赤髪の悪魔
突然の闖入者は、ズカズカと品のない歩き方で舞台へと近づいてくる。まるで聖書に出てくるモーセの奇跡が如く、少女に道を明け渡すように人波が割れていく。
これだけで、彼女が只者ではないことが窺えるが……。
「マジかよ、マルクスタの譲ちゃんじゃねぇか……」
誰かの呟きが耳を打つ。
マルクスタ……、銀髪の少女から聞いた名だ。確か、ここの領主の筈。
と、いうことは、やはり貴族か。
「そこの貴方」
思惟に耽っていると、誰何する声がした。脅すような口調だが、少女特有の高めのトーンであるため、それほど恐ろしくはない。本職の恫喝に比べたら足元にも及ばない。
視線を下ろすと、舞台下からのぞき込むように少女が僕を見上げていた。
「降りなさい」
「申し訳ないのですが、お嬢様はこれでも貴族ですので。見下ろすのはやめて頂けないでしょうか?」
「これでもって何よ!?」
従者である執事の注釈に反駁する少女。
主としての威厳はないようだ。
反抗するつもりはないので、舞台を降りた。少女が嗜虐的な笑みを浮かべる。
「貴方、マレビトなんですってね。まさに降って湧いた僥倖ね。私の日頃の行いが良かったに違いないわ!」
華奢な手が僕の腕を掴む。
「さあ、私の家にいらっしゃい。貴方は私のものよ。ネイ、支払いを済ませて頂戴!」
「かしこまりました」
恭しく頭を垂れる執事。呆然とする司会者に重そうな袋を手渡す。その腕を、誰かが掴んだ。
「1650万だ」
例の商人だ。まだ諦めていなかったのか。
商人の登場に少女が柳眉を顰める。
「どういたしますか、お嬢様」
主人の意向を伺う従者の声に、少女はただ一言告げる。
「2000万」
「……」
絶句。
あれだけ執着を見せた商人から表情が失せた。執事を遮っていた腕が、だらしなく垂れる。
「さぁ、もう文句はないわよね」
執事が司会者に、今度こそ大金を受け渡す。金と共に、書類やら何やらが見えたが、僕には理解できそうにない。
最終額、2000万。当初の2.5倍の金額。一般的な奴隷なら約7人は買える。7人の人生を変えるだけの価値が、僕にはあるということだ。
……分からない。何もかも、ただ状況に流されている。
困惑する僕とは対照的に、上機嫌な奴隷商がすり寄ってくる。
「いやぁ、予想以上の売れ行きだ。お前も、伯爵様に買われて良かったじゃねぇか」
伯爵? 確か、聞いた話では、奴隷を買うような貴族は騎士爵か男爵なんじゃなかったのか?
疑問は深まるばかりだ。
「お買い上げ、ありがとうございます。これを機に、どうか今後ともご贔屓に……」
卑屈な笑みを浮かべ、少女にすり寄る奴隷商。
その揉み手を払いのけ、少女が一蹴する。
「これが最初で最後よ。……この町で今後も商いがしたいのなら、今日のことは他言無用よ。町中の商人に伝えなさい。いいわね?」
「ええ、ええ! 勿論ですとも! なにせ、貴方様は伯爵家のご令嬢ですものねぇ」
察するに、奴隷を買うという行為は少女にとって掟破りに等しかったのだろう。
ならば、ついでだ。一回は一回。僕に価値があるというのなら、僕の提案を無碍にはしない……かもしれない。
「ま、待ってください!」
立ち去ろうとする少女に向けて声を上げる。
「僕を買うのであれば、ついでにあの姉弟も買ってあげて下さい! ここに来るまでの道中、助けられたんです。お願いします!」
臥して懇願する。
先の状況から推測するに、このままだとあの姉弟は売れないのではないか。売れたとしても、まともな主に恵まれるとは到底思えない。ならば、眼前の少女の恩情に縋ってでも、姉弟の奴隷を救いたい。他の奴隷のことを鑑みない、エゴだというのは自覚している。だが、それでも。何故か、僕には彼女たちを頭の片隅に追いやることはできそうにないのだ。
――救わなければならない、という強迫観念じみた妄念が頭から離れない。
幸いにして、彼女たちの値段は80万。そう高くはない。ついでだと思って買ってくれたら御の字だ。
しかし、振り返った少女の顔に浮かんでいたのは落胆だった。
こちらの意を理解できないとばかりの表情。
「それはできないわ。例外を増やすことは無理。私に彼女らを買うメリットはない。労働力が欲しいわけではないの。貴方が、マレビトだから買ったのよ」
僕が、マレビトだから……。
マレビトって、何なんだ……?
凄絶なまでに変遷していく状況に疲弊しきった頭では、推測することもかなわない。
ぐちゃぐちゃになった感傷と、脳内に錯綜する言葉。それを見つめる他人行儀な自分が重なり、思考がまとまらない。
僕に一体、何の価値があるっていうんだ。僕なんかより、他者を思いやれるあの少女の方が――。
「まだ競売は続きます! 最後までお楽しみください!」
司会の声が、どこか遠い。
呆然とする僕に、眼前の少女が婉然と微笑んだ。
「さぁ、行くわよ奴隷。ご主人様についてきなさい」
手枷とピアスが外され、身体が軽くなる。
だが、心持は晴れず重いままだった。
疑問と疑念、無力感が頭を苛んでいく。




