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気持ちの押し付け

 商隊護衛出身の騎士は二組居て、交互に討伐に出る決め事になっているそうだ。私は彼らと連日討伐に出て、草食魔獣の討伐に当たっていた。

 エルートを含む王宮騎士が討伐に出るのは、本来は、肉食魔獣の討伐のみだという。肉食魔獣はそう多く出てくるものではなく、必然、私がエルートと顔を合わせる機会はなくなった。

 寂しさはあったけれど、私は彼の居場所を知らない。食堂で待っているのも迷惑になるから、結局、会えない日が続くこととなった。


 数日続けて討伐に出ると、休みが貰える。休みには騎士達は街中に出かけるものらしいが、生憎私には、行きたいところはそれほどない。暇を持て余して寒風の吹き荒ぶ中庭に行くと、どこからか、あの黒馬が現れた。


「久しぶり。元気そうね」


 鼻先を押し当ててくる黒馬の毛並みを撫でる。風の冷たさに冷えた毛並みは、今日も最高の手触りだった。

 中庭の草木も痩せてきていたが、その中から食べられるものを選び、黒馬の口元に差し出す。いくらか食べると、馬はまた私の傍に寝転んだ。地面の冷たさをものともせず、呑気な様子を見せる。その隣に座ると、土は、さすがに冷気をじんわりと伝えてきた。


 暴れ馬と疎まれる黒馬だが、こんなに穏やかに過ごすこともできるのだ。皆の前でもこんな風に過ごせれば疎まれることもなくなると思うと、やはり、何とかしたいと思ってしまう。

 商隊護衛の面々との討伐は、今のところ上々だ。褒美を望むなんて浅ましいが、団長のガムリの言ったことはいつか叶う気がした。


「ここに居たのか」

「あ、エルートさん」


 背後からかけられた声に振り向くと、エルートがいた。いつもの黒い服に身を包んだ彼は、こちらへ近づいてくる。


「久しぶりの休みだが、調子はどうだ。疲れてはいないか」

「大丈夫です。……あ」


 エルートと話していると、黒馬はのそりと起き上がった。こちらを一瞥し、颯爽と駆けて行く。


「本当に、奴に気に入られているんだな」


 その背を見送り、エルートがしみじみと呟いた。


「どうしたんですか、エルートさん」

「どうした、って……君は今日、討伐に復帰してから最初の休みだろう?」

「……そうですが」


 私が休みであることと、エルートが来ることは今ひとつうまく繋がらない。首を傾げる私に、エルートは手を差し出す。その手を取って、立ち上がった。


「以前行った甘味屋に、行きたくはないか?」

「あ! 行きたいです」


 エルートが行きつけだと言っていた、素晴らしく美味しいケーキを食べられる店のことだ。労うために私を誘いに来てくれたのだとわかって納得すると共に、嬉しくなる。

 厨房を手伝った後部屋に戻らなかったから気付かなかったが、私の部屋の前には、エルートからの荷物が届いていた。中に入っていた服を着て、入口で合流する。外には既に、馬車が待たせてあった。


「すみません、こんな風に扱って頂いて」

「騎士が恋人をこんな風に扱わなかったら、その方が問題だ」


 恐縮する私に、エルートはそう説明して緩く笑う。


 理屈はわかるが、何だか複雑な気分だった。エルートはどんな気持ちでいるのだろう。彼は、私がエルートに抱いている感情のことをわかっていない。私たちの関係は、恋人でも何でもない。なのに、体裁上は恋人として出かけるのだ。

 様子を伺ってエルートを見たが、その顔からは、上機嫌そうなこと以外は何も読み取れなかった。


「こうして二人で話すのも久しぶりだな」


 馬車の中は暖かく、カタカタと心地良く揺れる。エルートの言葉に、私は頷いた。夕飯を二人で食べなくなったら、エルートとの時間はなくなってしまったのだ。


「王城に行くと、レガットが御令嬢に捕まるから、なかなか帰れないんだ。ひとりにして済まなかった」


 彼の場合は、捕まると言っても、自ら捕まりに行くのだろう。アイネンとエルートの苛立ちを無視して御令嬢と話すレガットの姿は、容易に想像できた。


「大丈夫です。討伐をご一緒した騎士様が、食事に誘ってくださったので」

「そうか。……上手くやっているのなら、何よりだ」


 エルートの声の温度が、一段下がった。私は、懐かしい感覚に襲われる。表情には出ないけれど、本心を押し隠した、平板な声。エルートが何かを取り繕っている時のやり方だ。

 何を隠しているのだろう。彼の目の奥から探ろうとすると、焦茶の瞳に、動揺の色が浮かんだ。真っ白な頬に、赤味が差す。


「あ……悪い、違うんだ。別に、君にひとりで食事をしていて欲しい訳ではない。ただ、俺の知らないうちに、君の良さが他の騎士に知れていると思うと」

「あっ」


 嫉妬だ。察しがついた私は、エルート同様、頬が熱くなるのを感じた。エルートと目が合う。お互い、頬が赤い。妙な雰囲気にどぎまぎして、互いに視線を揺らした。

 先に目を逸らしたのは、エルートである。額に手を当て、溜息をついた。


「……すまない。気分を害するつもりはなかったんだ」

「いえ。嬉しい、です」

「そんな返事は望んでいないよ」

「嬉しいんです!」


 想いを寄せている相手が、ささやかな嫉妬をしてくれていると知って、嬉しい気持ちにならないはずがない。思わず語気を強めると、エルートは目を丸くしてから、力の抜けた変な笑みを浮かべた。


「……君の気持ちは、よくわからないな」


 いつもは私の目を見るだけで、感情を見抜いてくるのに。エルートの感想は、珍しくぼんやりとした、頼りないものだった。


 馬車が止まり、ほっとした空気が室内に漂う。店に着いたのだ。この気まずい雰囲気から脱せることに、お互い安堵しているのがわかる。


「行こう、ニーナ」


 差し出された手を取り、馬車から降りる。身を切る寒さに晒されたのは一瞬で、すぐに室内に入る。甘い香りに満たされた空間に、幸せな気分が湧いてくる。


「ようこそおいでくださいました」


 以前と同じように、扉のそばにはロマンスグレーの男性が控えている。


「今日は御相席になります」

「相席? 事前にそんな話は……」


 先に中へ進んだエルートの足が、ぱたりと止まる。


「な、なぜ貴方が」


 明らかに動揺した声。彼の背から中を覗き込むと、小部屋の真ん中に据えられた丸テーブルには先客が居た。柔和な笑顔を浮かべる、白髪の男性。品の良い柑橘に似た香りが、ゆるりと漂っている。


「息子に婚約者がいるという話を、本人からではなく、後輩から聞くとは思わなかったよ」

「それは──御報告が遅れまして、申し訳ありません。少々、事情がありまして」

「言い訳は要らないよ。だからこうして、会いに来たんだ。こんにちは、お嬢さん。御名前は?」


 品のある紳士は、笑顔のまま私に視線を移した。目尻に深く刻まれた皺が、彼の歩んできた年輪を思わせる。

 エルートのことを息子と呼ぶ紳士に、心当たりは一つしかない。彼の養父。前騎士団長であるという、その人だ。


「ニーナ・エトシールです」

「私はルロイ・ザトリア。このエルートの、養父にあたる。今日は二人の時間を邪魔する形になってすまないね、君に会いたかったんだ。さあ、そんなところに立っていないで、座りなさい」


 ルロイの勧めに応じ、私とエルートは席につく。すぐ、目の前に香り高いお茶が運ばれてきた。先に注文されていたものらしい。


「それは、私が一番気に入っているものなんだ。良かったら飲んでくれ」

「ありがとうございます」


 困惑しながらもカップを取り、口に運ぶ。ふふ、と小さく笑ったのはルロイだった。


「息が合っているんだね」


 エルートを見ると、彼も今まさに、カップを口に運んだところだった。知らないうちに、同じタイミングで同じ動作をしていたようだ。


「久しぶりだね、エルート。君の活躍は、風の便りに聞いているよ」

「お久しぶりです。なかなか顔を出せなくて、申し訳ありません」

「いいんだ、王宮騎士が多忙なのはよく知っている。ただ、婚約という家の一大事を、独断で決めるのは宜しくないな」


 先程からルロイは、婚約、婚約と繰り返し口にしている。私はいつ、エルートの婚約者ということになったのだろうか。エルートを伺うと、彼は真摯な面持ちで頭を垂れた。


「事を進める前に、お伺いを立てるのが筋でした。俺の失態です」


 婚約という点を否定する気はないらしい。良いのだろうか、と胸がざわめく。恋仲ならまだしも、婚約なんて。そんな話、少しも出ていないのに。


「そうだな。私が用意した数々の見合いを断っておいて、選んだのが彼女か」


 細めた瞼の間から送られるルロイの眼差しに、私は背筋がひやっとした。笑っているのに、視線が鋭い。値踏みされている気分だ。


「ガムリはお喋りだからね。本来なら君から聞きたかったことを、いろいろと教えてくれたよ。彼女の素性や、その特別な力について……随分、変わったことができるらしいね」

「彼女は、魔獣を探すことができるのです」

「らしいね、驚いたよ。悪名高い魔女が、まさかこんなに可愛らしいなんて」


 ルロイの言葉は、字面はおどけているが、表情は笑顔のまま固定されている。その変わらなさが、かえって恐ろしい。


「だけどね、私は残念ながら、魔女なんてものは信じていないんだ。長年騎士として務めて来たが、この国のどこにも、異国にも、本当に種も仕掛けもない魔法というのは存在しなかった」


 ああ、これが本題なのだ。声色の微妙な変化からそれが伝わってきて、私の背筋は自然と伸びる。ルロイの笑顔は変わらないが、笑顔の後ろで、私を疑っているのだ。

 疑いは、至極当然である。私だって、魔女なんて信じていない。


「我が家は騎士家系だ。騎士団に勤めることを認められた女性なら、相手に不足はない。ただ、魔女という一点が気にかかっているんだ。実のところ、どうなんだい」

「それは……」

「何らかの理由があって隠しているのだろうと、想像は付くよ。しかし、私には話しても構わないんじゃないかね」


 ルロイの語尾に、ほんのわずかな威圧を感じる。言わなければ結婚は許さない、という類の圧力だ。

 本当のことを言わなくちゃ、と思った。彼に嘘は通用しないだろう。これからのことを考えたら、ルロイに嘘をつく選択肢はあり得ない。

 そう考えてから、おかしいな、と気づいた。「これからのこと」って、私はエルートと結婚するつもりなのだろうか。自分の気持ちを伝えることすらできていない段階で、結婚のことを考えるなんてどう考えてもおかしい。打ち明けようとして開いた口を閉じ、逡巡する。同時に、隣から軽い咳払いが聞こえた。エルートが、微笑を作って唇を開く。


「お恥ずかしい話ですが、まだお伝えできないのです」


 柔らかな表情と、裏腹な声の温度。出会った頃のエルートは、こんな風に物腰穏やかに、本心を隠して話していたことを思い出す。


「俺は今、彼女の外堀を埋めていたところなのですよ。騎士団での今後の活躍が約束されていることに目をつけて、どうにかしようという輩がいるから、婚約を匂わせて抑止していたんです。まさかこんなに早く、貴方の耳に入るとは……」


 はにかむ表情は、あまりにも自然だ。エルートは金糸の髪を、照れたようにしながら軽く乱す。それから彼は、おもむろに立ち上がった。私の座る椅子の隣に、跪く姿勢を取る。

 驚く私の片手を取って、彼はこちらを見上げた。焦茶の瞳が、私を真っ直ぐに見上げる。


「驚かせてすまない。順番が前後したが、そういうことなんだ。俺は君に、婚約を申し込みたいと思っている」


 どき、と胸が跳ねた。こんな風に率直な言い方をされるのは、初めてだ。

 ルロイの目を誤魔化すための演技だとわかってはいるが、心臓が鼓動するのは、私がそれを彼の気持ちだと信じたいからだ。

 真っ直ぐに見つめられ、甘く蕩ける笑顔。取り繕ったものなのは、見ればわかる。けれど、どうしても胸が震えた。


「あ、あの……」


 何か言わなきゃ、という思いだけで動かした唇は浅く震え、言葉にならなかった。


「突然のことだ。気にしないでくれ。君の返事を待つことを、俺に許して欲しい」


 手の甲に、柔らかな感触。彼の唇が触れたのだと理解すると、その箇所だけが、ぼっと熱を持ったように感じられた。

 熱くなる手を離し、立ち上がったエルートは、ルロイに向かって頭を下げる。


「お見苦しいところをお見せしました。己のために婚約を偽ったのは、確かに、あるまじきことでした。申し訳ありません」

「……なるほどね。わかったよ。こちらこそ、無粋なことをした」


 ルロイは柔和な笑みを崩さず、そう応えた。その時、ケーキが運ばれて来る。


「では、ここで失礼するよ。二人の時間を邪魔して悪かったね。……エルート。君が守るべきものを見つけたことを、私は嬉しく思うよ」


 ケーキは家への土産にすると言って、ルロイは席を立った。そう言い残し、左足を僅かに引き摺るような独特な歩き方で、店の外へ出て行く。


「すまない、ニーナ。もう少し上手く凌げれば良かったのだが、他のやり方が思いつかなかった」


 扉が閉まるなり、そう謝罪を受ける。

 ああ、やっぱり演技だったんだ。わかっていたのに、僅かな落胆が生まれる。私は首を横に振り、謝罪の必要はないと伝えた。


「私こそ、すみません。すぐに鼻のことを伝えれば、エルートさんにあそこまでさせなくて済んだのに」

「いいんだ。易々と人に話すことではない。……先程のことは、気にしないでくれ。また俺の気持ちを押し付けることになってしまったが、俺は君に婚約を強要したい訳ではない。ただ、君の意思に任せたいんだ」

「……私は」


 私だって、エルートに思いを寄せている。婚約とまでは言わないが、同じ気持ちを抱いている。そう言う前に、エルートが「いいんだ」と遮った。


「俺の望みに、応えようとしないでくれ」


 そう言われてしまったら、どうしようもない。エルートにとって私の本心は、「彼の望みに嫌々応じている」ように見えてしまうのだ。


 少し重たい空気は、甘いケーキを食べ始めると緩和された。この店のケーキはふんわりと甘く、幸せを感じさせる。すくった生地を口に運ぶと、噛む前に柔らかくほどけた。


「そういえば、カルニックからの呼び出しは、近頃なくなったな」

「はい。あれ以来、一度もありません」


 帰りの馬車に乗り込んだ頃には、いつも通りの空気になっていた。ぎこちなさもなければ、妙な甘やかさもない。世間話の一環で出てきたカルニックの名前に、私は以前の出来事を思い出す。

 別れ際のカルニックの匂いの変化を考えれば、私には、そう不思議とも思えなかった。彼の強烈な知識欲は、私ではなく、別の方向に向けられたのだ。

 きっかけは、私が首に掛けている青い石が悪意のある人物に反応して震えると知ったことだと思う。その瞬間、カルニックの匂いが弾けたのだ。彼の関心が私から他のものに移った、決定的な瞬間である。


「君が奴に関わらずに済むのなら、何よりだ。奴は君と気が合いそうだからな」

「え?」

「あ……これも嫉妬だったな」


 ルロイの前で演技をしたせいで、たがが変な風に外れたのだろうか。ぽろりとこぼれた言葉に私は照れ、それに応じるように、エルートがはにかむ。


「耳が赤いぞ」

「……何なんですか、もう! からかってますよね!」


 遠慮の薄れているエルートは、声を上げて笑う。こんなことが続くなら心臓が持たないと、早く騎士団本部に着くことを願った。

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