文明考察
異世界の文明
馬小屋に越してきてから数日が経った。
「言っていた資料持ってきたわよ」
「ありがとう」
この世界の文明について幾つか分かったことがある。
重要な情報は羊皮紙。そうでないものは和紙に近い薄い紙に記載されている。相も変わらず中身は読めないが、こういった随所にマレビトの影響が及んでいることを実感する。
紙があるとは聞いていたが、凹凸の激しいパピルスのような実用性の薄い紙だと認識していた。
だが、実際に出てきたのは僕の知っている紙に近しいものだった。これらは聞けば全て手製とのこと。文書もハードカバーのものなどある筈もなく、羊皮紙を綴じただけの簡易的なものだ。木簡でなかっただけ幸いと思うべきか。
これら情報、そして僕が馬車の車窓から見た光景から察するに、この世界では工業の礎となる産業革命は起きていない。
魔法があるから技術革新が起きていない、かもしれないのだが……。それにしては文明や文化が進んでいる。
預金、年金、保険といったシステムを担う組合があったり、衛生観念が徹底されていたり。ナイチンゲールがいたわけでもないのに細菌という概念が存在している。現代ほどではないが、水道を始めとしたインフラが整っている。魔法で水を出しているのではなく、僕がいた世界同様圧力で水を出している。中世ヨーロッパのように水の代わりに酒を飲むといったことはない。
そのおかげか、みてくれこそ中世ヨーロッパに近しいが、その中身は近世にひけをとらない。識字率の低さからお触れを読み上げる公示人がいたり、徴税請負人がいたりするところは僕がいた世界の史実と変わりはないが、黒死病が流行したことはなく乳幼児の死亡率が高いといったことはない。
指輪物語のような世界を想像していた僕からすると驚きの連続であり……。同時に、不信感を覚えずにはいられないほど歪だ。技術革新による工業化がいつ起きてもおかしくはない下地が整っているにも関わらず、何百年経っても技術の進歩は牛歩の如く遅々としている。戦争といった科学技術が加速度的に進歩する特異点が何度も起きているのに、戦車はおろか拳銃すら登場していない。
まるで、何者かが工業化を妨げているような歪な技術構造だ。
「何か分かった?」
「……色々とね」
僕は一瞬躊躇するも、所感を簡単に語って聞かせた。
彼女の聡明さは理解していたので、理解を示してくれると思い込んでいたのだが。
予想に反し、表情に動きはない。何を当たり前のことを、とでも言いたげな顔だ。
「貴方たち組合が管理しているからでしょ? 秘匿されている……って言われてるわ。私達が知っているのは貴方たち組合が公開した技術だけ」
「組合……?」
「マレビトを束ねる漂流組合のことよ。貴方の言っていた技術や概念はそこから提供されたものなのよ」
なるほど、それで 貴方たち って言っていたのか。
「教わったことを応用、発展させる人はいそうなものだけど」
「ドワーフたちがその筆頭ね。でも、厳粛に管理されているって話よ。私も飽くまで聞きかじった程度だけれど……」
やはり、工業化を避けようとする組織的取り組みがあるのか。
「逆に、何で戦争が技術を高めることに繋がるの?」
「いや、だって外敵に打ち勝つためにはより殺傷能力の高い武器が……」
至極当たり前の論理を展開しようとして、世界と異世界の差異に思い至って思考が固まる。
……待てよ。それは僕の世界での話だ。
この世界には兵器にとって代わる存在がある。
――魔法だ。
「戦争なんて大概頭数が多くて優秀な魔術師を抱えているところが勝つわ。そりゃあ、単騎で国を滅ぼせるような伝説上の魔術師はいないけれども」
そうか、兵器なんて必要ないんだ。
僕が図書室で得た知見によると、オリヴィエが言って見せたように中世ヨーロッパの戦争は至極単純なものだ。情報伝達技術が未発達なため、複雑な作戦などはなく指揮官は突撃命令を出すだけ。佩刀しているのは貴族階級の指揮官だけであり、重装鎧を着こんで騎乗しているものだから軍馬の速度は牛歩と同等。なんだったら、まともな国軍なんてものはなく、殆どが各地貴族から徴兵された寄せ集めと傭兵。剣と魔法のファンタジーの夢をこれでもかと踏みにじる、数がものをいう物量戦。
ここらの事情は恐らく似たようなものだろう。
問題は、銃の台頭。史実だと銃の登場により鎧は衝撃に対する緩衝材としての役割を果たせなくなり廃れた。そこからの戦争事情は周知の通りで、数より兵器としての殺傷能力、情報が力を持つようになった。
この世界では、銃の代わりに魔法がある。
つまるところ、最初から銃ありきで戦争を行っているようなものだ。だが、魔法は科学とは異なる。誰でも簡単に扱える代物ではない。研究者も限られる。加えて、マレビトの影響により衰退している。発展の余地がない。
「それじゃあ、戦争はここ数百年何の進歩もない……ってこと?」
「当たり前じゃない。苛烈だったのは伝説に謳われる魔法使いたちがいた千年以上前の話よ」
単騎で国を滅ぼせる、という歩く核兵器みたいな人のことか。
――不意に、突拍子のない発想が脳裏を過る。
武力を均一化させ、魔法を衰退させるためにマレビトという存在がいるとしたら?
個人で国を滅ぼせるような存在なんて、国を運営する側としてはとてもじゃないが容認できない。その根本的原因が魔法にあるのだとしたら、それを衰退させ、その影響により生じるマイナスを別のもので補填したい。そう思うのも無理はないのではないだろうか。
戦争に端を発しているとしたら、工業革命が起きていないのにも得心がいく。魔法を封じた意味がなくなる。魔法が存在する以上、核兵器以上のものが誕生してもおかしくはない。
……いや、だがこれはあまりにも飛躍しすぎている。一国で為せることではないし、複数の国同士が手を結んだとしても冷戦が起こる可能性は否定できない。
辻褄は合うが、実現は不可能。
結局のところ、益体のない思考。
「……大丈夫?」
「あ、うん大丈夫」
思考の迷宮に陥った僕を、オリヴィエの不安の入り混じった声が現実に戻した。
何かを言いたげな彼女の表情を前に、僕は思考を切り替える。
この世界の在り方について、今どうこう考えても仕方がないことだ。
僕は、僕に任された役割を全うしよう。
「それじゃあ、本題に入ろうか」
窮地に陥った貴族領を救うアイディアマン。
それが、僕の役割だ。




