地獄への共
大きな転換点
どこか憔悴しきった支部長と別れ、探索者組合を出てから少し。
沈黙しきっていたオリヴィエ、執事、メイド。各々、支部長から聞いた事実を未だに飲み込めていなかった。
見かねたように、先に沈黙を破ったのは執事のネイだった。
「彼が僅か二日でDランクの探索者として名を上げ始めた。魔法と短剣、体術も一流。それに……」
「探索者界隈では有名な、迷宮内での荒らしも一蹴。幾らなんでも早すぎる。これがアーティファクトの力なの……?」
兄の二の句を継いで、メイドが信じられないとばかりに語る。
「もう、私達の知る彼はいないのでしょうか……」
動揺を隠しきれない二人に、オリヴィエが問いかける。
「ねぇ、元Bランクだった貴方達から見て彼はどう映ってるの?」
兄妹は顔を見合わせ、暫し考え込んだ。
先に口を開いたのは兄の方だった。
「……今ならば、相対さえできれば勝機は十分にあります。ですが、成長速度が異常です。明日明後日にはどうなっているか分からないのが正直なところです」
「私たちがDランクに上がるまで、1年かかった。そこからは順調だったけど、最初の壁である荒らしを乗り越えるのが本当にきつかった。でも、彼は……」
妹の言葉を兄が継ぐ。
「力も凄いですが、感嘆すべきは精神性ですお嬢様。二日であの環境に順応するのはあり得ない。元から精神力が異常だったとしか言いようがないです」
力は精神が伴ってこそ。執事の言い分に、オリヴィエが頷く。
「……そうね。心の支柱さえ折られなければ、彼は何度でも立ち上がれるでしょうね。でも、それでも……仲間がいない以上、限界はある」
個々人では如月宗一に敵わないかもしれない。そのことを理解したうえで、彼女が告げる。
「コネクションも、足も、土地勘もない。それら全てを揃えない限り、彼は簡単に捕まえられるわ」
それは、宗一自身が自覚する致命的な弱点だった。
「強くても、たったひとりの人間ですもの」
個人は決して組織には敵わない。
貴族の令嬢は、十二分にそのことを理解していた。
彼女は己が運命に似ていると、自嘲して嗤うのだった。
――――
アイリスに連れてこられたのは彼女の自宅だった。
借家だと言ってはいたものの、あまりにも物が少ない。
商人の自宅と言ったら倉庫だったり、商品を置くようなスペースが確保されている大部屋だと思っていたのだが、存外こぢんまりとした家屋だ。
造形としては平屋で、地下に小スペースの物置があるくらい。
必要最低限の物しか置かれていない部屋は、まるで引っ越し直前のような様相を呈している。
待たされること数時間。疲れを取りつつ、アイリスの部屋を物色するにも飽きた頃に彼女は帰ってきた。
「……取り敢えず、昨日の雑貨を含めて盗品の方は全部売ってきたわ」
「ありがとう、本当に助かるよ」
ナルダから受け取った品物は全て彼女に渡してある。
グラナのように、装飾品を始めとした高価な品こそないものの数は多い。
何せ、9人返り討ちにしたんだからな。
「23万6800リル。取り分は2割だから……47,360リルね」
ナルダには20万リルを渡したから、結果的に損したな。
まあ、それでも構わない。ここで儲ける気はないんだ。
ビジネスパートナーに選んでもらって光栄だが、僕は明日この街を出る。
これは、手切れ金だ。
負債にしかならなかった盗品を捌いてもらい、一方的に契約を破棄するのだから支払いを上乗せするのが道理だろう。
「いや、世話になったし5割でいいよ」
約12万リルを手渡すという僕の文言に、彼女が言葉を失う。
瞠目するも、流石は商人といったところか。一瞬の間こそあったものの、即座に言葉を返してくる。
「ど、どうしたのよ急に。昨日まであんなにお金に拘ってたのに」
「明日、この街を出るんだ」
「……」
街を出る前に、はっきりと伝えておきたかった。
彼女は僕との契約を収入源にしていた節があった。だから、今後は僕を頼れないということはきちんと述べておかなければならない。
「短い付き合いだったけど、感謝してる」
嘘偽りのない気持ちだ。
これは結果論に過ぎないが、彼女と話している時だけは素の自分でいられた。
多くの屍を積み上げてきた人間が友人を得てもいいものかと後ろめたい気持ちもあった。オールドマギは肯定してくれたが、僕は取引相手という割り切った関係に終始していた。それは友人ではないという建前だったのかもしれない。
今となっては、僅か二日間の付き合いが如何に心地よかったか身に沁みている。
探索者として接するナルダ、受付嬢、ペーターさん等々。僕は常に仮面を付けなければいけなかった。だから、彼女との時間は夢のような幻だった。
僕はそれを、置き去りにする。
全ては、僕の為だ。
彼女は商人だ。見切りを付けるのも早い。
そう、考えていた。
「……やっぱりね」
「え?」
しかし、帰ってきた言葉は想定外のものだった。
「そういうことなら、尚更その提案は受け容れられないわ」
「ま、待てよ。僕は遠回しに契約を破棄するって言ったんだ。手切れ金くらい気持ちよく受け取ってくれよ」
「そういうことじゃない」
情があるから、受け取れないのかとも思ったが違う。
彼女の顔は、商人のそれだ。初日に会ったペーターさんのような、侮れない雰囲気を醸し出している。
「宗一が街を追い出されるのは想像していたわ。だから、備えもしてある」
そう、彼女だけが知っていた。
僕が、奴隷でありながらグラナを殺したマレビトの探索者であることを。
そうであれば、僕が逃げの一手を打つことなどお見通しというわけか。
だが、備えってなんだ?
「契約は続行よ」
いや、まさかとは思うが……。
部屋に物が少なかったのを引っ越しに例えたが、もしや本当に……。
――嫌な予感というのは往々にして当たる。
「あたしも連れてってほしい」
彼女は、僕の危惧していた言葉を堂々と発した。
なんでもかんでも一人で背負い込もうとする人間には、強引な女性が丁度良いのかもしれませんね。




