首輪の代償
ギリギリセーフ!
うらぶれた通りを進み、外壁沿いに進む。
月明かりを避けるようにして、その店はあった。
木戸の隙間からは僅かな光が漏れている。
「いらっしゃ――」
扉を開けると、店主のしかめ面が僕を出迎えた。
室内は榊原さんの滞在していた宿と比較すると非常にうす暗い。
魔道具と思しきランプは1つのみで、帳簿の横には蝋燭が置かれている。
ランプは高級なので、深夜営業を行っている店でも基本的にはひとつしか置いてないことが多い。榊原さんのいた宿屋が異常なだけだろう。他の宿屋でもひとつだけだったが……。
この店は粗悪品を掴まされたのか。それとも、耐久年数を超えて使い続けているからなのか、ランプの内側に灯る灯はか細く、頼りない印象を受ける。
「一晩部屋を貸して頂けないでしょうか?」
店主は僕を矯めつ眇めつ眺めると、吐き捨てるように言った。
「……銀貨3枚だ」
「おかしいですね。昼間足を運んだ際には銀貨1枚と銅貨5枚だった筈ですが」
売り込みの際に訪れていた客には銀貨3枚の半額を提示していた。深夜料金という概念がなければ、これは店主の嫌がらせということになる。
今度は客として来ている以上、疎まれる理由はないと思っていたが……。
「お前、マルクスタんとこの奴隷だろ? そんなもん匿ってるのが知れたら俺が酷い目に遭っちまう。口封じ代込みだよ」
「……」
またこれか。
アールメウムに存在する宿屋の一泊あたりの平均相場は銀貨2枚だ。ここは客足も少なく、安かったので寄ってみたのだが、これだとあまり意味がないな。
いや、客の多い他の宿だとそもそも泊めてくれるかどうか怪しいか……。
「銀貨2枚半」
「3枚だ。何なら値上げしてやってもいいんだぜ?」
僕の交渉も虚しく、定価の倍を払うことになる。
地元の商店街で培った交渉術は何の役にも立たなかった。
懐から金貨を取り出し、帳簿の横に置く。
「釣銭を数え間違えることはないと信じてますよ」
魔導書を出して威圧することも考えたが、それは脅迫だ。僕の嫌いな人種とやっていることは変わらない。
精々が皮肉を言う程度だ。
「俺が何年商人やってると思っていやがる。そんな間違い起きやしねーよ」
釣銭の銀貨と銅貨を確かめ、皮袋に入れる。
「確かに」
釣銭を誤魔化されることはなかったか。
マレビトに教養があることは周知の事実なのかもしれない。
「二階の角部屋を使いな」
「分かりました」
カウンターの脇にある、年季の入った木造の階段に足をかける。木板の軋む音が深夜の店内に響いた。
「……それにしても、奴隷が金貨をねぇ」
店主の声に、足を止める。
「オメーも綺麗な顔してやることはやってんだな。誰から盗った?」
「……」
盗みを疑われても仕方がないか。何せ、昼間は必至の形相で雇用してくれるよう頼みこんでいたわけだし。
とはいえ、不快なのは事実だ。だが、それ以上に舐められていると盗みを働かれる可能性がある。僕は奴隷である以上、仮に犯罪の被害にあっても通報できない立場にある。衛兵を呼んだとしても取っ捕まるのは僕の方なのだ。
これ以上ないカモだ。出来れば金貨は見せたくはなかった。
「『コール』」
オールドマギを呼び寄せる。
「自分で稼いだに決まっているじゃないですか。縁起でもないことを言わないで下さいよ」
一度舐められると地獄を見るのは知っている。僕は口調こそ柔らかに、しかし目元は笑わずに告げた。
「奴隷落ちした魔術師か。隠してやがったな、お前」
その甲斐あってか、店主の顔に警戒心が滲む。
僕は店主の言葉に答えずに、ゆっくりと階段を上る。他の宿泊者に気取られたくないので、音を立てないよう慎重に部屋へと向かう。
「……」
僕自身は音を立てなくても、床が軋む音がやけにうるさい。激しい怒りと殺意を覚える。
こういうのは、体重をかけては離してを繰り返すからいけないのだ。ボロアパートに住んでいた経験があるので対処法は知っている。
僕はスケートの要領で滑るようにして床を駆け抜けた。
……死ぬほど音が鳴った。
どんだけボロいんだよ。
幸いにも、誰かが起きた気配はない。
僕は充てられた部屋へと入り、一息つく。
「……疲れた」
聞こえないように呟く。
こういう古い建築物は耳年増でなくても、誰かの声が聞こえてくるものだ。
「えーと、何だったか。『光よ、あれ。灯火』」
ぼんやりとした光が周囲を照らす。僕が今のところ扱える三つの魔法のうちの二つ目だ。魔道具のランプとほぼ同様の効果だが、魔力をより多く込めれば電灯くらいの明るさにはなる筈だ。
建物が古いため期待はしていなかったが、室内は思ったよりも広い。ちょっとしたホテル……この場合はモーテルだろうか。そんなところに泊まりにきた気分だ。宿泊施設に泊まるのは強制的に参加させられた修学旅行以来だ。
ちょっと気分が高揚する。
「……でも、ベッドは汚いな」
古い、というのが正しいのだろうか。
布の下には藁が敷き詰められており、枕も死ぬほど固い。
腰を下ろすと、これまた軋んだ音をたてた。
「さて、と」
僕はオールドマギを開く。
「オールドマギ、さっきのは一体どういうことだ」
誓約の魔眼だったか。
何故、僕の同意もなく勝手なことをしたのか。
返答は即座に文章となって現れた。
『私に適合する術者は少ない。
強い精神力と苦痛に対する耐性を持っていないと使いこなせないからだ。
現契約者は過去に契約したものの中でも最有力。死なれては困る』
僕を死なせないために、力を与えたということか。
というか、過去にも契約者がいたのか。
「因みに、前契約者はどうなった?」
興味本位で聞いてみる。
『前契約者は発狂して自殺した』
……は?
僕は一瞬にして聞いたことを後悔した。
 




