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魔獣と宝玉の関係

 騎士の再訪は、あれから数日後だった。


「おはよう」

「……おはようございます」


 濃い花の匂いがしたから、彼が来るのはわかっていた。黒いマントを着た凛々しい騎士に、私は挨拶を返す。深くかぶったフードの奥で、焦げ茶の瞳が輝いている。


「ここにいてくれて嬉しいよ。君に会いに来たんだ」


 まるで、焦がれた相手に会った瞬間のような発言。甘い顔と声でこう言われたら、女性は骨抜きなのではないか。ずるいやり口だ。

 彼の放つ花の匂いは、今日も森の奥へ流れている。彼が求めているのは、私の鼻で魔獣を見つけて退治することだけ。自分の目的を通すために甘い言葉を放つなんて、騎士は意外としたたかである。


 正直言って、ここに来るかは毎日迷っていた。魔獣は怖かった。魔獣の瞳に宿る凶悪な赤と、血の代わりに噴き出す黒い霧。この世の生き物とは思えない恐ろしい光景は、悪夢に見るほど鮮烈に記憶に残っている。この白い花の群生する広場に近寄りさえしなければ、私は騎士に会わない。騎士に会わなければ、魔獣を探す必要がなくなる。恐ろしい目には遭わずに済むのだ。

 迷いながらも私が今ここにいるのは、母の言葉による。求められたら、応えなさい。それが全てだ。

 少なくとも彼は今、私の鼻を求めている。求められるのならば手を貸すべきだ。例えそれが、震えるほどに恐ろしいことだとしても。


「行きましょう」


 彼の甘い言葉は受け流し、花の匂いを辿って歩き始める。


「本当に、迷いなく進むよな。手がかりはあるのか?」

「勘が良いだけです」


 匂いを追って探し物を見つけていることは、誰にも話してはいけない。私が誤魔化すと、騎士は「ふうん」と気のない返事をした。


「ああそうだ、君の名前を教えてよ。会ったら聞こうと思っていたんだ」

「ニーナです」

「ニーナ、か。俺はエルート」

「エルート様ですか」


 エルート。口に出すと、舌の引っ掛かりのまるでない、流れる水のような名前だ。名は体を表すというが、確かに彼の名は、掴みどころのない彼によく似合っている。


「様付けなんてやめてよ」

「できません。騎士様ですから」

「俺、堅苦しいのは嫌いなんだ」


 一度断ったのに、エルートは食い下がってくる。社交辞令ではなく、どうやら本気で嫌がっているらしい。

 私は迷った。彼は高貴な騎士である。くだけた呼び方をするなんて、それだけで不敬に当たるのではなかろうか。

 本人が許可するのなら、咎められることはないかもしれない。彼自身に求められているのに、しつこく断る理由は特にない。

 そう結論づけ、頷きを返す。


「わかりました。恐縮ですが……では、エルートさんと」

「うん、よろしい」


 エルートは満足げな笑みを浮かべた。

 さん付けだって、本当は落ち着かない。黒衣の騎士は、誰もが憧れる英雄だ。私のようなしがない一般人が、こうして言葉を交わしていることだけでも畏れ多いのに。

 少し動揺したせいで勢いよく踏み込んだ足の下で、ばき、と小枝が折れる。その時、びび、と胸の辺りに震えを感じた。一瞬で震えが強くなる。

 私の追っていた花の匂いがぐっと上に向く。


「上?」

「わかってる、よっと!」


 ぎらり。

 白い光が、弧を描いた。エルートの剣が振り抜かれている。瞬く暇もない鮮やかな閃きに、つい目を奪われる。


「ギャア、ギャアッ」


 奇声。

 黒い霧を噴いて、何かがふわふわと降ってきた。左に動いてかわし、地面に落ちてゆくのを見つめる。


 羽根だ。根元から黒い霧を発し、端から消えて行く。降り積もった枯れ葉の上で、全て霧になって消えた。

 魔獣が死ぬと、跡形もなくなる。鳥の一部が間近で消滅するのを目にして、改めて魔獣とは森の獣とは全然違う存在なのだと感じた。


「鳥って面倒なんだよな。飛ぶから」


 吐き捨てるようなエルートの言い方。目つきは鋭く、真っ直ぐに、樹上を見つめている。枝に止まった大きな鳥が、こちらを見ている。その目はやはり、凶悪な赤に燃えている。


 魔獣は、一般の獣より遙かに大きい。広げた羽根は私が両手を広げるよりも大きそうだ。長い嘴は、何でも突き通せそうなほどに鋭い。

 いくら彼が手練れであろうと、あんな風に飛ぶ相手はどうにもならないのではないか。

 心配する私をよそに、エルートは乾いた笑いをもらす。


「良い腕試しだ」


 同時に、ばっ、と風を切る音がした。嘴を前に差し出す、前傾姿勢。

 空を切る刃のような勢いで鳥が突っ込んでくる。エルートの差し出した剣が閃く。あの赤い目も、黒い霧も怖い。それを平気で斬るエルートも。この瞬間、彼の手で、魔獣があっさりと命を落としたことも。


 鼻に届く花の匂いの向きが、緩やかに変わる。これはエルートの匂いだ。求めていた魔獣は、霧になって死んだ。だから、彼が求める次の魔獣の居場所に、匂いの流れが変わったのだ。

 エルートが地面に屈んで、何かを拾う。


「触ってみる?」


 エルートの手のひらに、ころんと転がる小さな黒い石。魔獣の心臓だ。噴き出た霧を煮詰めたような、凝縮された黒。この間の猿のものより、ずいぶん小さい。


「……やめておきます」


 その深い黒を見ていると、鳥の嫌な鳴き声が頭の中で再現される。


「それは残念」


 エルートは今回も、腰につけた革袋に心臓をしまう。そのあと、袋の中を何やらごそごそと探した。


「なら、これは?」


 彼が次に取り出したのは、赤く光る丸い玉。透明な玉の中で、炎のような光が揺らめいている。

 しばらく眺めてから、私ははっと気づく。これは宝玉だ。宝玉はこの国の名産だそうだ。赤く丸く美しい光に憧れ、他国の人々が高値をつけるために、この国は豊かなのだと聞いたことがある。

 宝玉は、経済力の象徴だ。富裕層の婚約では、この宝玉をはめた指輪を男性が女性に贈るというロマンチックな話もある。


「宝玉、ですか」

「そう。持って来たんだ、君に見せようと思って」

「私に……?」


 彼の手のひらに転がるそれは、赤子の拳ほどはある。赤の色は、外側から中心に向かって徐々に濃く。吸い込まれるような色合いをしている。これほど美しいものになら、確かに高値もつくだろう。


「なぜです?」


 そんなに高価なものを私に見せる意味がわからなくて問うと、エルートは手のひらで宝玉を転がして見せながら答える。


「この間の猿からできた宝玉だから。君のおかげでできた宝玉なんだよ、これは」


 猿の魔獣から、できた宝玉。

 改めて宝玉を覗き込むと、ぞく、と背筋が震えた。この赤はあの凶暴な、魔獣の目の色だ。

 飛んだ腕と、噴き出る黒い霧が思い出される。猿から出た黒い塊。あの黒さからは想像のつかない、透明で美しい赤だった。


「魔獣の心臓を薬師に渡すと、特殊な薬草で煮てくれるんだ。そうすると、こういう宝玉になる。綺麗だろう?」


 エルートは、宝玉を指先で摘んで掲げた。木漏れ日が通り抜け、さらに鮮やかな赤になる。宝玉を通った光が地面に落ち、妖しく揺らめいた。

 エルートは宝玉を、私の目の前に差し出す。大きな赤い球。幻想的な光。美しい。美しいけれど、それはやはり魔獣の目の色なのだった。間近から魔獣に見られているようで、ぞぞ、と肩に震えが走る。


「綺麗ですが……」


 私にはやはり、魔獣の目にしか見えない。世の人が宝玉を高級品だともてはやすとしても、あの魔獣を見てしまったら、もう共感できない。


「あんまり惹かれない? こんなに大きな宝玉を見たら、普通の女性は目を輝かせるよ」

「そうですか……」

「微妙そうだね。こういうの、喜ぶと思ったんだけど」


 エルートは、腰の革袋に宝玉を再度しまった。魔獣の瞳に似た宝玉が見えなくなって、肩の力が少し抜ける。

 普通の女性なら喜ぶから、わざわざ宝玉を持ってきて私に見せたのだ。次も魔獣討伐に同行するためのご機嫌取りをされているようで、違和感がある。


 小枝を踏みしめて、最初の広場に帰った。あの白い花が見えてくると懐かしさを覚える。


「君のおかげで、今日も良い休日になった。ありがとう。また来るよ、ニーナ」


 女性のときめきを誘うような言い方にも、心はさほど動かなかった。最初からずっと、彼の言葉や表情は求めるものと乖離している。彼が私に求めるものは、魔獣への案内。優しげな言動は、それを引き出すためのものだ。

 黒いマントを翻し、小さくなってゆく背中。その背中はやはり頼もしい騎士様だった。


 求められたら、応えなさい。人の役に立つことは、私の本望だ。

 だから彼は、あんなに回りくどい言い方をしなくていい。機嫌なんて取ってもらわなくても、彼が望むのなら、私はまた魔獣のところへ案内する。


 彼の放つ花の匂いが、だんだんと薄れてゆく。完全に感じ取れなくなるまで、私は群生する白い花の中で、見えなくなったその背をぼんやりと見送っていた。

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