アイリスという少女
「あたしはアイリス」
スッと手が差し出される。
「日本風に言うならば、加藤 アイリス」
加藤、加藤だと……?
「宗一さんのこと、気に入ったわ」
混乱する僕をよそに、彼女が続ける。
「ねぇ、一度と言わず、あたしと契約しない?」
商人、というよりは歳相応に少女然と笑う彼女の手を取ろうとして、我に返る。
「契約、だと。いや、その前に」
加藤、という言葉が引っかかる。
これまでこのアールメウムで二人の日本人と出会ったが、いずれの二人も外観から即座に同郷の人間だと分かった。
だが、彼女は違う。
「加藤、って言ったな。君は日本人なのか?」
純然たる僕の疑問に、彼女はゆっくりとかぶりを振った。
「ううん。あたしの養父が宗一さんと同じ日本人なのよ」
「……そうか」
養父、か。聞いてはいけないことを尋ねてしまった罪悪感と、自身の父に対する想いとが綯交ぜになって胸中が苦しくなる。
そんな僕の表情を勘違いしたのか、彼女が悪戯っ子のような笑みを浮かべた。
「顔に出てるぞー。同郷の人が恋しいんだ?」
「日本人ならこの街で二人に会ったさ。ただ、二人とも年上でね……」
感傷に浸っているわけではないと即座に否定しようとして、またしても余計なことを口走ってしまったことを自覚する。
……僕は何を言ってるんだ。
年上だとか、そういうの関係ないだろう。
数日オリヴィエと過ごしていたこともあり、近い年頃の話し相手を求めていた節はあるかもしれないが……。
それは今、必要のないものだ。
オリヴィエと過ごした時間が、あまりにも心地良過ぎて僕がどうにかしてしまっただけだ。自分と近しい人間に出会えたのが初めてだったから。
「あら~、寂しがり屋なのねぇ、宗一」
「……敬称はどうしたんだよ」
さっきから思っていたが、距離の詰め方がえげつない。
同級生にも、こういう人間がいたな。この手の人間は、人間関係の構築がうまいんだ。
表面上のものとは違い、本物の関係性を。
人の懐に入る勇気があり、懐に受け容れる度量があるからだろうか。
僕には後者の度量がない。他の同年の人間とは、生い立ちが、環境が、あまりにも異なっていたから。
思惟に耽る僕の顔を覗き込むように、彼女が見上げてくる。
人懐っこそうな双眸に、戸惑う僕の顔が映っていた。
「なんか可愛く思えてきたから要らないかなって。友達が欲しいんでしょ?」
「いや、そういうわけじゃ……」
オールドマギがいるし! と言おうとしたが、この魔導書のことを明かすわけにはいかない。
彼とは友人というより運命共同体といった方が近い。
それに……オリヴィエを裏切った僕に、そんな貴重な存在がいても良いのかと考えてしまう。
初めて、心からの友達になれたかもしれない存在。それを、僕は自身のエゴで裏切った。
後悔はない。正しい選択をしたと思っている。
だが、彼女にとっても僕は初めての友達と呼べる存在だったかもしれないことを考えると、遣る瀬無い気持ちになる。
彼女もまた、同じ年頃の人間に心を開けないのだから。
「呼び捨ては嫌?」
「……ああ」
悪人に徹すると決めた、僕の鉄面皮が剥がれそうだ。
積み上げた屍、踏みにじった者の数。僕は善人ではないのだから、そのように振舞わなければならない。
この世界で生きていくために。下手な期待なんてしない方が良い。
「じゃあ、代わりにあたしのことアイリスって呼んでもいいよ」
「ふざけるなよ加藤」
「アイリスって呼んでよー」
わざとらしく不貞腐れた顔をする少女。
ぶりっ子というよりは、表情が豊かなように見える。
「……話を戻すが、契約っていうのは何のことだ?」
「あたし、宗一のこと聞いてた噂と人柄も力量も違うように思えたのよね。良い意味でなんだけどね?」
「どんな噂になってるんだよ僕」
突っ込まずにはいられない。
「グラナ以上のヤバい殺人鬼。ガタイのいい男かと思ってたわ」
グラナ以上の偉丈夫ってなると、逆三角形の体系の人間しか思いつかない。
僕は世紀末覇者でも何でもないぞ。
「実際のところ、かなり人外じみた技を使えるし、人の機微は理解できるしで、継続して取引する相手として良いなって思ったのよ」
「どういうことだよ、それ」
何が言いたいのか、要領を得ない。
気に入った、というのが僕の技量であることだけは理解できるが……。
「今後も宗一には収益が見込めるって考えてるのよ、あたし」
「今日みたいに盗品担いでやってくると?」
「貴方のことを殺して財産を奪おうとしてる連中は山ほどいるし。どうせ返り討ちにするんでしょ?」
山ほどいるのか……。
少なからずいるとは思ったが、そんなにか。
迷宮内では魔物以外にも注意を払う必要があるな。
万が一遭遇したら、今日の荷物持ちと同じ措置を取るまでだ。
「まあ、そういうことになるかな」
「じゃあ、決まりね。手数料は2割でいいわよ。なんでも売ってあげる」
「……組合の仲介手数料が4割だから、3割くらいになるかと思ってたんだが。意外だな」
金の話にはかなりシビアだと思っていた。
彼女は、何を当たり前のことを。とでも言いたげな顔つきで答えを返してきた。
「言ったじゃない。あんたのこと気に入ったって」
あんた、ときたか。こいつ、実は凄い内弁慶なのか?
「なんか、亡くなったお父さんに雰囲気がそっくりなのよね」
「そうか、もう亡くなられたのか……」
「あんまり気にしなくてもいいわよ。もうだいぶ前の話だし」
彼女も僕同様に、人恋しく思っているのだろうか。
だから、ここまでグイグイ来るのか?
いや、それは流石に思い違いだろう。格好悪い考えだ。
彼女の好感を買うような真似はしていないし。
「さて、二人の仲が親密になったところで」
「なってないから」
「残りの品物も、片付けちゃいましょうか」
彼女が足元に於いた荷物を小突いて清々しい笑みを浮かべた。
……なんだか調子が狂わされる。
距離の詰め方がえぐい人いますよね。
友人に勘違いされたので訂正しますが、別にアイリスは宗一に惚れているわけではないです。




