魂の重さ
お待たせしました。
「どけよ下郎」
身体が勝手にナイフを構える。
「私の弟子を殺させはしない」
その言動に、目を見張る。
どういうことだ……。
まさか、オールドマギ。お前なのか……!?
「千年。千年も待ったんだ……」
ふらつきながら、呟く。
もう、立っていられない筈だ。
僕の身体だ。そのくらいは分かる。
死を受け容れなければならない状態。戦闘の続行など不可能。
持ち前の機動性など発揮できるわけもなく。
加えて、この眼に未来は見えていない。
オールドマギ。誓約の魔眼の未来予知もなく、まともに動けない身体で勝ち目なんてないんだ。
もう、諦めてくれ。
お前がこれ以上、僕に尽くす必要なんてないんだ……。
「殺させるものか、今度こそ……」
唇を噛みしめながら、彼が零した。
僅かながら、痛覚が戻ってくる。意識を保つためか、それとも苦渋の過去からくる行動なのか。
いずれにせよ、オールドマギが、心から僕のことを思っていることが伝わってくる。
僕を誰かと重ねているのか。
そんな疑問も、この窮地を乗り越えないことには聞けない。
そして、それは不可能だ。
「その身体で何ができる」
僕を売った男が嘲笑する。
悔しいが、その通りだ。鈍い痛みが全身に走っている。
僕の感覚はまだ完全に戻りきってはいない。その分は、オールドマギが体感している筈だ。
立っているのも限界。こんな状態では、何も――。
「――お前を殺すことができる」
「おいおい、冗談にもほどが――」
一歩、よろけるように踏み出す。
無理矢理動かした身体が悲鳴を上げている。
「花を手折るように……」
それは、深紅の薔薇のように。
「赤子の首を捻るように……」
それは、神の血たるワインのように。
「児戯にも等しい、ことだ……」
凄惨に、凄烈に、首元から噴いて出た。
前方によろめきざまに一閃。
――男の喉笛を、オールドマギが切り裂いた。
腕を振った感覚すらなかった。
隙なんて、見当たらなかった。なのに、何故……。
「これが、虚をつく極み……」
オールドマギが零す。
鮮血が、虚空を舞う。
「……は?」
男は、自身が斬られたことにすら気が付いている様子はない。
ただ、何が起こったのか分からない。疑念に満ちた面持ちのまま、崩れ落ちていく。
――殺した。こんなにも、いとも容易く。
……やめてくれ。
「てめぇ! よくも兄貴を――!」
配下の三人が一斉に襲い掛かってくる。
だが、僕にはわかる。未来予知などなくとも、それが蛮勇であることが手に取るように分かる。
だから、逃げてくれ……。
これ以上、僕を殺人鬼に仕立て上げないでくれ――!
「……一人」
駆けだすと同時に、男の喉元にナイフが突き刺さる。気炎万丈とばかりに叫んだ彼が、一瞬にしてその気力を命ごと奪われる。
手首だけでナイフを放つ正確な一投。
傍らに倒れてくる、彼らの頭目。その腰元から短剣を抜き放つ。
「二人目……」
――やめてくれ。
オールドマギ、頼むから……。
もう……。
「え……?」
抜刀と同時の斬撃が正確に喉元をなぞる。
無警戒ではなかった筈だ。隙なんて微塵もありはしない。
「これで、三人……」
振り切った腕が、何かを振り払うように横に薙ぎ払われる。
オールドマギ、やめろ……。
やめてくれ……!
僕を、人殺しにしないでくれ――!
「……あっ」
僕の祈りも通じず、最後の一撃が寸分違わず男の首に突き刺さる。
……彼らは、自身が死んだことにすら気が付かなかっただろう。
それくらい、オールドマギの手腕は素早く、鮮やかだった。
「人の意識には……隙が生じる瞬間がある」
ゆっくりと、倒れていく三人を尻目に彼が語る。
「怒り、嘆き……。これらの感情は、その隙を顕著にさせる」
僕を奴隷として売り払った男を筆頭に、四人が倒れ伏す。
それに付随して、辺りを朱色が埋め尽くしていく。その光景は、さながら咲き乱れる彼岸花のようで……。
「……くっ」
僕の身体が、痛みに耐えきれず足元から崩れていく。迷宮の壁にもたれながら、眼前の光景を目の当たりにする。
首を動かせないのか。それとも、この惨状を目に焼き付けろということなのか。
オールドマギ、なんで。
なんで、殺したんだ……。
「契約者を……守るためだ」
息も途切れ途切れ。苦しそうに、言葉を吐く。
僕は、人を殺すくらいならいっそ……。
「……帰るんだろう?」
……。
「母親の、もと、に……」
合わす顔なんてない。
僕は最早殺人者だ。
僅かだが、この手に感触が残っている。
ナイフを振ったり、投擲したりといった物理的なものではない。
命を奪った。人の身体から、21グラムの重みを取り払った……泥のような感触が、この手にまとわりついて離れない。
「私が、勝手にやった……ことだ」
違う、僕だ。
認めなければならない。目を逸らしていた、事実から。
……僕が、殺したんだ。
僕の身体がやった、とかそういうことではない。
殺さざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
何よりも許せないのは……。
その尻拭いを、君にさせてしまったことだ。
「……そのような、ことは」
本来なら、僕がやるべきことだったんだ。
僕は、それを押し付けたに過ぎない。
……人を殺すのは嫌だ。
だが、この世界で甘い考えが通用しないことは頭の片隅で理解していた筈だった。
だって、僕は……。
理想を貫き通せるほど、強くはない。英雄のように、誓いを守り切る強さがない。
殺人とその嫌悪、後悔に塗れてやっと。思い出した。急激に力を付けた所為で忘れていた。
元々僕は、手段なんて選べる身ではなかったことを。
目的があるなら、何も躊躇するべきではなかった……。
何をしてでも帰ると、そう誓ったはずなのに。
僅かばかり力をつけたからといって、人を殺さないなどと、この世界では甘言に等しいことを掲げて……。
この殺人も。惨状も。君の痛みも。
全て、僕の弱さが招いたことだ……。
「それは、ちが……」
「おいおい旦那。なんでやられちまってるんだよ」
オールドマギの言葉に被せるように、小汚い男が現れた。
瘦身瘦躯。陰鬱で、どこか死の匂いを纏う彼が僕に目を向ける。
「お前か……。旦那も、最後に美味しい土産を置いていってくれたもんだ」
男がナイフを取り出す。普通、ナイフではスケルトニアは倒せない。
こいつも、人殺しか……。
「解体用の、ナイフか……」
オールドマギが呟く。彼の目には、男が手にするナイフが僕とは異なるように見えているのか。
「……警告する」
「何を?」
壁にもたれかかったまま。オールドマギが告げる。
「それ以上、近づいたら殺す」
瞬間。
得も言われぬ空気が場に満ちた。肌を焦がすような緊張感。恐慌を引き起こす不可視の波動。
明確で、強力な殺意。
「……び、ビビらせんなよ」
男は一瞬怯むも、再び歩き出す。
「手元に武器もなけりゃ、満身創痍。今のあんたなら、俺でも簡単に――」
「武器がない?」
刹那、ナイフを構えていた男の腕が弾けた。
後方から引っ張られたかのように、腕が身体ごとのけぞる。
「笑わせるなよ」
右手が、熱い……。
「武器ならここに、沢山あるだろう」
男が、信じられないような目つきでこちらを見ていた。
僕も、同じだ。
だって、こんなこと信じられない。
オールドマギが握っているのは、ただの……。
「――指弾。次は当てるぞ」
小石、なのだから。
男が一歩、後退する。
「そのまま、質問に答えろ」
親指で、いつでも小石を弾ける態勢を保ちながらオールドマギが言う。
「死にたくはないだろう?」
男は、拳銃でも突きつけられたような表情をしていた。




