第三夜 後編 答え合わせ
「お前は岡っ引の世話にまでなって…一体何をしていたんだ!家の名前を使ってなんとか解放されたが、下手したら牢に入れられていたかもしれないんだぞ!拷問にあっていたかも…!」
千代の兄である平蔵が顔を利かせてくれて千代は岡っ引から解放された。家に帰って安心したのも束の間今度は平蔵の激しい叱責をくらっている。
「全く、男の格好なんぞして女一人で町をほっつき歩いて…父様が知ったらどんな顔をするか……………て、その着物俺のじゃないか!!」
「はうう…こ、これには訳が…。」
「…まあ、その訳については大方検討がつくが。」
平蔵は大きなため息をついた。
「お竹の事が心配なんだろう?だから探しに行った。」
「……」
千代は何も答えられなかった。
平蔵は千代の沈黙を肯定と受け止めた。
「だが、お前は江戸を代表する豪商の一人娘だ。分をわきまえた行動を心掛ける事だな。」
「…女子の身でありながら、幼い頃から丁稚をやり、商才があるからと父様に家と小店を与えられ、実家をほっぽり出された私にとって分をわきまえた行動とはなんぞやという話ではありますが…。」
「……。」
千代は江戸でも五本指に入る豪商の家の娘なのである。
千代の父、鈴木五兵衛は一代にして材木商として成功し、その他両替商や海運業など数多くの事業に関わるようになった。江戸で千代の家を知らぬ者はほぼいないだろう。その家の一人娘として生まれた千代は幼い頃から、女性らしい手紙の書き方を学んだり活花、楽器、和歌といった普通の女の子の習い事よりも商人として必要な知識を学ばされたり、経験をつまされたりした。そしてある日突然、父に「お前には商才がある。」と言われ、実家を放り出されてしまったのである。千代には、習熟の速さと柔軟な思考回路があるという自負はあるものの、正直父のいうように自分に商才があるとは思えなかった。だが、父に与えられた小さな店は特に赤字を出す事なく、穏やかな一人暮らしを送っていて、今のこの状況に不満がある訳ではなかった。それに、そのお陰でこうして自由に竹を探しに行く事だってできるのだ。
「物を見る目はまだまだのようだがな。いや、世間を知らないだけか?普通の町人を装うにしては、偉く上等な物を選び抜いたじゃないか。」
兄にジトっと見つめられ、千代は罪悪感で萎縮した。しばしの沈黙の後、平蔵はため息をついた。
「…仕方がない。今回は見逃してやる。」
「!!…父様や母様に内緒にしていてくれるのですか?」
平蔵は首を縦に振った。
「ああ。…お前がお竹をどれだけ心配しているのかよくわかるよ。お前達の事は小さい頃からよく見てきたからな。」
「…兄様…。」
「だが、今後許すとは言っていない!次、お前が男の姿で町をぶらついたり、岡っ引につかまっていたり、妙な事に関わっていたりしたら、今度こそ父様に報告してお前の家と店を没収し、婿探しをしてもらうからな!」
ガーン!!と千代の頭の上におもしが乗った。
平蔵は母と同様、「結婚をする事が女の幸せ」という固定観念を持っているため、父が千代に店を与えて一人暮らしをさせていることを良く思っていない。反対に父としては、千代に結婚をさせるよりも千代の商才を見出したいという気持ちの方が強かったのだろう。千代自身、余程一緒に居たいと思えるような相手が居ない限りは独り身でも良いと考えているし、今の暮らしが気に入っているのでできればこのままで居たかった。
平蔵は懐から紙の束を取り出した。
「兄様、それは…?」
「お千代の結婚相手一覧表だ。俺が良い相手を宛てがってやるぞ。」
ガーン!!と千代の頭の上におもしがもう一つ追加された。
「…俺はそろそろ家に帰るが、今夜はもう大人しく家で休んでろよ。」
平蔵が帰ろうと支度しようとすると、千代は慌てて止めた。
「待ってください!兄様。ききたい事があります。」
「?なんだ??」
「…呪術は、あると思いますか?」
「なんだ藪から棒に…。」
妹からの唐突な質問に平蔵はキョトンとした。
「実は____」
千代は今日、宗教勧誘であった事を平蔵に話した。平蔵は終始特に顔色を変えずに黙って最後まで話を聞いた。
「女性は殴られた後、一切岡っ引に触れていません。その上で、急に彼は苦しげに胸を抑えました。その時に偶然持病が悪化した…とも考えられません。女性はそうなる事がわかっていたという口ぶりでした。兄様はどうお考えですか?」
「そうだなあ…。呪術があるかどうか、という問いに対して、俺はわからん、としか答えられない。世の中、『ある』証明より、『無い』証明の方が格段に難しいからな。だが、呪術が無い、と仮定したとしても今の話やろうと思えばできなくも無いと思うぞ。」
「!!本当ですか!?」
千代は驚いて幼子のように目を丸くした。
「ああ、例えば、俺が思いついたのは、________その女と殴った岡っ引は繋がっていたって可能性だ。」
「___!!」
「女は予め金を握らせておいて、演技をしてもらったんだよ。自分を殴った後、突然苦しんで倒れるようにな。お前の話を聞く限り、臼田教は不特定多数の人々に場所と時刻を紙で知らせていたんだろ?それなら、通報されて捜査に入られるのも時間の問題だった。だからそれを逆手にとったんだ。」
「しかし、倒れた男性は血を吐いていましたよ?」
「それもやろうと思えばできないことは無い。血糊を小さな丸い袋に入れて奥歯に挟み思いっきり噛むんだ。そうすれば血を吐いたように見せる事ができる。」
「…なるほど。それなら、女性が瞬間的に移動して逃げられたのはどう考えられるのですか?」
「女は派手で明るい着物をきていたのだろう?不自然にも思えるような。」
「!!そうか!私たちは着物と後ろ姿でしか遠くに逃げた女性を判別していない!私たちはあの奇抜な着物は他に無いと無意識に思い込まされていた。でも、もし二着あれば仲間に同じ物を着せて似たような髪型をさせて遠くの方で走らせれば良いだけ。しかし、本物は何処に…。」
「近くの物陰に身を潜めていたんじゃないか?辺りはもうすっかり暗かったそうだし、予め用意しておいた暗い色の布か何かを被れば大分人の目を免れると思うぞ。倒れた岡っ引が一層苦しげに吠えて血を吹き出せば誰もが視線をそちらに向ける。その間に本物は隠れる。おそらくだが、宗教勧誘に来ていた人々の中に仲間を潜ませておいて、本物が隠れたと同時に__」
『おい、見ろよ、あれ!!』
千代はあの時、誰かが外の方を指さしたのを思い出した。
「偽物を指さし、あたかも女性が瞬間移動したかのように思わせた。____という所かな。」
千代は感嘆のため息をついた。
「流石です、兄様。」
「ま、証拠があるわけでも無いから、結局ただの推測にすぎないがな。…さて、もういいか?俺はそろそろ帰らせてもらうぞ。」
「はい、今日はありがとうございました。」
「俺の言いつけ、忘れるんじゃ無いぞ。もし破ったら…」
平蔵は自身が持つ紙束をひらひらと振った。
「わ、わかっています。」
「…お竹の事は実家でも探しているから、お前は自分の店の心配でもしてろ。あ、あと、その着物、今度洗って返せよ。」
平蔵はそう言い捨てて、今度こそ去っていった。
千代は平蔵を見送ると、ほっと一息ついて縁側に腰掛けた。とりあえず、吉原遊郭に行った事まではバレずにすんだ。それがバレていれば、兄の怒りは今の比じゃなかっただろう。
自分を心配する兄には申し訳なかったが、千代は言いつけは無視して竹探しを続行するつもりだ。だが、今日は流石に家で大人しくしようと思った。
(今日は会いに行けそうにないです、音羽さん。)
________『お竹の事が心配なんだろう?だから探しに行った。』
千代は兄の言葉を思い出した。あの時、千代は何も答えられなかった。勿論、竹の事が心配だ。竹に一日も早く会いたいと思っている。だが__
(会いたいのは、お竹だけじゃないみたいです、兄様。)
縁側から見上げた白く輝く月は、彼のように美しかった。
「男の遊女なんて、冗談きついっての。宴会の余興にすらならない。」
道ゆく男がわざと、見世にいる音羽に聞こえるくらい大きな声で嫌味ったらしく言った。一緒に見世でお行儀よく座っていた遊女達が一斉に音羽をみる。皆、音羽が怒りで暴れ出さないか、冷や冷やした。
音羽は菩薩のような笑みを浮かべた。
遊女たちはほっと安心してため息をついた。
「いやねえ、あんたの顔程きつい冗談はないでしょう。」
(((音羽ーーー!!!!!)))
遊女たちはサッと顔が青くなった。
「んだとゴラッ!!たかが遊女の分際で俺を罵倒しようってのか!!」
「はあ?『たかが』だと?遊女は幼い頃から英才教育を受けていて優秀な奴にしか務まんねえんだよ!お前みてえな見た目も中身もすっからかんな頭した奴に見下される言われはねえ!!」
「てめー!!俺が気にしていた事をよくも…!」
「まあまあ、お侍様、落ち着いてくださいまし。」
遊女の一人、ていかが外へ出てきて男の腕を掴んだ。
「あの子は気性が荒い子でして…。哀れと思ってその深い懐で大目に見てくれませんか?お詫びに、うちで割安にしますわ。特別に、色々と良いこと、してあ・げ・る♡」
ていかはその豊満な胸を男に押し付けた。男は鼻の下を、これでもかと言うくらいに長く伸ばして、ていかに連れられて行った。
「酷いことを言う人もいたもんだねえ。」
後から一人、また男が話しかけてきた。ちらちらと白髪が見える中年の男だ。
「辰五郎さん…。」
音羽の上客の一人だ。辰五郎は毎日とまではいかずとも頻繁に顔を出しては音羽を指名していた。
「僕が音羽を身請けしたら、もう二度とこんな惨めな思いはさせないよ。」
音羽は「身請け」と言う言葉にぴくりと反応する。見受けとは遊女の借金を代わりに払い、引き取ることである。つまり、目の前の男、辰次郎は音羽を吉原から連れ出そうとしてくれているのだ。音羽は年齢的にもそろそろ見受けを考える時期だ。そのために、ここ数年金を貯めていてくれていると言う。
「今日は君と久々に夜を楽しもうと思ってきた。」
辰五郎はふふっと笑った。年齢はいっているが、優しい性格で、羽振りも良いらしい。音羽はこの上客に対して、それなりの好感があった。しかし、音羽はいつもなら間髪入れずに了承するのだが、今日は歯切れが悪かった。
「辰五郎さんが来てくれるのは凄い嬉しんだけど、最近太客増えてな。そいつはいつも酒と食事だけしたらすぐ帰るから、待っててもらえないか?」
「ははっ、他の客の話をされると年甲斐にもなく妬けちゃうねえ。だが、もう夜遅いぞ。今から酒宴する人はあまりいないだろう。今日はその人、来ないんじゃないかい?」
辰五郎は首を傾げた。音羽は胸がチクリと痛むのを感じた。それが何故なのかはよくわからなかった。
「音羽おに…音羽さん、床の準備はできています。」
千代が竹に似ていると言っていた禿、くにが知らせに来てくれた。結局、辰五郎は妓楼に入り、いつもの個室へと通されていった。
「あのお客様、今日は来なかったわね、音羽お兄ちゃん。」
「……」
「まあ、もう二日連続で来てくれたわけだし、あの人の恩返し、終わったのかな。それか、飽きられちゃったとか…………ってわあああああああ!!ごめんなさいごめんなさい!!そんな鬼の形相で私を見ないで!!何にそんな怒ってるのか分からないけど!」
音羽は何も言わずにくにを一瞥すると、そのまま辰五郎が控えている部屋へと向かった。
(なんだか、音羽お兄ちゃんの様子がおかしいわ。しばらく言葉に気をつけよ。)
そんなことを考えながら、くには終始ドキドキして音羽の後ろ姿を見送った。