第三夜 前編 集会
「______あと四日だ。」
「ああ、あと四日だ…。もうすぐ…__」
千代は何気なく、足を止めた。
忙しそうに走っていく者。荷を運ぶ者。店を宣伝する者。立ち話をする者。昼間と言う時間帯なだけに人がかなり多い。
千代は訝しげに辺りを見回す。
あと、四日、何があるんだろう?
不思議に感じたが、その会話の主がどれなのか人が多すぎてよくわからなかった。数秒後、すぐに興味が失せる__と言うよりももはや何故自分が振り返っていたのか忘れてしまうくらいどうでもよくなった。しかし、千代が再び前を向こうとした次の瞬間、
「何か、悩んでいる事があるんじゃないのかい?」
女性の声がした。千代は最初その声が自分に向けたものであるとは思わなかった。しかし目の前の中年の女性の目はひたと千代をとらえていた。千代が何か答える前に女性は千代に紙を握らせた。
「あなたの求めるものはここに。」
女性はそう言って去っていった。
「時刻と…場所が書いてあります…。ここへ来い、という事でしょうか…?」
「ふむふむ、そういえばまだ飯を食っていなかったのう。」
千代がもらった紙に書かれた内容を確認していると、天ぷら屋の前にいつもいるお爺さんが横から覗いてきた。相変わらず、話が噛み合っていない。
「お爺さんさっき天ぷらを美味しそうに食べていたじゃないですか。」
「おお!そうじゃった、そうじゃった。教えてくれてありがとうのう。そう言えばわしまだ飯を食っていなかったのう。」
「兄ちゃん、それ宗教勧誘じゃないかい?」
このお爺さんの孫であり、天ぷらの屋台の主人でもある男がきいてきた。千代は頭の上に疑問符を浮かべる。
店主は少し怖がっているようだった。代わりに屋台の前で串刺しにした天ぷらを立ち食いしながら彼と喋っていた男が言う。
「臼田教だよ。アンタもきいた事くらいあるだろ?」
「え、ええ。詳しくは存じませんが最近流行っている新興宗教だと聞きます。」
「ああ、それ。俺も前に似た感じでよくわからないまま行ってみたらそれの集会だったんだよ。春画を一人50枚無料で配布するって言うから最後まできいてたんだけどよう…、結局何もくれなくって聞き損だった…。」
「それは騙される方がおかしいのでは…?」
千代は目が点になった。男はなおも話を続けた。
「ここだけの話、臼田教はちいとばかし思想が強くて幕府に目を付けられているんだ。仏のために死ねば救われるだの、賄賂が横行するから豪商達を国から追い出せだの、不浄の地である吉原を潰せだの…」
「お、おい!よせ!こんなとこで奴らの悪口を言うなよ。…誰がどこで聞いているか分かったもんじゃないぞ…。」
途中で店主が男の話を遮った。さっきから店主の方の怖がり様が尋常でない。千代は首を傾げた。
「店主さんは何をそんなに怖がっているのですか?」
「こいつは神体の呪いを怖がってるんだよ。」
もう後一口残っている串刺し天ぷらを片手に、男はせせら笑った。
「神体の…呪い…?」
「ああ、そうだ。奴らは神様と接触できるって言う少女を神体として崇め奉っているんだ。その神体が不思議な力を持っているって言う噂だ。」
「臼田教に攻撃したり陰口を叩いた者が首をつって自殺したり家が全焼したり原因不明の難病にかかったりと、次々に不幸な目にあっているんだ!臼田教の奴らは皆口を揃えて御神体の力だと言う。ついこの間まで臼田教のことを色々言っていた奴らが洗脳されて今はそれに心酔しきっているなんてことも聞いたことある。神体の力は本物だ!」
店主は体をブルブル震わせて叫んだ。だが、もう一人の男の方はからかうように鼻で笑った。
「そんなのお前が実際に見たんじゃなくてただの噂だろ?」
「火のない所に煙は立たないだろ!それにじいちゃんだって若い時は奴らの悪口を散々言っていた。その結果がこのザマだ!」
「火?煙?どこじゃ?焼き芋をするぞい!」
「こんなにボケちまって…。」
「それはお年のせいでは…?」
「……………」
「……………」
「……爺さんの話はともかくだ。奴らについて色々妙な噂はたってるのは事実だ。もし連中を見分けたいんなら、手首を…」
天ぷらを持った男はなおも何かを言おうとする。しかし、慌てて店主が遮った。
「も、もういいだろう!天ぷらもう一個おまけするから、もうこの話は終わりにしようぜ。…そ、そうだ!兄ちゃん!人探しはどうなったんだい?手がかりは掴めたのか?」
「い、いえ、まだ何も進展はありません。」
「…そ、そうか。」
千代が首を振ると店主は残念そうに肩を落とした。
「神隠しって事もあんのかなぁ。」
店主の一言に千代がピクっと身体を震わせた。音羽に初めて会った時も彼は同じ事を言っていた。
「知り合いも同じような事を言っていたのですが、その神隠しってここら辺では珍しくないのでしょうか?」
「よくあるって程ではないが、ない訳じゃない。特に女子は気をつけた方がいいって話だぞ。」
「…………」
千代は紙をもう一度見た。時刻を確認すると、申の刻と書いてある。
『あなたの求めるものはここに。』
千代はさっきの紙を握らせてきたおばさんが言っていたことを思い出した。
(ここに行けば何かわかるのでしょうか?)
申の刻…今から行けば間に合うだろうか。
「私、ここに行ってみます。お竹のことが何かわかるかもしれません。」
「!!…っな!あ、危ねえよ!呪われちまうよ。」
慌てて店主が止めようとする。
「そちらの方は大丈夫だったのでしょう?」
千代は、無料で手に入れた天ぷらをバクバク食べている男の方に目をむけた。
「そ、そうだけどよう…。」
「私なら大丈夫です。体は丈夫な方なので!それでは。」
千代はにこりと笑って背を向けて歩き出した。
「洗脳とか、されちまうよう…?」
その背中を弱弱しく店主がなおも引き留めようとする。
千代は立ち止まった。
「私、思うんです。洗脳とか、思い込みは傾聴から生まれる物ではありません。むしろ人の話に耳を塞ぐ事で始まる物だと。」
千代は再び微笑んで軽く頭を下げると今度こそ行ってしまった。
「…説教されちったよ。」
店主はその背中を見送りながら、ポツリと呟くように言う。
「風変わりな嬢ちゃんだったな。」
もう一人の男はそう言って天ぷらの最後の一口を名残惜しそうにパクリと食べた。
「??兄ちゃんだろ??」
店主は不思議そうに返した。
2人の男はしばらく見つめあった。
千代は人に場所を聞きつつもなんとか目的の場所にたどり着いた。着いた頃にはもう日が傾いていた。あまり大きくない建物で、戸が微妙に開いており中から声が漏れていた。どうやらもう既に始まっているらしい。千代はそっと中を覗いてみた。中に居た人々は皆千代に背中を向けていて千代に気づくものはいなかった。
中では数人の人が座っていて、多くは町人の男性だった。声は複数でなく1人の女性から発せられていて、その女性は人々の前に座っていた。
千代は女性を見て少し驚いた。女性はここらでは中々見られないくらいとても派手な着物を身にまとっていた。高そう、という訳でなく、とにかくやたらと派手だった。女性はとても美しい顔だったので余計にその衣服の歪な派手さが目立った。
(………?)
千代は彼女がどこか見覚えがある、と感じた。だが、どこで見たか全然思い出せなかった。
彼女は他の人たちと対面する形で座っていたので千代に気づいたようだった。
「あら、どうぞ遠慮なさらずお入りなさいな。」
女性が微笑むと人々は一斉に千代の方を振り返った。千代は一気に退きづらくなった。千代は仕方なく中に入って人々の後ろに大人しく座った。
女性は再び話を続ける。どうやら今まさに臼田教について語っている最中だったようだ。神体の力や臼田教の思想の素晴らしさを延々と語っていた。
「御神体は、私達普通の人には少女の姿に見えますが、ただの人間ではありません。少なくとも、教祖様が臼田教を立ち上げてからの数十年同じ姿を保ち続けております。しかも、教えによると、御神体は数千年、いえ、人が地を初めて踏むよりも前から存在し、その不思議な力を持って私達を見守って下さったと言います。」
千代は話を聴きつつも前に座っていた男が小さく欠伸をしているのを見逃さなかった。その隣に座っていた男が「どうする?そろそろ帰る?」と欠伸をした男に耳打ちした。「いやぁ、でも、春画が…」と男は言った。
(彼らも同じ穴の狢ですか…)
千代の目には、串刺し天ぷらを食べていた男がキメ顔をしている画が一瞬映った。
(まさか、ここにいる全員が同じ手にひっかかっているのでは…?)
千代は頭をふってつまらない考えを振り払い、女性の話に耳を傾けることにした。
「御神体は『忍耐の儀』を経て生まれ変わります。皆さんは『忍耐の儀』と言うのはご存知でしょうか?これは御神体を刀で胸を一突きし弑する事で、また同じ姿で生き返られる儀式の事です。この儀式を行うことで御神体のお力は高まり私達人間の穢れを取り除いて下さるのです。中でも今度取り行う『忍耐の儀』は特別な物になります。」
女性は「…そう、特別な物になるのです。今度の儀が完遂されれば多くの人々が救われる事となるでしょう…。」とほとんど独り言のように呟いた。
千代は驚愕した。
(…!!自分達の信仰している神体を殺す…?しかも、その上で生き返るなんて、そのような事が有り得るのでしょうか?)
千代の他にも怪訝そうな顔色の人達が居たが、女性は気にせず話を続けた。
「御神体は神のお声を拝聴する事ができ、それをお告げとして私達に伝えて下さいます。御神体はこの世は死後の世界への足掛かりに過ぎないと仰っております。より御神体のお告げをよく聴き、正しい行いをした者こそが死後の世界で救われるのです。さあ、皆さんもこの世の穢れを排除し良い行いをしましょう。そのためにもまず臼田教に…」
女性の言葉が途中で止まった。
外の方でバタバタバタッと騒がしい音が聞こえてきたのだ。
扉が開けられ、複数の男達が入ってくる。
「皆、そこを動くなよ!!」
(岡っ引…!!)
千代は入ってきた男たちの服装を見てこれが犯罪捜査の集団であることに気づいた。
『ここだけの話、臼田教はちいとばかし思想が強くて幕府に目を付けられているんだ。』
千代は串刺し天ぷらの男が言っていた事を思い出した。臼田教は幕府に目をつけられているのだ。
まずい、と千代は感じた。ここに居る人の多くは臼田教の勧誘だと分からずに来ただろうし、千代もその1人だ。だから、素直に捕まっても大したお咎めは喰らわないだろう。だが、
(このまま捕まってしまえば家族の耳に入ってしまう!!)
千代の竹探しは家族には内緒だったのだ。もし、千代が岡っ引きのお世話になった事が家族にバレれば、これまで男装して町のあちこちを探し回っていたこと、特に吉原遊廓まで行った事がバレてしまう。勿論そうなれば、家族にとめられて、今後竹探しが出来なくなってしまうだろう。それは何としてでも避けたかった。
岡っ引達は、勧誘者である派手な着物の女性を注視していた。千代はその間に1人こっそりこの場から出られないか出口を見た。だが、岡っ引の何人かは逃げられないように扉の前に立っていた。
女性は窮地に立たされているにも関わらずまるで何事もないかのように平然としていた。
「お前が臼田教などという怪しげな教えを広めている者だな?大人しくついて来て貰おうか?」
岡っ引の1人が女性につかみかかった。
「私に乱暴はお止めなさい。臼田教の清い信徒となった私は常に御神体に護られています。これ以上の事をされれば御神体のお怒りに触れます!」
岡っ引は女性を殴り倒した。それを見ていた周りの人達が小さく悲鳴をあげた。
女性は憎しみを込めた目で相手を睨みつけながら立ち上がった。
「後悔………後悔しますよ……」
女性は低く、唸るように恨みの言葉を紡いだ。
_____次の瞬間、異変が起こった。
「……ぅ…なん…うあぁ……っ……」
女性を殴った岡っ引が突然苦しそうに胸を押さえだした。
「お、おい、お前どうした…」
仲間が声をかけたのも束の間、その人は倒れた。そのまま苦しげに胸を抑え続ける。
「どうした!?む、胸が痛むのか!?おい、返事をしろ!」
声をかけられても彼は苦しそうにもがくばかりでまともに反応できそうになかった。
「だから言ったではありませんか。私はここを失礼させて頂きますよ。」
この場を去ろうとする女性の前に他の岡っ引が立ちはだかった。
「彼と同じ目にあいたいのですか?」
女性が目の前の男たちを睨んだ。
「うああ!!…ぐぁっ…!」
床に倒れていた男が更に大きな声を張り上げ、何かを吐き出した。
血だ。
赤黒い塊に千代は吐き気を催した。
今度こそ、大きな悲鳴があがった。
「そいつを早く医者の元へ連れて行くんだ!」
他の岡っ引が倒れた男を担ぎあげようとする。
「おい、見ろよ、あれ!!」
今度は別の誰かが叫んだ。岡っ引ではなく、宗教勧誘に来ていた者のうちの1人だ。男は外を指さした。千代達は急いで指さした方を見た。
遥か遠くに派手な着物の女性の後ろ姿があった。辺りはもうすっかり暗くなっていたが、月明かりに照らされて女性の明るい派手な着物を識別することは難しくはなかった。
とてもこの短時間のうちに移動したとは考えられない距離だった。
「クソッ…追え!!」
岡っ引達は女性の後を追いかけて行った。
混乱の中、千代は密かに胸を撫で下ろした。
(お、驚きの連続でしたが、ひとまず私は捕まらずに済んだみたいです。)
「お前たちはこっちについてきてもらう。」
(…とはいかないようです…。)
岡っ引の何人かはこの場に残って千代達を包囲した。千代達は岡っ引に連れられて屋外に出る。千代はなんとかここを抜け出せないか考えた。千代は岡っ引の一人に話しかけた。
「あの…私、臼田教の勧誘だと知らずにきてしまったのですけど、見逃してもらえませんか?この後、重要な仕事があり、すぐに向かわなければならないのです。」
「お前、名前は?何処に住んでいる?職は何についているのだ?」
「え、えーと…」
千代は答えられずに目を泳がせた。
「お前のような身元がわからぬ者を解放するわけにはいかぬ!さてはお前、連中の仲間なんじゃないのか?」
「!!ち、違います!」
逃げようと行動したのがかえって裏目に出てしまったらしく千代はあらぬ疑いをかけられてしまった。詰め寄る岡っ引に千代はたじたじになってしまい、ますます怪しい者扱いされた。
「…お千代?ここで何をしているんだ?」
背後から声が聞こえた。千代は背筋がヒヤリとするのを感じた。今最も聞きたくない人の声だった。千代は信じたくない気持ちでゆっくりと後ろを振り向いた。
「…兄様…。」