悪人には2/2
本日3度目の投稿です
追想を振り払うように、傍らに出現した魔導書のページが捲れていく。
兎の尾のようにスカーフを靡かせる男の背に向かって右手をかざす。
「『水滴よ、貫け』
「ま、魔法だと……!?」
走りながらの魔法は予想外だったのか、男の顔が引き攣る。
この程度、魔物の攻撃を躱しながら詠唱するのと比べたら児戯にも等しい。
……この魔法は、訣別の一撃だ。
殺しはしない。けれど、躊躇もしない。
容赦加減もなく。僕は代償によって、自分の大事な誓いを破ったことを。
大嫌いな存在になってしまったことを。
――受け容れる。
僕はこれからもきっと、忘れていく。思い出した頃には大事なものを踏みにじっているだろう。
でも、ただひとつ。
母さんの下に帰ること。これだけは、決して忘れない。
だから、今は英雄になるためにも。生きる為にも。
悪人に、徹する。どれだけ無理をしようとも。
「『水針』」
――虚空に現出した針を模る水滴が撃ちだされる。
男が振り返り、身を捩るが既に遅い。
拳銃に似た発砲音と共に、男の膝から血が噴き出す。高圧の水が肉と、血と、骨を抉り男に膝をつかせる。
僕はゆっくりと、恐怖に顔を滲ませる男へと歩みだす。
「わ、悪かった。荷物は返す! 探索者も金輪際辞める! だから――」
「誠意には誠意を」
探索者組合で交わした言葉だ。誠意を向けられたから、誠意で以て返した。
だが、それが病み上がりの探索者を狙った悪意であったのなら。
「なら、悪意には?」
言い聞かせるように呟く。
「同じことだ。悪意を以て応えるまで」
懐から短刀を取り出す。
眼に見える殺意に、男が崩れ落ち壁にもたれる。
「――全て置いていけ」
血の滲む男の膝を踏み潰し、切っ先を眼前に突き出す。
「こ、これで盗ったものは全部だって! だから、命だけは……!」
こびへつらうような笑み。弱者が強者に縋るみっともない光景。
男の顔に、母の顔が一瞬重なった。
……今や僕が強者で、搾取する側だ。
ああ、吐き気がする。
「……分かった」
気持ち悪さと一緒に言葉を吐き出した。
「さ、流石やり手の探索者は違う! 懐の広さがデカい!」
苦し紛れの笑顔。先ほどまでの素っ気なさが嘘のように、僕の荷物持ちだった男は笑っている。
僕は下らない世辞に鼻をならし。
「――え?」
薄汚い笑み共々、男の顔を蹴り抜いた。
「何を勘違いした?」
盗まれた荷物の中には今日明日を生きるために必要な物が全て入っている。
一日一日を生きるので精一杯。そんな僕に余裕などない。当然、懐が広い道理などない。
何よりも、もう悪人に徹すると腹をくくった。
この世界で、善人は生きていけない。
「こ、殺さないって言ったじゃねぇか!!」
豚のように喚き散らす。
ああ、良かった。心中安堵の息を零す。
こいつも僕と同じクズだ。
母と違って、真性の悪人。
これならば、何も考えることはない。
「――足りない」
「は?」
「言っただろう。全て置いていけと」
事ここに至り、僕の意図を察した男は顔面が蒼白になる。
僅かに力む足元。逃げようとする意志。僕は創傷をより強く踏みつけ、膝ごと床に縫い留める。
「置いていけ。命以外、全て……!」
オールドマギが発した殺意の波動とは天と地ほどの差がある威嚇。
だが、追い詰められた弱者相手には効果は覿面。
絶望が男の顔を浸していく。こんなことがあるわけがない、嘘に違いないとばかりに双眸の焦点が定まらなくなっていく。現実を見ていない。
「どうした? ここでその命も置いていくか?」
短剣で胸元を軽く小突いてやる。
「い、嫌だ……」
男が震えながら腰元に提げていた鞄を外す。外套を脱いだところで、制止の声をかける。
「服は勘弁しておいてやるよ」
「……え?」
小汚いおっさんを剥いだところで眼が汚れるだけだ。
女性相手でも同じ対応は取るけれども。
どこか放心気味の男の胸倉を掴む。
「いいから、行け」
男を立ち上がらせ、背中を蹴る。
不思議そうにこちらを見る彼に、短剣を突きつける。
「いつ気が変わるか分からないからな」
男は足を引きずりながら、慌てて駆けだしていった。
その背は、あっという間に闇に溶けて消える。
『……契約者よ』
オールドマギが、何か言いたげな言葉を浮かべた。
「どうした?」
『あの男、服の内側にも隠し持っていたぞ』
胸倉を掴んだとき、変な感触はした。きっとそれは、非常用の財産であることも見当はついていた。
「……そうか。見逃したな」
『気が付いていただろう?』
「買い被りだろ」
あの一瞬。全てを奪い取るべきか迷った。
悪人に徹するというのなら、迷うことなく服すら剥いでいくべきだろう。
だが、脳裏に過ったのは靴底から紙幣を取り出して笑う傷だらけの母の顔だった。
――お母さんね、ちゃんと隠しておいたんだよ。
代償が、僕の記憶を奪い去ると言うのであれば。
この不都合な記憶を消してほしかった。
オールドマギが、全てを見透かしたように告げる。
『君は決して悪人にはなれないよ』
「見逃したとはいえ、ここは迷宮の中だ。死ぬかもしれないだろ」
『それは当人の問題だ』
魔導書が、再度告げる。
『君は悪党には向いていない』
……そんなことはない。
もう既に、立派で汚い悪人だ。
土日って何時に上げた方が良いんでしょうか。
色々試してるんですけど、あんまり参考になる数値が出ない、、、
それはそうと、日曜日も2話以上更新します。
女の子出るのでお楽しみに。




