選択
「だが、希望もある。元の世界に戻ることは可能かもしれないということ」
甘い言葉が耳元にこびり付く。
魔法を使い、甘美な言葉で誘惑してくる。これは童話に出てくる悪役そのもの。
――魔女だ。
邪悪で、邪知暴虐を良しとする魔そのものだ。
ぐらつく思考を抑え、僕は眼前の魔女を睨む。
「否定したいのかな?
でもね、魔法が存在する以上、ありとあらゆる可能性は肯定されるべきだよ」
「嘘だ。以前聞いたことがある。そんな高等な魔法はもう存在しないと」
まるでその質問を予期していたかのように魔女は笑った。
「じゃあ、思い出してみなよ。君はどうやってこの世界にやってきた?」
「……マレビトは皆迷い込んでこの世界にやってくるんだろう?
高位な魔法が絶えた以上、それは現象であり魔法は関与していないはずだ」
必死の弁舌。初日にオリヴィエが言っていたことだ。
同様に、メイドから召喚魔法は過去のものだとも聞いている。
僕の認識は間違っていない……筈。
それにも関わらず、胸中には不安が渦巻いている。
魔女が子供を相手にするように笑う。
「鋭いね。でも、それにはひとつ条件がつく。
世界同士の綻びからやってくるのは生者だけだ」
嫌な確信があった。次ぐ言葉を聞いてはいけない。
魔女の言い回しだと、まるで僕が……。
「――死者は違う」
恐怖、畏怖、それらを超えた絶望。
なんとなく、予想はしていたことだが突きつけられると心にくるものがある。
「私は立場上、それなりにマレビトと関わりがあるけど、誰一人として死んでやってきた人はいない」
魔女が僕を指す。
「――君は死人だ
本来存在してはいけないこの世の歪みそのもの」
震える唇が、言葉を発する。
「だとしたら、僕はなんで……」
異世界で、生きているんだ。死者は生者と会話できないだろう。
その言葉もまた、読まれていた。
「君は呼ばれたんだよ。英雄としてね」
英雄。およそ僕なんかには似つかわしくない言葉だ。
突拍子のない発言に、困惑が加速する。
「高位な魔法は確かに途絶えた。だが、それは技術としての面だ。魔法そのものはまだ存在する」
「魔法に意志があるような言い方だな」
言い得て妙だね、と魔女は感心した素振りを見せた。
「そう。本人の意志とは関係なく、血脈に刻まれた魔法。生涯に一度、特定条件下でしか使用の許されない召喚魔法。それが、君をこの世界に召喚した魔法だ」
物騒な発想だが、時限爆弾のようなものだろうか。
魔女は続ける。
「本来、人は世界を渡ることはできない。人という存在は、生まれた世界に規定、固着されている。マレビトは世界を捨てた存在だ。執着がないが故にこちらにやって来られた。そして、死者は世界から放逐された存在だ。どの世界にも属さないが故に、新たな世界へと意図的に固着させることができる。これが、召喚魔法の原理」
魔法の原理を説明されてもよく分からないが……僕は世界から捨てられ、魔法使いによって拾われた、という認識で良いのだろうか?
「簡潔に言うならば、マレビトは世界を捨てた人。君は世界から捨てられた人ってことだ。だが、誇りたまえよ? 君は、召喚者によって数ある死人の中から英雄として選定された存在なんだ。君は、必要とされているんだよ」
僕の疑念に応えるように、彼女が告げた。
死人であると言うならば、今ここにいる僕は意志を持った動く死体ということなのだろうか。それではまるでゾンビだ。
だが、魔女は僕が殺されるとも言っていた。それは僕が生きているということも指している。
……頭が混乱してきた。
「結局のところ、僕は死人ってことなのか?」
魔女の言葉が正しければ、だが。
「いいや。君は生きている。そして、死んでいる」
「言っていることが無茶苦茶だ」
シュレーディンガーの猫よろしく、誰かが観測するまで生と死が重なっている状態だとでもいうのか。意味が分からない。
「君という存在が死んだ瞬間、こちらで『生きている』存在として定め、観測し、この世界に植え付けた、というのが正しい。生と死が重なった状態で、無理矢理生きていると仮定して連れてきた。同時に、死んでもいたから魂は世界に縛られておらず、死者でもあった。だから、君は生者でもあり死者でもあるわけだ」
まあ、ここら辺は理解しなくていいよ。と魔女が付け足す。
「今の君の認識としては、『生きている』というのが正しい。術者がそう観測したからね」
魔女の言葉が本物であれば、僕は死の淵から蘇生した……という認識になる。
それはまさしく死者の蘇生だ。現世でも実現されていない、究極の奥義。
加えて、死亡した事実もかき消されているためスワンプマンや哲学的ゾンビといった、本当の僕を見失うこともない。
完成された、死者の蘇生だ。
これが魔法……。こんなものが以前横行していたと考えると寒気がする。
「究極の魔法だよ。誰もが使えるわけではない。意図的に扱えたのは開発者である魔導王だけだったらしいよ」
「魔導王……?」
「ああ、全ての魔法の祖と言われる伝説上の存在さ。覗いただけで並みの魔法使いなら発狂する術式を幾つも開発してきた偉人。彼の作り上げた召喚魔法には、まだ続きがある。そのひとつが縁の効力だ」
そういえば、オリヴィエが言っていたな。昔は国を個人で壊滅させられるような超人的な魔法使いがいた、と。
魔導王もそのうちの一人なのだろう。
「呼ばれた英雄は術者と必ず巡り合う定めにある。本来なら、直ぐに出会って然るべきなんだけど……まあ、君を呼んだ人間は力量が足りなかったみたいだね。でも、言葉が通じている以上召喚は成功している。安心したまえ、召喚者とは惹かれあう。ともすれば、既に出会っているかもしれないね」
ここまで出会ってきた存在を思い出す。オリヴィエ、奴隷商……後は僕を売った探索者くらいか。
オリヴィエだろうか。他の人間よりかは惹かれているとは思うが、彼女が魔法使いである素振りを見せたことはない。
いや、その前に引っかかることがある。
「ちょっと待ってくれ。言葉が通じているのが召喚に成功した証左だと?」
何を当たり前のことを、とばかりに魔女が肩を竦めた。
「言語が通じなかったら召喚した意味がないからね。君の能力はまた別のところにある筈さ。
さてと……」
ゆっくりと干し草から腰を浮かし、汚れを払う。
立ち上がった魔女は、呆然とする僕を一瞥して深い笑みを浮かべた。
「ボクから君に話すべきことは以上だ。そろそろお暇するとしよう」
「最後に、ひとついいか?」
言いたいことだけ言って、僕の心中を搔き乱した彼女へ意趣返しとばかりに質問をぶつける。
「何故僕のことを知っている? 何故こんなことを話した?」
「それ二つじゃない?」
「いいから答えてくれ」
「まあ、至極当たり前のことだよ」
ひと呼吸おいて、彼女が告げる。
「だって、私は貴方という存在を夢にまで見ていたのだから」
それは、つまり……。
「僕を召喚したのはお前なのか……?」
「いいや違うね。ボクが召喚したのは別の人間さ」
やはり、彼女も誰かしら召喚していたのか。
道理で事情に明るいわけだ。
「だけど、君に死なれると困る立場にある。だから、老婆心から君に現状の説明と忠告をしにきたんだ」
死なれると、困る……?
「忘れたのかい? このままだと領主は間違いなく君を殺す。監査官としては役目を果たせるからそれでもいいんだけどね。でも、英雄を召喚した立場としては看過できないのさ。何せ君たちは世界を救える貴重な人材だからね」
魔女が、木戸に手をかける。
「……今夜、マルクスタ邸の裏口を開けておこう」
肩越しに鋭利な視線が向けられる。
「君がいたいけな少女を信じるのであれば、何もすることはない。
だが、生を……。元いた世界への帰還を望むのであれば……」
「……」
木戸が開き、薄闇の中に魔女が消えていく。
「魔導王を探したまえ。救済の果てに彼はいる」
言葉を残し、彼女は消えた。
「どういうことだよ……」
去り際に、とんだ爆弾を置いていかれた。
魔導王って偉人なんだろう? 遥か昔のように語っていたからてっきり死んだものとばかり思っていたが。いや、そもそも人間じゃないのか? それとも魔法で延命を……いや、そんなのはどうでもいい。
「このままだと、殺される……?
だから……」
――脱走しろ、って?
唐突に現れた怪し気な女の言葉を信じるに足る根拠なんて微塵もない。
脱走は彼女……オリヴィエに対する明確な裏切りだ。
しかし……。
「帰ることができる可能性……か」
諦めかけていた光が、再び灯された……かもしれないのもまた事実だ。
全てを諦め、彼女に尽くすか。それとも、一縷の望みにかけて魔導王とやらを探すか。
片や死の可能性。片や、死よりも許せない裏切りか。
判断するには、あまりにも情報が欠けている。オリヴィエに伝えるか? いや、次に彼女に会えるのは翌朝だ。脱走の機会は今夜しかない。
僕は……。
僕は――――。




