続ツイてる兄貴の騒がしい夜更け
『この子は似非見鬼じゃっーーー!』似非ってなに、エセがなんだっていうんだよ……
皺だらけの老人が、カッと目を見開き、カケルを指差し叫んだ。
ああ、あれは、式年祭の時の爺さんだ。みんなが『総代』と呼んでいた爺さんだ。
『見鬼』とは幽霊が見える力のことらしい。それを指して『似非』呼ばわりしたのは、カケルの能力が
途半端と言っているのだ。
いきなり大声で怒鳴られたカケルは、そのまま硬直し白目を剥いて卒倒した。
結局、その時に居合わせた栂森神社の宮司、凌晟の父親が、カケルの面倒ごとを引き受けることになった。
それから久城一家は、栂森神社の寺社領へ引っ越した。
そして周囲の手を借りながら、毎日を過ごしてきた。時間を過ごすことで、いろんなモノに慣れる人の能力って、スゴイなと感動する。
カケルだって、そうやって自分の体質と、憑き物たちと、折り合って今があるんだ。
りりーん、りりりーん……
遠くで電話のベルが聞こえる。カケルは出なくちゃと、夢うつつで思う。
「ぐえっ! 」
憑き物のいない平和な惰眠を妨げる衝撃だ。布団の上に隕石でも落ちたかってくらい内臓を圧し潰された。
「起きてーー、るーにぃ! 凌晟さんから電話ーー 」
千晶はプロレス技の要領で、カケルの身体に全体重を預ける。そして固定電話の子機をカケルの耳元に押し付けると、さっさと部屋を出て行った。
カケルは呆然と妹の後ろ姿を見送り、受話器からは、能天気な凌晟の声が聞こえてきた。
空気が冷たい。
太陽が高く昇れば、初夏を思わせる陽気だが、早朝はまだまだ春の名残を感じる。
真夏が苦手な千晶は、このままの季節が続けば良いのにと思う。
今朝はクラス委員会があるから、いつもより登校時間が早い。
そのせいか、駅に向かう人はまばらで、それでも少なくはない。
都内まで20分の立地は、住宅地として人気が高いのだ。その代償に、野原や畑が凄い勢いで削られて、次々と小洒落たマンションに生まれ変わっていく。
千晶が子供時間の多くを過ごした場所がどこにあったのか、思い出すのも困難になってくる。
気づかないうちに想い出が、書き換えられていく。千晶は少し寂しく感じた。
十七歳の子供の時代って、ほんの十数年前なのに。
世界が変化するスピードは、瞬きするより速いのかもしれない。
自動改札を抜け、ホームで急行電車をまつ。
クラスメイトからのLINEをチェックし、スタンプを返す。これを怠ると、煩わしいしっぺ返しが来る。この複雑なJKのSNS事情が、千晶には苦手だ。
向かいの下りに快速電車が通過すると、空気が風になって千晶の制服を揺らした。そして電車到着のアナウンスに顔を上げると、下りホームに「彼」がいた。
(わぁぁ、朝からのイケメン! )
昨日、栂森神社に凌晟を訪ねてきた青年、真龍寺怜だ。
(え、もしかして、昨日と同じ服? なにこれ? 栂森にオトマリっ!? やだ、見ちゃダメなやつ? 気づいちゃダメなヤツ?? )
慌てて視線を逸らそうとしても、ドキドキで目が離せない。
どちらかと言うと彼は小柄だ。だけど、頭が小さいので実際より背が高く見える。おまけに腕も足もすらっと長く、動きが緩慢で優雅だ。
顔に掛かる前髪を鬱陶しそうにかきあげる……。その仕草もイケメンだ、と千晶は見惚れた。
時おり、ハッとして肩先に顔を向ける。周囲を見渡し、何か探しているように瞳が揺れる。彼は何度か不思議な動作を繰り返すと、フッ、と鋭く息を吐いて肩をはらった。
そして彼は顔を上げ、ぼんやりと視線を上げた。
線路を挟んで真正面に立つ千晶を認めた怜は、驚いた表情をした。
それより千晶は、彼の肩先にあるモノに目を奪われた。
ふわりと尻尾を揺らし全身は白く、耳先と鼻先はほんのり黒みがかっている。
まぎれもない「狐」であった。
栂森で見慣れた狐の像とは違い、まるっこくて子犬のようにも見える。だけれど「あれは狐だ」と、はっきりわかった。
その瞬間、バチッと身体の中で音がはぜた。
ファーーーーン
警笛と共に、入線した電車が二人の視線をスパッと遮った。
耳障りなブレーキ音が収まると、乗車ドアが一斉に開いた。降車する乗客のために、ドアの前に並んでいた人が左右に割れる。
千晶は人の流れにのまれ、電車の奥まで押し込められた。そして、車窓からホームの怜を探した。
しかし、ちょうど到着した下り電車が視界を阻んだ。
動き出した電車の窓から、遠くなるホームに怜を探したが見つからなかった。
憑依体質の兄のおかげ(?)で、不思議な現象には免疫がある。だから、幻や生き霊が見えたとしても、何一つ否定する根拠はない、だけど、なにより…… と、千晶は思う。
自分は決して『イケメン』を見逃さないのだ。
(絶対いたもんね)
その時、握りしめていたスマホから、ポンとLINEの着信音がした。無意識に画面を確認すると、凌晟からだった。
『よろしく』たったそれだけで、用件も何もない。もちろん、言いたいことはわかっている。
「ったく、手抜きしずぎでしょ」
千晶は眉間にシワを寄せて、既読スルーする事にした。
早朝の視聴覚室に集められたクラス委員たちは、体育祭の注意事項というビデオを見せられていた。
暗幕はしっかりと日差しを遮り、眠気を誘引する。
「ふぁぁ…… 」
「めずらしいね、千晶があくびするなんて」
隣のクラスの佐和子が声をひそめて言った。
「ん、昨夜ちょっと眠れなくてさ」
学校では優等生の誉れ高い千晶である。教師からの信頼も厚く、とても責任感が強いと評判だ。
しかし家庭訪問や三者面談で語られる千晶の姿に、家族は理解が追いつかず頭の中を「?」でいっぱいにするようだ。
担任が語る人物は、本当に自分たちの娘なのか……、あまりにかけ離れたイメージに「はあ」としか、応える事が出来ない。そんな両親を見ると千晶は、セルフブランディングの成功に、ほくそ笑むのである。
「なーに、恋の悩みとか? 」
「まさか! 」
「だよね、千晶はブラコンだから~〜 」
「ふへぇっ?! 」
「そこ! 私語はつつしんで! 」
委員長のお叱りを受け、千晶と佐和子は肩をすくめて頭を下げた。
プリントが配られ、体育祭の組分け、競技種目、当日の運営について説明があった。去年と変わりなく無難なプログラムだ。
これなら簡単にクラスを纏められると、千晶は安心した。
委員長の「解散」を合図に、クラス委員たちは、散開した。千晶も佐和子と席を立ち、連れ立って教室へ戻る。
佐和子が「体育祭キライ」「メンドクサイ」としきりにぼやいているが、千晶は別の事に気を取られていた。
さっき佐和子が千晶を評した『ブラコン』と言う言葉。
「解せぬ、断固拒否する! 」
思わず声に出ていたようで、佐和子が小刻みに身体を揺らして笑った。千晶は抗議するように、佐和子に肘鉄をお見舞いした。
「う、なに自覚無し? ぷくくくく……、これは重篤だわ! 」
「ちょっと、重篤って、どういうこと!? 」
階段を先に上がっている佐和子を追いかけようと、一段飛ばしで追いかけた千晶は、つまずいて転んでしまった。
「きゃあ、千晶っ、大丈夫っ!? 」
千晶は咄嗟に両手を着いたものの、階段の角に脛をしこたまぶつけて、平行線のような赤い傷ができた。
佐和子に腕を支えられて立ち上がると、足首にも違和感がある。少し捻ってしまったようだ。
「ててて、ドジっちゃった。ちょっと保健室に寄るから、先生に言っといて」
心配そうな佐和子を残して、千晶は足を庇いながら保健室に向かった。
「せんせー、転んじゃいましたーー 」
保険の先生は不在だった。千晶はかって知ったると、薬箱から消毒薬と湿布を探し出して、手当を始めた。捻った足首に湿布を貼ろうと靴下を脱ぐ。
「あれ、痣になってる? 」
足首を一周するように赤い痣があった。そして足の甲にも筋になった痣がある。
思いのほか強くぶつけたのかもしれない、と、千晶は痣のあるところに湿布を貼って、その上からそっと靴下をはいた。
しかし、足の痛みが引かない。ジクジクとした鈍痛が、足首に幾重にも巻き付いている。捻挫とは違った痛みだ。
身体の奥に毒を持った熱が、少しずつしみ込む。
「…… っつう」
そして昼になる頃には、足は腫れて熱を持った。痣は赤黒く変色しながら、足を這い上がるように広がっている。もっと具合が悪くなれば、迎えを呼ぶことになる。
「うわ、真っ青だよ! 」
千晶の顔色を見て心配した佐和子は、追い立てるように帰り支度をさせ、昇降口まで送ってくれた。
「お兄さん、呼ぼうか? 」
一人で帰すのが心配だと、佐和子が言った。
「大げさだよ、これくらいで。病院にも寄るし、大丈夫だよ」
千晶はそう言って、学校を早退した。
……なんだろ、この痛み。
足首を締め付け、重りが下がっているようだ。歩く度に足が上がらなくなり、とうとう地面を引きずるしか無くなった。
バス停のベンチに腰掛けると、少し楽になった。千晶は痛む足をベンチに乗せて、ケガを確認する。
足首の痣は腫れ上がり、はっきりとしたミミズ腫れが、ふくらはぎまで達していた。
「ぅわっ!! 」
千晶は怖くなって目を背けると、そのまま膝を抱えて動けなくなってしまった。冷たい汗が首筋から背中を伝わると、千晶の意識も遠く霞んでいった。
痛い痛い痛い…… 足が痛い。
痛みに囚われた意識の中で、千晶は「知ってる」と思った。
いつのことだったろう、記憶の奥に隠れているけど、身体が覚えている。
ずっと忘れてたけど、確かに同じ痛みだ。だんだん鮮明になる記憶に、痛みも存在を増す。
ーーそう、あれは病院のベッドの上だった。
初めての入院生活は、幼い千晶には忌わしい想い出だ。
家族に心配はかけまいと気丈に見せても、夜になると不安と痛みで眠れなかった。
夜中の院内では、非常灯のぼやけた橙色が、黄昏時のように不安を滲ませる。
「イタイよう」
そう言うと、ふわりと優しく千晶の頭が撫でられた。固く瞑った瞼を上げると、ベッドの横に小さな影が立っていた。
ああ、カケルが戻ってきてくれた、と千晶はホッとしてカケルを呼んだ。
「るーにぃ」
その影が笑った気がした。
「チー、おうち、かえる。イタイのやだぁ…… 」
千晶はしゃくりあげながら、その影に腕を伸ばして懇願した。
『ホントに、ボクと一緒に来る? 』
耳の奥に直接響く声で、その影が千晶に問いかけた。
「いく、るーにぃ。いっしょ、カケルにぃに」
カケルの名前を呼んだ瞬間、千晶の意識は水底から引き上げられるような衝撃を伴って戻った。
身体の感覚はおぼろげで、まだ焦点の定まらない視線の先にカケルの背中が見えた。
「ん…… にぃに? 」
「千晶、気づいたか!? 」
「ここ、どこ? 」
「栂森だよ」
「つがもり」と、カケルの言葉をなぞるように繰り返した千晶は、ぼうっとした意識のまま周囲を見回した。
まだ夢が覚めきらない千晶は「にぃに」と、不安そうにカケルを呼んだ。
「もう、大丈夫だよ」
千晶はカケルの大きな手が優しく額に当てられると、強ばっていた緊張が解けた。温かい手は額から頬、首筋と巡って、もう一度額に戻るとペンと叩いた。
「よし、熱も下がってる」
ホッと気の抜けたカケルの顔が、千晶の途切れた意識の最後の欠片を呼び起こした。
「アタシ、バスを待ってて…… 」
「うん、お前の友達って子が連絡をくれたんだよ」
「佐和子……」
「ああ、そんな名前だったかな」
「そう」
千晶の鬱いだ様子で返事をすると、カケルは表情を曇らせた。
その時、襖が勢いよくパーンと開け放たれた。
「お、ちいちゃん、目が覚めた? 良かった! 」
作務衣をだらしなく寛げて、つまみ食いした菓子をモゴモゴとさせている。お盆の上の茶碗からは、お茶が波打って零れている。
この能天気な凌晟の姿に、カケルの堪忍袋は音を立てて破れ、その顔は凶悪としか表現できない様相に変化した。
「はぁっ、今なんて言いました、宮司? 」
「…… やだな、いつも通り、名前で呼んでおくれよ、カケル」
カケルが凌晟を栂森神社の役職『宮司』と呼ぶときは、非常に不機嫌である証拠だ。
いつもは押しに弱い軟弱なカケルも、たまに『怒りスイッチ』が入る。本人は無意識だと言うから笑える。
どうやら、凌晟はこのスイッチを入れてしまった。
「千晶は、もう少し休んでろ」
カケルは凌晟の襟首を掴んで、襖をパシーンと閉めて出て行った。
「おお、るーにぃ、怒りの鉄拳…… 」
千晶は凌晟が無事であるようにと、両手を合わせて祈った。
そう言えば、あんなに酷かった痛みが無くなっている。えいやっと掛け布団を蹴散らすと、ケガのあった足首に凌晟の手筋で護符が印されていた…… と、言うことは、憑かれたのは私?
「うわっ、うっわーー 、油性ペン、足に直書きだ…… 雑すぎる」
「で、良かったって、なんです? 」
「ははは、はぁ。ごめんなさい」
「謝るってことは原因だって認めてる…… あっ、昨夜のアレ、知ってたのか!! 」
凌晟は斜め明後日の方に視線を泳がせ、カケルの睨みを受け流す。
「窓いっぱいに手だけ、それも右手だけが…… もう、隙間なんて無くて、張り付いてて…… 」
「んー、やっぱり『千手塚』だったかなぁ? 」
「なんです、それ」
「うーん、栂森で引受けた『曰く付き』なんだけど、大丈夫だから」
「曰く付きって、それだけで信用できないじゃん! もーー、窓ガラスに手形がびっしり残って、髪の毛や血糊っぽいのが……、オエッ…… 」
「でも、憑かれなかったでしょ? すでに祟るモノでは無いんだけど、千晶ちゃんが参拝して懐いちゃったみたい、てへ? 」
カチン、むかっ、きーっ! カケルのスイッチのレベルが、最強に切り替わる音が聞こえた。
「ああ、そうだねっ! 手だし、目が合いようが無かったし! だから千晶に憑いたってわけ? ボクに憑けっつーのっ! 」
「あ、はは? カケルくん、落ち着いて、怒るな…… 」
「んあ、怒ってないけどっ! 」
「じゃあ、そんなに睨んでくれるなーー! 」
「睨んでないっ! 凌晟さんには助けてもらってるし、感謝しても足りないのは分かってる。だけどさ、それと、千晶を巻き込むのは違うよね? なんだよ、バイトとか甘い言葉で誘惑して、マジ質が悪すぎる。栂森神社に出入りさせるなんて、テロ現場に丸腰で放り込むようなもんでしょ! 」
一気に捲し立てたカケルは、真っ赤な顔で鼻息を荒げていた。
「テロ現場って…… ひどい、そこまで言わなくても。昨日だってちゃんと、守護狐を遣わしたでしょ」
「やっぱり、あれ、コーンって聞こえた、アレ、やっぱり狐だ! ボクに神仏が見えないから、気づかないだろうってバカにして……。で、千晶に憑けたって? アレは栂森の狐なの? 」
「しっ! カケル、それ以上は不敬にあたるよ」
凌晟は口元に人差し指を立て、スッと目を細めて囁いた。
その声は冷たく澄んでいて、熱に上気せたカケルの頭を一気に覚ました。
頬を手のひらで挟まれて、凌晟の瞳を正面から見せつけられる。醜く歪んだ顔のカケルが、鏡となった凌晟の瞳に映り込んでいた。
「よく聞け、俺はひとつ見誤った、それは謝罪する。でも、千晶にはお前がいる」
「……僕が、いる? 」
「そうだ。お前は家族を守れるよ! 」
祓えないのに…… なに言ってるんだ、この人は。カケルはバカバカしくて、溜息をついた。
こんな厄介な体質で、どうやって守れるって言うんだ。
「もう、そう言うことでイイです」
「なんだ、宮司の言葉を信じないのか、カケル? 」
「はいはい、信じてる信じてる」
カケルはさっきまでの怒りが、すっかり消えて無くなってしまった。
「凌晟さーん! るーにぃ!! お腹減ったー! ハングリー!!」
千晶のがなり声が栂森に響いた。
「おっと、いけない。お姫様が夕餉をご所望だ」
カケルは千晶を放ったらかしていた事に気づいて、あわてて部屋に戻った。
凌晟はその背中をジッと見つめた。
「…… お前に見えないのが残念だね」
そう言って、凌晟はもう一度、カケルの背後を見送り眩しげに瞳を眇めた。