レガットの大切なもの
結論から言うと、私の馬を見繕う計画は、翌朝、頓挫した。小雨なら馬を見に行くという話だったが、その日は朝からざあざあと強い雨が降っていた。部屋の中にまで、雨の香りが立ち込めている。
水の香りと激しい雨音で目覚めた私は、アテリアと共に支度を済ませ、部屋の外に出た。普段なら廊下には誰もいないのに、壁に寄りかかるようにしてたたずむ黒衣の騎士に、一瞬ひるむ。
「アテリア。今日は朝からニーナを借りて行く」
「なんだい、ものものしいね」
待ち構えていたのは、エルートだった。彼は既に、外出用の騎士団服を纏っていた。真剣な眼差しである。
こんな時ですら、真面目な顔も素敵などと思ってしまう辺り、やはり恋とは難儀なものだ。自覚してみれば、私はいつも彼の表情に見惚れ、ちょっとした仕草に見惚れていた。無意識のうちに、常にエルートのことを目で追っていた。どの瞬間からそうなったのかは、もう思い出せない。
「街中に蛇の魔獣が出たそうだ。この酷い天候による危険性を加味して、俺たち王宮騎士が出ることになった。蛇はどこに潜んでいるかわからない。迅速な討伐でこれ以上の犠牲を増やさないためには、君が必要だ、ニーナ」
浮かれた気分は、その知らせによって多少の落ち着きを見せた。エルートにしては硬い声が、事態の緊迫感を示している。街中に出た魔獣。その言葉だけで、私にも深刻さがわかる。
魔獣は危険で、恐ろしい生き物だ。私のような一般人の手には、到底負えない生き物だ。例え蛇だとしても、街中では、犠牲者が多数出てもおかしくはない。
早朝からの討伐が要請された理由も、よくわかった。騎士の手を借りない限り、人々は魔獣の恐怖に苛まれ続けることになる。
「雨除けに、これを着ていけ。水を弾く獣の皮を使っている」
差し出された濃い鼠色のフード付きマントは、普段のものよりずっしりと重く、表面がつやつやしていた。水をしっかり弾きそうな、光沢のある質感だ。
私はマントを受け取ると、一度部屋に戻る。着替えを済ませて廊下に出た時、既にアテリアの姿はなかった。料理人のアテリアに、魔獣討伐は関係ない。朝食の支度に行ったのだろう。
「行こう」
エルートに連れられ、足早に玄関へ急ぐ。こんな風に連れ出されたのは、初めてだ。だからこそ、その緊急性の高さが感じられる。
「待って待って! あんたたち!」
食堂の前を通り過ぎようとした時、大きな声で呼び止められた。食堂の扉を開け、勢い良く出てきたアテリアは、小ぶりな籠に入ったいくつかのパンを差し出してくる。
「この雨だから、馬車なんだろう? 向かいながら食べなさい」
「助かる」
アテリアが押し付けた籠を、エルートはさっと受け取った。そのままの勢いで、出入り口へ向かう。
「気をつけなさいよ!」
私は振り返り、アテリアに小さく会釈をした。ふくふくとした大きな手を振り、アテリアは食堂の中へ帰っていく。
「今日は馬車なんですか?」
「ああ。いくら雨具があるとはいえ、雨の中を走ると体力を奪われる。幸い、近場の街だというから、万全を期すために馬車で行くことにしたんだ」
外に続く扉を開けた先には、昨日乗った馬車とは全く違う、重厚な馬車が用意されていた。全面が黒く塗られ、側面には、騎士の胸章と同じ紋が刻まれている。中にいるのは騎士だと、はっきりわかる外装だ。
「頼むぞ」
「はいっ!」
御者を務めるのも、黒衣の騎士であった。エルートの声かけに、背筋を伸ばして勢い良く応える。
「おはよー、魔女さん。寝起きの顔も可愛いね」
中には既に、レガットとアイネンが控えていた。広い馬車だが、鍛えた彼らが並んで座ると、なかなか狭そうに見える。アイネンの隣で窮屈そうにしているレガットが、相変わらずの軽薄な調子で、手のひらをひらひらと動かした。
「ニーナに馴れ馴れしい口を聞くな」
奥に座った私の隣に、エルートが腰掛ける。隣から見上げると、彼の背はいつもより高く感じられた。
私達が乗り込むと同時に、馬車が走り始める。小気味良い走行音は、昨日聞いたものより明らかに早かった。速度を上げているらしい。
馬車の中は、しんと静まり返っている。沈黙が、妙に気まずい。いつもなら各々が馬で移動をするから、互いの声は風にかき消されて聞こえない。移動が長くても特に会話は必要ないのだが、今日はそうもいかなかった。
私から話し出すのは失礼だけれど、黙っているのも落ち着かない。誰かが口火を切ってくれるのを、そわそわしながら待った。
やがて、レガットがわざとらしくため息をつく。銀色の巻き髪は、いつにも増してくるくると渦巻いている。雨のせいだろうか。
「こんな雨の日に、討伐なんて最低だよ。王宮警護で、可愛い貴族の子達と戯れてる奴らが恨めしい」
「これこそ騎士の本分だろう。ふざけたことを言うな」
「アイネンだって疲れただろ? 確かに規定通り1日は休みを貰ったけど、あんなに雨に打たれたんだからさあ」
頬を淡く膨らませ、文句を言うレガット。レガットらしくない、余裕のない口振りだ。たしなめるアイネンに、逆に同意を求める。
「私は、昨日はしっかり休みを取った。雨の中の探索には、魔女の魔法があった方が良い。そして魔女は、暫くの間はこの隊と行動を共にすることになっている。こうなることは、予想できたはずだ」
「エルートの、わがままで、な! ……いや、魔女さんと出かけられるのは嬉しんだけどさ。僕、疲れちゃって」
レガットは荒々しく床を踏み鳴らし、思い出したようにフォローを入れる。わかりやすく機嫌を取られ、思わず口元が緩んでしまった。私を手篭めにして一生食いつなぐ計画は、未だ健在らしい。
本当は私は魔女でも何でもなく、ただの一般人なのだから、その計画に意味はないのに。
「レガットがそんなに苛つくのは珍しいな。昨日、何かあったのか? ほら、例の……」
「ああ、あのご令嬢と何かあったのか」
「妙に冴えてるんだけど、何で? 魔女さんの魔法って、千里眼? それで、こいつ等に何か教えた?」
「何も言ってませんよ!」
恨みがましい目のレガットから文句が飛び火してきたので、私は慌てて潔白を主張した。
「ニーナに聞かなくてもわかる。お前、ずいぶん浮かれて支度をしていたじゃないか」
「寝るまで自慢話をしていたのはどこのどいつかな」
「……馬鹿にしやがって」
涼しい顔のエルート達と、悔しげに歯噛みするレガット。レガットは、銀色の髪を両手でぐしゃぐしゃと乱した。膝の間に顔を入れ込み、濁った呻き声を上げる。酷い動揺ぶりだ。
レガットを見ていた私達は、誰からともなく顔を見合わせた。エルートとアイネンは、大体の事情を把握しているらしい。私にはよくわからないけれど、推測はついた。
「落ち着け。腹ごしらえをしながら話そう」
顔を上げたレガットが口を開く前に、エルートが籠に入ったパンを掲げた。
「僕のこと、気に入ったって言ってたんだよ。騎士なら庶民出でもいいって、親の了解も得てるって言ってたのに!」
レガットは、むしゃむしゃとパンを頬張っている。咳き込んでも気にせずに、パンを喉奥に押し込む。さながら、やけ食いといった調子だ。頬張りながら喋るから、細かなパン屑が飛んだ。レガットの隣のアイネンは、膝に飛んだパン屑を嫌そうな顔で払い落とす。
「あの御令嬢の親なら知っているが、庶民出でも良いなんて、口が裂けても言うような男ではない」
「知ってたなら教えてくれよ、アイネン。その通り。『お父様が駄目だって』……ってさ。僕が自分の時間と金を、どれだけ彼女に使ったかわかる? あんまりだ」
風呂場で盗み聞きした話題から察するに、庶民から騎士となったレガットは、身を立てるために、有力な貴族の女性と懇意になろうとしている。なぜそうまでして、貴族との婚姻を望むのかはわからない。王宮騎士になるほどの実力者で、腕が立つのに、それだけでは足りないなんて。
騎士とは、それだけで名誉な職で、就ければ他に望むものはないと思い込んでいた。さらにその上を望むなんて、騎士が来るだけできゃあきゃあと騒ぎ立てる私達一般人には、想像つかない世界だ。
「どうせ無駄になるのなら、時間と金を浪費せず、君の妹のために使えばいい」
「そんなの……一時的なものじゃないか。薬は高い。金はいつかなくなる。しっかりとした後ろ盾を得ないと、僕は妹を守りきれない」
レガットの声に真摯なものが加わり、馬車の中は妙にしっとりとした沈黙に包まれた。腕が軽く突かれ、私は隣を見る。腕を組んだエルートが、正面の二人には気付かれないよう、そっと私の腕を突いていた。見上げた彼は、僅かに首を左右へ振った。
喋るなという訳だ。私は口を引き結び、レガット達に視線を戻す。
「女にかまけず武を磨けば、騎士としての寿命は延びる」
「僕は庶民出の騎士だよ? エルートやお前みたいに、家の後ろ盾はない。多少寿命を伸ばしたところで、騎士でいられる期間はたかが知れてる。辞めた後もね」
諦めまじりの、レガットの言葉。私は何も言わず、馬車の中に漂う匂いを何となく感じていた。
エルートの匂いが馬車の前方に真っ直ぐ向かうのに対し、レガットの匂いは、後方に向かって流れている。
そういえば、いつだってそうだった。魔獣討伐に出たとき、エルートの強い匂いは、魔獣の方向へ一直線に流れていた。アイネンの匂いも、それを追うように魔獣へ向かっていた。なのに、レガットの匂いは別方向へ向かっていた。
私の鼻は、探し物の方向はわかっても、何を探しているのかは嗅ぎ取れない。だから、レガットの匂いの先に何があるのかはわからない。薬を求めているのかもしれないし、庇護してくれる女性を求めているのかもしれない。妹に向かっているのかもしれない。
私はレガットのことをほとんど知らないが、彼の匂いの方向こそが、彼が魔獣よりも妹を大切にしていることを物語っていた。
「妹さんを大切にしていらっしゃるのですね」
エルートに止められていたのに、口から言葉がこぼれ出る。予想していたよりもしんみりと、私の声は馬車に響いた。
はっ、と息を呑んだのはレガットだった。緑色の目が、丸く見開かれている。その顔が、くしゃりと歪んだ。
「そうなんだよ」
いつもの軽薄なレガットからは想像できない、泣きそうにも見える笑顔だった。




