誓約の魔眼
『前契約者は発狂して自殺した』
……は?
僕は一瞬にして聞いたことを後悔した。
やっぱり碌でもないじゃないか……。
不幸、不幸、不幸に続いて幸運かと思ったらまた不幸か!
弁明するように文字が浮かぶ。
『眼を与えたのは今回が初めてだ。親和性がなければその時点で死亡する確率が極めて高いことが理由に挙げられる』
前例のないことをやっている時点で駄目だろ。
成功する見込みがあったとはいえ、やられた方はたまったもんじゃない。
『優れた魔導書と術者は惹かれあうものだ』
……さりげなく自分のことを優秀な魔導書だと自認したな。
『その親和性の高さは、現契約者が私に惹かれ契約したことが証明している。先の戦闘で確信に至った。故に、私は眼を託すことに決めた』
「今はもう契約したことを後悔してるけどね」
『安心してほしい。
私との親和性の高さから、発狂死することはありえない。
保障しよう』
こいつに保障されても……。
秘匿されるよりかは素直に言ってくれた方が良いものの、生か死という極端すぎる二択なんだよなぁ……。
このまま窓から投げ捨ててやろうか。
「捨ててもいいか?」
率直に尋ねてみる。
『……やめてほしい』
意外と弱気な言葉が返ってきた。
こいつもこいつで必死なのかな。
僕を死なせないためにやったことみたいだし。
まあ、元から捨てるつもりなどない。結んだ契約は、例えそれが騙された結果であろうとも死ぬまでついてくることを僕は知っている。それならば、使い倒すまで。
それに、使い勝手が良いことも確かだ。
『説明は以上になる
質疑があれば応答する』
「何故僕の同意もなく無断で行った?」
間髪入れずに尋ねた。
一番聞きたいのはこれだ。契約の際は僕の意志を尊重していたように思えたにも関わらず、何故独断で行動に及んだのか。
オールドマギは長考することなく答えを返した。
『先んじて説明すると同意が得られないと確信していたからだ。
契約者は魔術師としてはまだ駆け出しの段階。今後の戦闘で死亡する可能性は大いにありうる。
魔法以外のアドバンテージが必要だと判断した』
「魔術師ってだけである程度は強いんじゃないのか?」
事実、盗賊の二人組は僕が魔術師であると知った途端逃げ出したわけだし。
あの威力の魔法を扱えるとなると、迷宮で僕を襲ってきた骸骨にも勝てるだろう。
あれ以上の力は不要に思えるが、オールドマギは異なる見解を持っているようだった。
『魔術師の弱点は詠唱にある。距離を取っていなければ近接武器で殺害される。
仮に、距離を取れていたとしても魔法を躱され詰められた場合、対処のしようがない。
加えて、現段階の契約者は多人数に囲まれると極めて高い確率で死亡することが予測される。
そのような状況に陥らないための施策が必要だ』
この意見には同意だ。自分が如何に、戦闘に関して無知だったか思い知らされる。
改めて、盗賊とのやり取りを思い出す。
もし、彼らがオールドマギの語る事実を知っていたとしたら。二人の内一人が捨て身で突貫してきたとしたら。一人しか補足できない魔法では対処しきれず、僕は剣の錆になっていただろう。
魔法を手に入れたことで、少し楽観視していたようだ。
「納得した。だけど、君が与えた魔眼とやらは僕の命を懸けるに値するものなのか?」
オールドマギの口ぶりだと、魔眼さえあれば多人数に囲まれることはないという風に受け取れる。
確か、万物を観測する力、だったか。表現が曖昧でいまいち理解ができない。
『命を懸けるに値するものであると断言する。
理解を促進するため、具体例を提示する。
物質及び魔法、技芸の構造解析。
筋繊維を観測することによって可能となる動作の予測。
これらが一例として挙げられる』
「ちょっと何言ってるか分からないですね」
強い。強すぎる。脳が理解を拒むほどに強い。
それってつまり、物事の原理の把握と未来予知ができるってことだろ?
だが、僕は知っている。こいつは上げて落とす奴だ。きっと使ったら死ぬとか、寿命が縮まるとか、そういう代償が伴うに違いない。
『契約者の知能指数を把握。
より噛み砕いて説明する』
「いや、分かってる。分かってるから。ちょっと思ったより強くて驚いただけ」
冗談を解さないのか。いや、それは当たり前か。中に生身の人間がいるわけでもないんだし。
相手はお喋りロボット程度に考えた方がいいな。
『契約者の冗談の傾向を把握』
「把握しなくていいよ、そんなもん」
『それは冗談か?』
「冗談じゃない」
とんだポンコツロボットじゃないか。ASIMO君の方がもっと機知に富んだ返しをしてくれるぞ。
……少し話が逸れてきてるな。
「まあ、とにかく。魔眼があれば逃げやすいし、囲まれても脱出できるっていう認識で良いんだよな?」
『肯定する。
しかし、気を付けよ。
誓約の魔眼は魔力消費が激しい。
契約者の現魔力量を鑑みると日に30秒以上の行使は推奨しない。
それ以上は命に関わると考えた方が良い』
やっぱりあったな代償。しかも予想通り、生命に関わるレベル。
まあ、最初からそんなに都合の良い話だとは思ってはいなかった。ここまで聞いて、ようやく腑に落ちるという感じだ。
「今試してみても良いのかな」
ぶっつけ本番で試す、という展開だけは避けたい。
命のやり取りに関わる以上、能力の把握はきちんと行うべきだ。
『魔法の扱いになれてからの使用を推奨する』
「今は駄目ってことね」
大きなため息をついて、上体をベッドに放りだす。
背中越しにベッドの固さを感じながら、天井を眺める。
ボーっとしていたら、緊張が解けたのか疲れが津波のように押し寄せてきた。
この五日間で色々あったからな……。ありすぎた。
間違いなく、人生で一番濃厚な時間を過ごした。
懐から金貨を取り出し、空中に揺らぐ灯火にかざす。綺麗な金色が光にあてられて輝いている。
これで純金ではないらしいのだから、凄いとしか言いようがない。500円玉とは比較にならない輝きだ。
「榊原さんには感謝してもしきれないなぁ」
支援金をもらったこと。この世界についての説明してもらったこと。そして、魔導書を譲ってもらったこと。
「明日、何すればいいんだっけか。まずは服と鞄って言ってたっけ」
それと、迷宮に挑むための装備と携帯食料に水、薬類諸々。
やることが多い。
「明日は市場巡りで一日潰れそうだな……。早く街から出たいけど、乗合馬車が次出るのが六日後。それまでマルクスタ家に見つからないようにしつつ、力をつけて稼がないと……」
考えることも多い。
駄目だ、頭がまわりそうにない。
「オールドマギ、灯の魔法ってどうやって消すんだっけ」
『時間経過で自然消滅する。魔力量により変動。
若しくは、魔法名を唱えることで消滅』
「サンキュー。じゃあ、朝になったら起こして」
『不可能』
「ページばらばら捲れるじゃん」
オールドマギが沈黙する。冗談か本気か捉えかねているのだろう。
目を閉じて、眠る態勢に入る。とはいえ、盗みに入られる可能性があるので、完全に気を抜くことはできない。
だが、休まなければ明日苦労するのは目に見えている。
「『灯火』」
完全な暗闇が室内に満ちる。
灯が消えたことで、睡魔が我が意を得たりとばかりに勢いを増していく。抗えそうにない。
「おやすみー」
誰に言うわけでもないが、呟く。
オールドマギが、返事でもするように小さくページを捲る音を立てた。
……やればできるじゃん。
金貨を懐に戻し、宿屋での出来事を脳裏に浮かべた。
僕は榊原さんの言っていたことを思い出し、眠りにつく。




