魔女の甘言
サブタイトルを変更しました。
何の話か分からない、タイトルが同じメリットがなかったのが理由です。
女が音もなく入ってきたのか。それとも、僕が木戸の開く音に気が付けないほど思考に浸っていたのか。
女は僕に気が付かれることなく、眼前に屹立していた。
眼前の女は口調こそ砕けていたものの、纏う空気は高貴なもの特有の威圧感を伴っていた。オリヴィエが小鳥の雛だとすると、この女は獰猛な鷲だ。
僕の存在はマルクスタ家の人間にも秘匿されている。
だが、目の前の女はどうみても内部の人間ですらない。僕の存在を知っている道理はない筈なのだ。
「ボクが何者か、という顔をしているね」
疑念が顔に出ていたのか、心中の疑問に答えるように女が名乗った。
「ボクはモニカ・ド・ラ・ストラーゼ。公爵家の娘にして監査官だ」
その言葉に、先のオリヴィエが残した言葉を思い出す。
『それと、今日はお客様が見えるから、早めに出るわね』
そのお客様が眼前の監査官であると同時に、僕という存在が露見することがマルクスタ家にとって致命的なまでの失態になるのではと思い至る。
上級貴族が奴隷を抱えているとなると威信に関わる。それは、オリヴィエにとって不利になることだ。気が付くと、僕の口は滑るように彼女を擁護する言葉をつらつらと並べ立てていた。
「私は貴方様の考えるような奴隷ではございません。お嬢様に粗相を働いてしまったので、罰として――」
自分は一時的に馬小屋にいるだけで、本来なら雇われの身であると主張するも監査官は嘆息をついて僕の言葉を遮った。
「ああ、事情は把握しているよ。だから、忠実な犬の振りをする必要はない」
事情を把握している?
そんなわけがない。僕という存在はマルクスタ家にとっての弱み。他家にとっての付け入る隙だ。
「彼女、君がマレビトだから欲しがったんだろう? マレビトの知恵を借りようとした。違うかい?」
オリヴィエが喋ったのか? いや、喋る理由がない。そんなことをしても自らの首を締めるだけだ。
「彼女は喋ってないよ。ボクが知っているだけさ」
微笑する監査官。
まるで、心を読まれているような先回りした言動。いや、『まるで』じゃない。比喩にあらず、本当に心を読んでいないと納得できない言葉の数々。
どういうことだ? 魔法か? でも、魔法には魔導書が必要だと聞いている。
僕が思案する顔を一瞥して、楽し気に彼女が笑う。
「冗談だよ。彼女が最近、頻繁に馬の様子を見に行くことを怪しんでいた侍女がいたんだ。
監査官であるボクとしては、貴族の不正を見過ごすわけにはいかないからね。
確かめさせてもらったのさ」
カマをかけたのか……!
だとすると、僕の表情からすべてを読み取られたか?
「安心しなよ。直ぐに報告するつもりはない。今日はただ顔見せに来ただけさ。代理の娘に調書をとっても仕方がないからね」
「代理……?」
いや、確かオリヴィエの執事がそんなことを言っていたな……。
「知らなかったのかい? 彼女とその父親以外にマルクスタの血筋はいないんだ。だから、父親が帰ってくるまでは彼女が領主代理なんだよ」
なるほど。だから彼女の一存で大きな金を動かし僕を買うことができたのか。
幾らなんでも、貴族とはいえ一介の少女が一存できる範囲を超えているとは思っていた。
そういった事情があったのなら得心が行く。
「だから、本物の領主が帰ってくるまではボクも仕事はできないのさ」
大儀そうな言葉に、疑問を覚える。オリヴィエが実権を握っているのならば、彼女に調書を取っても問題はないのではないか。それとも、形式上正式な領主を相手にする必要があるのか?
「とはいえ、君がマルクスタ家に買われたことを知っていたのは本当のことだよ。何せ、君のことは噂になっているからね。周知の事実さ」
それはおかしい。オリヴィエは確か奴隷商相手に箝口令を敷いていた筈だ。
「彼女は只のお飾りの領主だよ。実権はないに等しい」
僕の思考を読んでいるかのように先回りする彼女。
「奴隷業者たちが取り入っているのは彼女の父親だ。彼女はどこまでいっても子供扱い。大人として扱ってもらえない、可哀そうな子供」
「――そう、君と同じようにね」
「――ッ!?」
どういうことだ。オリヴィエのことは知っていたとしても、僕の内情は知る由はない筈だ。
彼女がそれを口にする理由もない。
心を読んでいる、なんて次元ではない。僕ですら口にしていない、そして眼前の女を前に考えてすらいなかったことだ。
思考が錯綜する僕にかまうことなく、彼女は干し草に腰かけた。
脚線美、なんて言葉を体現したかのような細く長い足を組み、前かがみに僕を覗き込んでいる。
「マルクスタの娘のことは知らない。でも」
いや、違う。覗き込んでいるんじゃない。
「君のことはよく知っている」
――覗き込まれている。
僕という存在を見透かすように、見通すように。
彼女の瞳に映る僕が、どこか遠く感じる。僕と彼女の間に次元を隔てた何かがあるような気がしてならない。
深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている。
誰が言った言葉だったか。僕が彼女を見透かそうと覗いだ瞬間に、全てを看破された。
彼女こそ、深淵。
監査官という肩書すら怪しい。
彼女に相応しいのは、もっと悍ましい何かだ。
「君がマレビトであること、彼女に手を貸していること」
赤い舌が艶めかしく唇を這う。
「そして母の下に帰ることを望みながらそれが叶わないと思っていること、全て。知っている」
「やはり、魔法――」
女の口元が妖しい弧を描く。
「絶望のただなかにいて、宗一。君にはもう何もない。守るべき存在も、生きる理由も」
僕の名前まで――!
魔導書を使わずして魔法を行使しているのか?
だとしたら、この女はオリヴィエの従者であるメイ以上の魔法使いだということになる。
「君と彼女は同じ望みを抱いていながら、君の望みだけは叶わない。それにも関わらず協力させられている。それって……理不尽じゃないかな?」
心の底に沈殿していた澱みが膨れ上がるのを感じる。彼女の言葉に耳を貸すだけで、封をしていた筈の感情が抑えられなくなりそうになる。
「僕の意思だ。約束した」
自身の胸中から懸命に目を背け、吐き捨てた。
僕の迷いなんてとうに看破しているのだろう。女は赤子をあやす母のような柔らかい笑みを浮かべ。
「もし、彼女が嘘をついていたとしたら?」
僕の胸を突き刺す言葉を放った。慈愛に満ちた顔で赤子の首を捻るような言動。
オリヴィエに対する信頼が、出会ったばかりの女相手に崩されようとしている。
「……そんなことはない」
耳を塞ぐべきだ。これは魔の囁きだ。だが、できない。
彼女の言葉を聞いてしまう自分がいる。
「まずひとつ、君がマルクスタ家に受け入れられることはないということ。
彼女が説得すると言っていても、当主が伝統を重んじている以上、それは決して許容されることはないだろう。
彼女には何の力もないからね。
このままだと、最悪……」
不穏な響きを残し、舌を出す。可愛らしい仕草。同年代に見える少女の動きが、僕には悍ましく感じられて仕方ない。
かくして、その予感は的中する。
「殺されちゃうかもね」
満面の笑み。言動と一致しない表情。
全身が総毛立つ。迷宮で骨の魔物に襲われたことを思い出す。あのときとは比にならない恐怖と畏怖が全身を絶え間なく揺らしている。
第六感とも呼ぶべきものが激しく警鐘を鳴らしている。
ああ、そうか。ここに至って漸く気が付いた。
「だが、希望もある。元の世界に戻ることは可能かもしれないということ」
甘い言葉が耳元にこびり付く。
魔法を使い、甘美な言葉で誘惑してくる。これは童話に出てくる悪役そのもの。
――魔女だ。
邪悪で、邪知暴虐を良しとする魔そのものだ。
ぐらつく思考を抑え、僕は眼前の魔女を睨む。
今迄宗一君の心情描写を丁寧(?)に描いてきたのはここのためです。




