただ、それが弱みになるかもしれない。そういった意味では、僕も勝負してるのかもしれない」
「勝負上等よ」
彼女が胸を張って言う。
「人生に於いて、ここぞという時に賭けに出られない奴は勝者にも敗者にもなれない。父の受け売りよ」
「その通りだな」
成功者も失敗者も、みんなリスクを呑んで未来を掴もうとした。リスクもなしに、成功は掴めない。
無論、勝負に出ないといった選択を取ることも重要だ。たが、成功を夢見ているのにリスクを取れないようであれば、それは正しく夢になるのかもしれない。
僕は従来、勝負に出ない気質だった。でも、異世界に来て自分の頭で物事を考えて取捨選択する重要性を思い知った。
思えば、僕が奴隷になったのも自分の身を他者に任せたからだ。だが、力を得ることができたのは僕が結果的にとはいえリスクを呑んでオールドマギと契約したからだ。
選択する大切さを、僕は知っている。
「さて、と」
仕切り直すように、彼女が身体を伸ばす。
これからのことについて話し合うのだろう。
僕も今後のことについて相談しておきたい。
頭の中で、順序だてて考えを整理していると……。
「心から信頼する相手なら、見せておかないとね」
「え?」
彼女が元奴隷であることは知っている。
それ以上に、まだ秘密があるというのか。
「あたしが、宗一が奴隷であると言う弱みを握っているのに対して宗一はあたしの弱みを知らないからね」
言って、彼女は頭の髪を掻き分けた。
「な、なんだそれ……」
「宗一はこういうの見るの初めて?」
彼女の頭頂部から露わになったのは、人のものではない。
獣が有する器官のひとつ。
俗に言う、猫耳だった。
元居た世界のクラスメイトが、猫耳について熱く語っていたことを思い出す。
まさか、本物を拝むことになるとは……。
「初めて、ではないかな。競売にかけられた時に似たような人を見たよ」
「亜人っていうのよ。この国では亜人に対して偏見を持つ人が多いの。奴隷に多く見られるのは、そのためね。あたしもこれが奴隷商人にバレると面倒なことになるわ」
「互いに奴隷商売とは切っても切れない縁があるんだな……」
「嫌なことにね」
僕は苦笑する。
元居た世界にも人種差別の問題はあった。この世界でも、同じように差別にあっているという解釈で良いのだろうか。
少し聞きたい気もするが、聞かれて気持ちの良いものではないだろう。
僕は踏み込みたい気持ちを抑え、別のことを問いかける。
「今後のことについてなんだけど。僕は明日出る乗合馬車で近場の街まで行こうと思ってる。取り急ぎ、この街から離れたいから。この判断は、アイリスから見てどう思う?」
彼女は逡巡することなく答えた。
「間違ってはいないと思うわ。ただ、乗合馬車となると暫く他者との共同生活が続くから……常に気を張って注意しないとね」
首元を指しながら、お互いにね、と彼女が笑った。
「最悪のケースを考えた場合」
「うん」
「あたしが御者と交渉。それがうまく行かなかったら、宗一が実力で馬車を乗っ取るか逃げるかしかなくなる。いずれにしても、あたしは周辺のことは詳しいからなんとでもなるわね」
僕が奴隷だとバレる。或いは、彼女が亜人であることが露見する。そういった状況か。
「分かった。覚悟しておく」
「それと、ひとまずの目的地は隣領であるシュルメーデン領ね」
「隣の領土か」
アイリスが頷く。
「ええ。貴族が他家の領地に何の大義名分や連絡もなく入るのは快く思われない。だから、ひとまずマルクスタ家が管轄する領地から出られれば時間は稼げるでしょうね」
「そういうものなのか……」
理解はできないが、そういうものであると頭に入れておかないとな。
数学みたいに、原理が分からないけど公式を暗記するような感じで。
僕の表情から理解できていないことを察したのか、アイリスが補足する。
「宗一たちマレビトからすると、別の国に行くような感覚なのよ。一国の主が、土足で他国に踏み入るのは異世界……えーと、宗一がいた世界だと問題になるんじゃない?」
「あ、なるなる。国際問題だよ」
父親が日本人だっただけあって、彼女の例えは分かりやすい。
マレビトに対する理解の度合いが他の人とは違う。
「そういう感じ。理解できた?」
「凄く分かりやすかった。ありがとう」
「なら良かった。素直にお礼が言えて偉いわね~」
「……からかうなよ」
頭を撫でてこようとする腕を振り払い、とあることを思い出す。
オールドマギのことだ。これから共に生活していくのだとしたら、彼について話しておかなければならない。
「『コール』」
魔導書を手元に呼び出す。その光景に、アイリスが目を剥いた。
「僕の秘密も明かすよ。こいつはオールドマギ」
魔導書を開き、アイリスに見せた。
「意志のある魔導書だ」
挨拶しろよと促すと、オールドマギがゆっくりとページに文字を滲ませた。
『初めまして』
「あ、どうも初めまして~。じゃなくて!」
自分で自分に突っ込みを入れて、彼女が叫ぶ。
「なによそれ! そんなの魔導書なわけがないでしょ!?」




