中立を謳う者
前振りが長くて申し訳ないです
「悪いけど、漂流組合は君を保護できない」
「……え?」
申し訳なさそうに、榊原さんは告げた。
「意地悪で言っているわけではないんだ。
漂流組合はどの国にも属さない互助組織、中立を貫く必要がある」
マレビトがこの世界に与えている影響は大きい。税金について学んだ際にも述べた通り、保有している情報量も他組織より遥かに多い。そんな組織が一国に身を寄せるとなれば世界中から非難されるのは目に見えている。
榊原さんが首元を指す。
「中立故、存在を許してもらっていると言っても良い。そして、如月君。君は神聖王国に属する貴族マルクスタ家の所有物だ」
言い方はあまり宜しくないけれど、と付け加える。
……何が言いたいか見えてきたぞ。
「僕を保護するということは、王国に肩入れすることと同義。そう仰りたいんですね?」
「その通りだ。実際のところ、こうして話している今も黒に限りなく近いグレーゾーンに等しい。一国の重鎮に難癖を付けられたら面倒なことになる」
「それってまずいんじゃ……」
「最悪戦争だね。まあ、相手が馬鹿じゃなければ示談で済むよ。……戦争になってもマレビトが負けることはないしね」
まるで過去に異世界人対現地人の戦争があったみたいな言い方だ。
恐ろしくて聞く気にはなれない……。
漂流組合がなくなると困る国も多いから、多対一の構図になるんだろうけど……。
榊原さんの口ぶりは漂流組合という一組織だけでも国を相手取れるように聞こえる。
「そういうわけで、組織としては動けない。でも、個人としては動けないこともない」
「……だから、僕を探していたんですか」
「ああ。通常、マレビトは特定の地域にしか出現しない。そして、マルクスタ領は該当地域じゃない。だから、どこぞの奴隷商が詐称行為でも働いたと思ったんだけど……」
木製のコップに口をつけ、水を呷る。一息ついて、続ける。
「――2000万という金額は異常だ。偽物につけて良い値段じゃない。奴隷商も偽物を出すのであればその点は弁えている筈だ。金額が大きければ足もつきやすく、騙された側も手段を問わず業者を追うだろう。マレビトを買えるのは豪商か貴族くらいだ。リスクが大きすぎる」
見過ごせない金額ということか。追手を出して捕まえる費用よりも高く、且つ貴族であっても回収しなければならない金額となれば道理も理解できる。
「本物の可能性は高いと睨んだ。そして、もしそうであれば余りにも不憫過ぎると思ったんだ」
「……」
水の入ったコップが差し出される。僕は会釈するように小さく礼をして、受け取った。
コップの中で揺れる水面には、苦虫を嚙み潰したような顔が浮かんでいた。
「知らない世界に身一つで投げ出され、誰にも助けてもらえない。その恐怖は私もよく知っているからね」
「……榊原さんはどうしたんですか?」
「最初は大道芸で稼いだかな。忘年会に向けて練習していた手品が役に立ったよ……。言葉が分からなかったから、目に見えて分かる芸があったのは本当に助かった。芸は身を助く、とはこういうことを言うんだろうね」
大したものではないんだけどね、と苦笑する。
そうか、榊原さんは会話すらままならなかったのか……。
僕よりも過酷な状況で、それでも生き延びてきたんだ……。自分が世界で一番不幸だ、なんて思っていたことを恥じる。
「漂流組合は力になってくれなかったんですか?」
「……うーん、まあ似たようなものかな」
困ったように言葉を濁す榊原さん。
僕とはまた別の事情で漂流組合は力になれなかったのだろう。
「如月君はどうだい? ここまでどうしてきたのかな?」
僕の事情は凡そ把握しているだろう。マルクスタ家に買われたことを知っているなら、僕が今ここにいるのは逃げてきたことに他ならないことを察している筈だ。
それでも聞いてくるのは、僕に頭を整理する時間を与えてくれるということだろうか。
息を整え、ゆっくりと。順序だてて説明する。
迷宮で目が覚めたこと、奴隷として売られたこと、オリヴィエに買われたこと、彼女のために施策を考えたこと、魔女にあったこと、召喚されたであろうこと、魔導王を探せと言われたこと、全て。
魔女の話は信頼できないので内容を確認するにはちょうど良かった。
榊原さんは口を挟むことなく、相槌を打ちながら話を聞いてくれた。
「大変だったね……」
万感の思いが込められた一言。語り終わった僕を労うような優しい言葉。
その優しさに、ここまで堪えてきた感情が零れそうになる。
「モニカ……王国の眠り姫か。彼女の言葉なら無碍には出来ないね」
感情が決壊するよりも先に、榊原さんが聞き逃せない単語を発した。
「王国の……眠り姫?」
あの魔女は姫というイメージからは程遠い存在だと思うんだけど……。
思わず涙が引っ込む。
胸中で茶々を入れていた僕を窘めるように、榊原さんが真剣な面持ちで語る。
「彼女の予言は恐ろしいほど的中するんだ。多分、魔法だとは思うんだけど……。その代償か、彼女は頻繁に眠るんだよ。それでついた二つ名が眠り姫」
「予言、ですか……?」
「ああ。彼女の言葉は真実だと仮定して動いた方が良いだろう。意味のないことはしない人だ。それに、如月君が召喚されたというのであればこの地にいることも得心がいく」
特定の地域外にマレビトが出現した事実も、召喚魔法という要素が絡むことで納得がいく……か。
魔女の言葉が本当であれば、僕をこの世界に呼び出した人間がいる筈だ。そして、いずれ会う定めにある。
何故僕を呼び出したのか。どのような意図があるのか。聞きたいことは山ほどある。
だが、それよりも先に……。
「魔導王をご存じですか?」
魔女の言葉が脳裏によみがえる。
――魔導王を探したまえ。救済の果てに彼はいる。
僕には意味が分からないが、榊原さんなら何か分かるのではないか。
そう思って聞いてみたわけだが……。
「どこにいるかは分からない」
返ってきた言葉は僕の望むものではなかった。
「彼に関する文献は少ないんだ。何せ、一万年前の人物だからね」
「い、一万……?」
人類史そのもののような存在じゃないか……。
生きているのか、これ。いや、概念なのか?
謎が謎を呼ぶ悪循環。疑問符が尽きない。
「ただ、如月君を元居た世界に返せるとしたら彼くらいだろうね。そういう意味では彼女の言葉は正しい」
「どういうことですか?」
何の気もなしに、榊原さんが答える。
「マレビトが元の世界に帰った事例はないんだ」
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