闇に堕ちる
昨日20時と21時に2話あげたので、そちらがまだの方は「裏取引き」からどうぞ。
組合から登録を抹消されることもなく。迷宮内に散らばっていた魔石を買い取ってもらい、治療費の半額32万リルと少しを払い……。手元には10万弱のリルが残った。
文無しよりはマシとはいえ、これでは振り出しに戻ったも同然だ。
だが、元は赤字だったのだから不幸中の幸いと割り切るべきだろう。
「黒鴉亭、ね」
裏通りの黒鴉亭で待つ、と死体清掃人は言っていた。
その名前には聞き覚えがある。
僕が脱走初日に泊まった、うらぶれた宿屋だ。
大通りを外れ、寂れた街路を行く。この道を歩くのは一昨日ぶりだ。
「おいおい、ひでぇ傷だな兄ちゃん」
「……お前か」
濁声と共に、剣を片手に現れたのは一昨日追い払った二人組の野盗だった。
お前も、一昨日ぶりだな……。
「また、痛い目を見たいのか?」
「はったりはよせよ、兄ちゃん。痛い目を見たのはそっちだろ?」
顔の痣のことか。
全く、どこから聞きつけたのやら。
初めて会ったときも、奴隷の噂をいちはやく聞きつけていたような。
「魔術師なんて距離を詰めればどうってことはねぇ。ましてや、相手が手負いなら猶更だ」
「さすがだぜ兄弟! こいつ、売るのか?」
相変わらずのやり取り。弟分と思しき男が兄貴分を持て囃す。
「ああ、売るんだよ、奴隷商に! 首を隠してても俺らはお前の顔を覚えてる。なぁ、奴隷のあんちゃん」
「……そうか。それは不都合だな」
今の僕は一人の探索者として振舞っているが、一昨日はただの奴隷だった。
市場にいる商人たちは僕の顔を覚えているだろう。
いずれこの街を去る以上、それは構わない。
だが……。
「他のお仲間にも話したのか? 僕のことを」
「お前は俺たちが独り占めする。そんな馬鹿みてぇな真似するわけねぇだろうが!」
「……そうか」
安心したよ。四六時中誰かに狙われる可能性を考慮すると枚挙にいとまがない。
だが、少なくともこいつらの同業者から狙われる可能性は低くなったわけだ。
ここで二人を処理すれば猶更、な。
「何すました顔してやがる。傷物にしてやろうか! ああ!?」
悠然と佇む僕に、野盗が憤怒する。
すました顔か。相手にされてないと思ったのだろう。
事実、その通りだ。
一昨日とは違い、お前らは最早僕の脅威ではない。
「……初めてがお前らで良かったよ」
「あ?」
「根っからの悪党なら、躊躇う必要はないからな」
言い切ると同時に、男の懐に潜り込む。
隙を突いた強襲。存在しない隙……虚を突くオールドマギと比べれば天と地ほどの差はあるが、こいつら相手ならこれで事足りる。
一瞬で視界から消えた僕に、露骨な動揺をみせる男。
「下だ、間抜け」
抜刀と同時に短剣を切り上げる。闇を裂く一閃が男の手首を深紅に染め上げる。
「ぐ、あぁっ……」
獲物が乾いた音を立てて、路上に転がる。
腕を押さえ、後退しようとする男。距離は取らせない。よろめく男に詰め寄り、ナイフを振るう。
刹那、脳裏に過る迷宮内の惨状。魂を刈り取った感触。
オールドマギに押し付けた業。今度は、僕が背負う。
これが本当の、初めてだ。
「き、兄弟!」
弟分の悲鳴と共に、鮮やかな赤色が男の喉元から散った。
……僕が、殺した。確かに、この手で。
ああ、吐き気がする。良い気分じゃない。この感触を積み上げた先に、英雄という称号が待っているかと思うと……ああ確かに、碌なもんじゃないな。英雄なんて。
「よくも兄弟を!」
兄弟と呼ばれた死体を蹴り飛ばす。進路を塞ぐ肉塊の攻撃は、軽やかに躱される。
こっちの方が、身軽な分面倒だな。
手には……短めの片手剣。ナイフより刃先が長く、剣より小さい。
小剣、といったところか。武器というより、ナイフ同様暗器に近い。
迷いのない刺突が迫る。怒りのあまり、狙いは正確ではない。技量に自信がないのであれば、顔より面積の広い胴体を狙うべきだ。
前のめりな一撃を、半身をズラして避ける。躱しざまに、肘鉄を首裏に叩き込んだ。
同時に、膝蹴りをどてっぱらにお見舞いする。
「がっ……!」
前後からの同時攻撃に、弟分が崩れ落ちる。
……意識は、ない。
「先に地獄で待ってろ」
喉元に、ナイフを突き刺す。
21グラムの重みを、取り除く。
「運が悪ければ、すぐに顔を合わせることになるだろうさ」
死体を道の脇においやって、僕はその場を去った。
――――
薄暗い明かりの漏れる木戸を開け放つ。
古ぼけたランプの魔道具が、薄く店内を照らしている。
「よお、旦那。約束を守ってくれて嬉しいぜ」
木製のジョッキを片手に、死体清掃人の男が手を挙げた。
「こっちもだ。持ち逃げされちゃたまったものじゃないからな」
「命あっての物種だ。俺も相手を選ぶ」
さて、と死体清掃人が席を立つ。
「ブツの確認といこうか。俺の部屋に用意してある。付いてきてくれ」
「待て。その前に、裏通りに死体がある。片付けておいてほしい」
「……旦那がやったのか?」
猜疑心、というよりは事実の確認に近い言葉。
間髪を入れずに肯定する。
「ああ、不都合があったからな。何か問題でも?」
「いや。得意先が増えるんなら喜ばしい限りだ」
含み笑いを浮かべ、死体清掃人の男が宿を出た。
これから秘密を共有し合う仲だ。この程度の借りは誤差だ。
ふと、視線を感じると宿屋の店主が青醒めた顔でこちらを見ていた。
「ああ。そういえば、あんたも知ってたんだっけか」
僕が、奴隷であることを。
「ま、待て。待ってくれ。誰にも言わない、言わない!」
何を勘違いしたのか、慌ててかぶりを振っている。
別に、殺人に関しては物的証拠が残るわけではないから言いふらされたところで害はない。
奴隷であることに関しては……詮無いことだ。他の商人も知っていることだし。
「……安心しろよ。あんたを殺しはしない」
野盗と違って、宿屋の店主が急にいなくなったら話題になるからな。
犯人捜しが始まるのは僕の本意ではない。
だが、これは利用できるな。
どんどん汚れていく。




