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第一夜 可愛い遊女だと思ったら男だった


__凄い、女の人達がキラキラ輝いてる!


千代(ちよ)は、慣れぬ男性の服で身を包み、到底普段の彼女には似つかわしくない街路をひたすら歩き続けた。少し横を見渡せば、一面女性達が見世棚の商品のように並んで座っているのが柵ごしに伺える。千代(ちよ)はその物珍しい風景に妙にムズムズとしたものを感じた。

ふと、その中で一段と千代の目を惹き付ける物があった。

白く滑らかな肌が月の光を反射し、美しく照り生えている。顔は綺麗に整っていて、どこか凛々しさもあった。

千代は思わず見とれて気づけば足を止めていた。



慣れぬ吉原遊廓(よしわらゆうかく)での道すがら、千代は()に出会った。








「お兄さん、寄ってくかい?」


「…………へ?」


千代が見とれていると、その人が声をかけてくる。今までまるでこちらが見えてないかのようにその人は同じ表情のまま視線すらも変えずに座っていたので、千代は完全に油断していた。急に声をかけられたので千代は一瞬固まってしまう。その人は千代の反応が面白かったのか、少しニヤついてまた何か言おうと口を開く。が、その前にいつの間にかちよの隣に居たお婆さんが話しかけてきた。


「お客さん、お目が高いですねえ。当店の二番手の者ですよ。この者、こう見えて男なんですが、他の女共に一切引けを取りません。この美しい顔立ちといい、肌といい、男色が趣味でない方にもおすすめの品ですよ。男である分何かと馬が合いやすいので慣れていない方であれば、なお、お勧めいたします。」


男だったのか、と、千代は恐る恐る彼をちらりと見る。彼は朗らかに微笑んでくれた。その笑顔は菩薩のように見えて、到底男性のものだとは思えなかった。


お婆さんは千代を無理矢理中に連れ込もうと押し気味で勧めてきた。この人はここの遣手(やりて)か何かだろうか。妓楼に詳しくない千代には分からない。


「え、いえ、あの、私は見ていただけなので…」


お婆さんが中に引き込もうとするのを千代が拒否する。

すると、一瞬妙な間があった。千代が予想外に声が高かったのに驚いたのかと思ったが、すぐ後にはそうでないことが分かった。


「…あ?」


お婆さんの表情が一転して鬼の形相に変貌した。


「ふざけんじゃないわよ!!あんたただでうちの商品をいやらしい目で見てるつもりだったのかい!視姦するなら金の一封でも置いていきなさいよ!」


「し、視姦…!?私はそのようなつもりは全く無く…」


千代が言い訳するが、お婆さんは聞かず千代の胸ぐらを掴んでぐらぐらぐらと揺さぶった。


(吉原に来たのは初めてですが、まさか、女性?を見ただけで金を払わされるとは思いませんでした…)


千代は仕方がなく、謝って金を渡そうかと思ったその時、男が一人やってきた。


「今日こそは音羽を指名させて貰うぞ!!この詐欺師どもが!!」


男はかなり怒りながら千代とお婆さんの間を割って遣手を詰め寄った。


「あ、あんたは、後でまとめて払うとか言っておいてここ最近金を払わないじゃないか…!もうこれ以上うちに入れることはできないよ…!」


「うっせえ!!くそババア!!俺はお客様だぞ?神様だぞ?神様に金払えってのか!!」


(な、何やらとても理不尽な事を言う人が来ました…!)


男の気迫に気圧されて店主はたじたじになっている。今までもこの勢いに負かされて男の無賃利用を許してしまったのだろうか。男は今にもお婆さんを殴りかからんとする。お婆さんはすっかり震え上がってしまい、男を中に入れてしまいそうだった。


「音羽…!」


男は目を輝かせて私の背後を見た。

彼はさっきの、私が見とれていた男を見ていた。彼が音羽だったのだ。


「今、こいつを黙らせて会いに行くからな。」


男はうっとりとした顔でそう音羽に言った。


(この男を通したら、あの人が乱暴されてしまうのでしょうか…?)


千代は音羽の事が心配になった。音羽とは今会ったばかりだが、この乱暴な男に好きなようにされるのが許せないと思った。


「あの、今日は私が音羽さんを買うので退いていただけないでしょうか?」


「はあ?なんだよ、このクソガキが!!話に割り込んでくんなよ!お前みたいなガキに音羽の相手が務まると思ってんのかよ!」


男は今度は攻撃対象を千代に変更して胸ぐらを掴んだ。千代は背中に冷たいものが走るのを感じた。

千代の背後でガタッと音がした。男は驚いたように目を見開いた。千代は後ろを振り返る。

音羽だ。音羽が、いつの間にか店の外に出ていた。


「我慢できなくて、俺に逢いに来てくれたのか?慌てなくてもすぐにそっちに行ったのによ」


「…うっせー、文無し。」


ちよも男も一瞬固まる。煌びやかな美しい見た目とは似つかわしくない第一声だった。


「別にババアを煮ようが焼こうがどうでもいいけど、そいつは俺の客だ。つまり、神様だ。神様を傷つけるのはこの俺が許さない。お前はとっとと出てけ。」


音羽はそう言い放つ。男はそれを聞いてタコみたいに真っ赤に染まった。怒りの対象はやはり、千代だった。


「お前…お前が金払うなんて言うから…!」


男は千代目掛けて片腕を大きくあげた。千代は覚悟してぎゅっと瞼を閉じた。が、衝撃は来なかった。その代わり、


「出てけっつってんだろ!!」


男が3m程向こうへ吹っ飛ばされていた。音羽の強力なパンチがお見舞いされていたらしい。


「一昨日来やがれ!!」


音羽は千代の腕を掴むと店の中へ入ってしまった。



















「さ、こっちに座ってくれ。お客さん、こういうとこは初めて?ここは飯はまあまあだけど、酒は美味…」


「あ、あの、その前にお礼を言わせてくれませんか?」


「あ?さっきの?あれはお客さんが、こちらの事に巻き込まれただけじゃないか。むしろこっちの方がお客さんに謝りたいくらいだ。」


音羽はこういうが、千代は気がすまなかった。音羽は千代の様子を察して、言った。


「どうしても礼がしたいって言うのなら、今日はどんとお金使っていって欲しいな。お客さん、随分と羽振りが良さそうだし。」


「…そのように見えますか?」


千代は不思議そうに自分の身なりを見た。小袖を着流した、ごく一般的な町の男性の格好だと思っていた。千代が今朝方兄様の部屋から失敬したものである。ひょっとしたら上等な物だったのかもしれない。


「金銭に幾分か余裕があるというのは否定しません。…そうですね、丁度ご飯時ですし、お勧めのものを頂けないでしょうか?」


音羽は満足そうに微笑むと、禿に何事か命じた。そう長く経たないうちに食事が来た。音羽はああ言ったが、食事はそれなりに美味しく(というか、千代は好き嫌いせずになんでも美味しく食べる性格だ)、千代は満足した。音羽の話も面白かった。音羽は千代の知らないことを沢山知っていてとても興味深かったのだ。

音羽はお酒を何度も進めてきたが、千代はあまり飲めなかった。というより、飲まなかった。千代には一刻も早くやらねばならない事がある。わざわざ吉原遊廓へ男装して来たのはそれが原因だ。礼をすると言った手前、酒を拒むのは申し訳なかったがしょうがなかった。千代は食事を食べ終わると、そろそろお暇しようと荷物を整えようとした。が、


「……!!!な、何をしているのですか!?」


「何って…。折角こんな所まで来たんだからいい思いしないと。」


当然のように音羽は着物を着崩した。胸がはだけ、露になった肌は艶やかだった。意外にも引き締まった身体がちらりと見え、千代はドキッとした。


「というか、まさか、食事だけして帰るつもりだったのか、お客さん?」


「あえ…と、とりあえず女性をいやらしい目で見ながら飲んだり食べたりすれば良いのかと…」


「どおりでずっと睨まれてると思った…。ま、知らなかったのなら今知ったって事で。」


千代は、音羽が今何をしようとしているのか、なんとなくだがわかった。千代は慌ててどう拒否しようか、とりあえずお金だけ置いてこの場を後にすれば良いのかと考えた。すると、肩に小さな感触を感じた。


「なあ…お客さん…」


音羽がいやらしい手つきで千代に触れてきたのだ。音羽はもうほとんど上半身が見えるまで着崩していた。

男の人の上半身くらい、千代は兄や父の物を普段から見慣れているのでどうと言うことはない。ない。ない。ない、ない…


「…」


「もしかして、初めて?」


「ま…」


「ん?」


「ママママママママママママママママママママままままママまm」


「いっイっ!?お、お客さん、俺の腕の関節はそっちには曲がらない!!曲がらないから、や、やめっ!!」


千代は未知の領域に頭がついていけず、身体が勝手に拒否反応を起こしていた。力づくであらぬ方向に曲げようとしていた音羽の腕をパッと離す。


「も、申し訳ございません!!じ、実は私、女なのです!!訳あって今は男性の身なりをしておりました!」


千代は深々と頭を下げた。


「…あーまあ、それはなんとなく…。」


「気づいておられたのですか!!」


千代は驚いて顔をあげた。


(どこからどう見ても男の身なりをしています…!よもや、音羽さんは相当の洞察力の持ち主なのでしょうか…!)


「いや、お客さん、男って顔じゃないし、声も高いし、こういう男もいるかもしれないけど、女って言われた方が、納得がいくよ…。俺じゃなくても。」


千代が羨望の眼差しを向けてくるのに対して、音羽は呆れたように言った。千代は言われて初めて周りからどのように見られていたのか気づいてドギマギする。


「そ、それでは先ほどの女性も私が女だと分かっていて店の勧誘をしていたのでしょうか…?」


「さあ?ババアは客が銭にしか見えないから、性別までは判断出来てなかったんじゃね?」


「そ、そうですか…。」


ほっとしたやら、呆れたやらで千代は微妙な気持ちになった。


(ん?と言うことは、音羽さんは私が女性である可能性を考慮した上であのような行為をしたのでしょうか…?)


千代はそこまで考えてブンブンと頭をふった。顔が熱い。これ以上考えたら恥ずかしくて死んでしまいそうだった。


「ところで、お客さんはなんたってそんな格好をしてこんな所まで来たんだい?」


音羽が小首を傾げた。質問を投げかけられた千代はまだふわふわする頭をなんとか切り替えさせた。


「実は、先日、私の家の小間使いが一人行方不明になってしまいまして、私はその者を探しに来たのです。その者がいなくなった場所からして、ひょっとしたらさらわれて吉原(ここ)で働かされているかもしれないと父様達が話しているのを小耳に挟んで…」


「それで、ここまで一人で来たってんのかい。えらい人情深い主人だな。」


「その者とは歳が近く仲が良かったもので…。」


「でも、お客さん、さらわれたんじゃなくて別の可能性もあるんじゃないか?」


「あの子がうちに不満があっていなくなったとは到底思えません!」


千代はカッとなって大声を張り上げた。


「まあまあ、落ち着きなよ。さらわれたんじゃなくても、神隠しにあったって可能性もあるしな。」


「神隠し…ですか。」


千代はその可能性を考えていなかったのでキョトンとした。


「ここらは特に頻繁にあることだよ。残念だが、数日探しても見つからなかったら諦めることだ。」


「そんな…。」


音羽はそこで、しまった、と思った。千代がどんよりと沈み込んでしまい、今にも泣き出しそうになっていた。


「あの者は…お竹は行方不明になるその日に…、兄様に、長年の想いを伝えると、そう私と約束したのです…。それなのに…」


「あ、いや、その、…」


音羽はどうすれば良いのかわからず焦り出した。しかし、案外と我慢強いのか千代は泣き出すことはなく、いくらか深呼吸して頭を下げた。


「申し訳ありませんが、このような事情がありますので、これ以上ここに長居はできません。しかし、お礼をすると言った手前ですので、このままここを立ち退くのも気が引けます。あの、もしよろしければ…よ、夜の営みの方はできませんが、その代わりしばらく食事をしたり茶を飲んだりするためにここに通わせてはくれませんか。どの道しばらくは吉原へ来る事が多いと思うので…。」


「お、おう…それはこっちとしても願ったり叶ったりだが…」


「ありがとうございます!!」


千代はパッと顔を輝かせた。


(泣いたり、笑ったり、忙しいやつだな。)


音羽は小さくため息をついた。


その美しい顔は、今は困った表情を見せていた。それは、千代を店の外まで送り、その後ろ姿が消えるまで眺めている間も続いていた。





星空の見えぬ暗雲の立ち込めた空が、後の吉原の奇怪な事件を予感させていたのだった。














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